8月28日は鈴木慶一の誕生日。66歳となる
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鈴木慶一が、東京・大田区に誕生したのは1951年8月28日。俳優・声優をしていた父・昭生、昭生と同じ劇団文化座の研究生だった母との元に生まれた。
中学校の頃にTVで見たヴェンチャーズに触発されギターを持ち、ビートルズやローリングストーンズに影響を受けて同級生とバンドを組むという流れはこの世代らしいが、70年にあがた森魚と出会って始まる数多の邂逅とともに、熱気渦巻く日本のフォーク/ロック黎明期のど真ん中に飛び込んで行くことになる。いや、その渦を作る原動力の一つになったというべきだろう。あがたのバック・バンドとして始まった最初のバンド「はちみつぱい」は、オリジナル作は『センチメンタル通り』のみだが、斉藤哲夫や加川良などのレコーディングに参加、ある意味では時代の音を作ったバンドのひとつと言える。
この時代、はっぴいえんどが先頭を行く機関車のごとく象徴的な存在だとしたら、はちみつぱいはカッカと石炭を燃やしエネルギーを作る火室のような存在だったのかもしれない。はちみつぱい母体に組んだ「ムーンライダーズ」も、自分たちの作品以上に多くのアルバムに関わってきた。鈴木は、70年代から現在まで休むことなく音楽に深く携わり、新たな息吹を与えて続けている一人なのだ。
はちみつぱいに始まり、ムーンライダーズをホームとして活動してきたが、高橋幸宏と組んだTHE BEATNIKS、ムーライダーズのメンバーで実弟の博文とのユニットTHE SUZUKI、矢部浩志らとのバンドControversial Spark、劇作家・音楽家のケラリーノ・サンドロビッチとのNo Lie-Sense、その他にも多くのバンドやユニットに名を連ねている。また、PANTA&HAL『マラッカ』に始まるプロデュース、楽曲提供やレコーディングに参加した作品などは数え切れないほど。
ソロのつもりで作ったらレコード会社が勝手に「鈴木慶一とムーンライダーズ」名義でリリースした初作『火の玉ボーイ』から、曽我部慶一をプロデュースに迎えた「ヘイト船長」シリーズまで、ソロ作品も途切れない。両親の影響もあり映画や演劇にも造詣深く、出演や音楽制作も手がける。CM曲やゲーム音楽にも至る幅広く柔軟な活動や作品が、常に新しさを感じさせ、チャレンジングであることはいうまでもない。
Facebookを見ると楽曲制作やレコーディングなど音楽活動で多忙を極めていながら、サッカーチームに属し寸暇を惜しんでグラウンドを走りボールを蹴っている。いつ眠っているのだろうと心配になるほど精力的な66歳だ。
この数年は、一段と精力的に活動している。音楽活動45周年を記念したコンサート(2015/12/20 芝・メルパルクホール)にはここに記したような彼にゆかりのアーティストたちが集まった。
活動休止していたムーンライダーズは、2013年に逝去した、かしぶち哲郎(Ds)の1周忌に復活、結成40周年を迎えた2016年に期間限定で「活動休止の休止」をして全国ツアーも行った。そして今年は『乙女の儚夢』以来45年ぶりに、あがたとレコーディングを行い、あがた森魚&はちみつぱい名義で新作『べいびぃろん』を制作、リリース記念ライヴも行った。THE BEATNIKSも結成30年を迎えたが、様々なイベントや夏フェスに参加するなど活発に活動している。
これほど多忙を極めながら、いつお会いしても穏やかで落ち着いた佇まい。それでいてやんちゃ坊主のような遊び心を感じさせもする。体の奥にはいつも、火の玉ボーイが住んでいるのだろう。
【著者】今井智子(いまい・ともこ):『宝島』編集部で、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わる。1978年フリーとして執筆活動を開始。以後、「朝日新聞」レコード評およびライヴ評、「ミュージック・マガジン」などを始め、一般誌・音楽誌を中心に洋邦を問わずロックを得意とする音楽評論家/音楽ライターとして執筆中。著書「Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと」(飛鳥新社)など。