“We Want Beatles! We Want Beatles!”
1964年、ビートルズがアメリカ初上陸を果たした時、彼らが宿泊するホテルの周りには、詰めかけたファンの嬌声がこだました。だが、レコード・デビュー前の62年8月は違った。“We Want Pete! We Want Peat!”である。“Pete Forever, Ringo Never”というボードを持ったファンもいたという。
62年8月16日は、ビートルズのドラマーがピート・ベストからリンゴ・スターに代わった「歴史的」な日である。「歴史的」とつい書いてしまったが、そう書けるのはビートルズが「歴史的」な存在になったからだ。ピートにとっても、その後のビートルズのあの活動を知っているからこそ忘れられない1日になった。大小はさておき、出会いや別れは人ぞれぞれである。
リンゴ加入――というよりもピート脱退までの流れはこうだ。
6月のEMIのレコーディング・テスト・セッション後、ジョン、ポール、ジョージの3人は、マネージャーのブライアン・エプスタインから、こう告げられた。「プロデューサーのジョージ・マーティンがピートのドラムに難色を示している」と。ピートの腕前に違和感を覚えていた3人は、水面下で新しいドラマー選びに動き出したという。最初に名前が挙がったのはビッグ・スリーのジョニー・ハッチンスで、もうひとりがリンゴ・スターだったという。
ジョンは、もしピートを解雇してくれればリンゴを引き抜くとブライアンに告げ、8月14日にジョンはリンゴに電話して加入を要請。翌々日の16日の朝、ブライアンはピートを事務所に呼びだし、「3人は君に出て行ってもらいたいと思っている」と卒直に解雇を告げた。当のピートは事務所に入ってブライアンの顔を見たとたんに何を言われるかを察したと言うが、思わず「僕がドラマーに不向きであることがわかるまでに2年もかかったんですか?」と食ってかかったという。しかしその後は無言で、30分後に事務所を後にした。残された公演はドラムを叩いてほしいという要請にはOKしたものの、その後、ピートがビートルズとともに人前に出ることは二度となかった。
ピート脱退の噂は瞬く間に街中に広がり、8月23日付の『マージー・ビート』紙で公に伝えられた。そこにはドラマー交代はお互いが友好的に行なわれたと書かれていたが、ピートのファンの抗議は凄まじく、キャヴァーン・クラブ周辺でビートルズを取り囲んだ乱闘騒ぎが起こり、『マージー・ビート』にも少女たちの嘆願書が寄せられた。ドラマー交代からわずか4日後の8月22日、『ノウ・ザ・ノース』という番組用にキャヴァーン・クラブでビートルズのライヴ撮影が行なわれた。撮影スタッフは、まさかドラマーがクビになるとは思ってもいなかっただろう。実際、映像の最後には「ピートを出せ!」というファンの野次が入っている。
いい話――かどうかはわからないけれども、90年代に『アンソロジー』シリーズが出た時、ピート・ベストの演奏テイクが初めて“アップル印”入りのビートルズの作品に収録された。62年1月1日のデッカ・オーディンションからの演奏曲と、6月6日のEMIのセッションでの演奏曲で、もちろんいずれもデビュー前に録音された音源である。いい話かどうかわからないと書いたのは、特にその「ラヴ・ミー・ドゥ」を聴くと、巧拙はさておき、リンゴとのビートの違いは明らかで、耳に馴染みのあるビートルズ・サウンドとは全く異なるからだ。
「これじゃ他の3人には合わない」。瞬時にそう思わせる音源でもある。その音源が『アンソロジー』に収録されることになったのは、ピートの弟ローグ・ベストが、ピートの母モナとアップルの取締役だったニール・アスピノールの子供だったことと無関係ではないだろう。2013年の来日時にピートに、『アンソロジー』収録についてニールから直接連絡があったのか尋ねてみたところ、お互いの弁護士を介してのやりとりだったと言っていた。また、ブライアン・エプスタインから解雇を告げられた時に、仲の良かったジョンに裏切られたのがショックだったとも語っていた。
ピートの脱退で割を食ったのはジョージだ。ピートのファンの男性に目を殴られ、青あざを作ったのだ。デビュー・シングルのセッションの写真を見ると、跡がはっきり残っているのがわかる。また「ウィキペディア」には、ピートとジョージのこんな逸話が記載されている――『ピートは「僕は長年の間にジョージともう一度会って話し合いたいと思っていたんだ」と語り、1998年にリヴァプールのとあるカフェで晩年のジョージとの念願の再会が実現、ビートルズ時代を懐古し和気藹々に愉しく語り合ったという。』
これは「いい話」だと思い、この件もピートに訊いてみたら、こんな答えが返ってきた。
「いや。きのうも同じことを聞かれた。ジョージが亡くなった翌日にシカゴでメモリアル・コンサートがあり、そこでジョージの話はしただけだよ。62年以降、ビートルズの誰にも会っていないんだ」。
【筆者】藤本国彦(ふじもと・くにひこ):ビートルズ・ストーリー編集長。91年に(株)音楽出版社に入社し、『CDジャーナル』編集部に所属(2011年に退社)。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。