竹内まりや「SEPTEMBER」で歌いたくない歌詞があった?
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1979年8月21日は竹内まりやのサード・シングル「SEPTEMBER」の発売日だった。なにせ40年近くも前のことであるし、日記をつけていたわけでもなく、記憶も心許なくなってきている。昨今ハヤリの“これが真相です”“本当はこうだったんですよ”といったたぐいの楽屋話や裏話を声高に言いつのるのもどうも気がすすまない。そんなわけで、あまり語られることのない“A&R”の視点からみた制作の話をQ&A方式で書いてみたいと思う。QもAも同一人物というのはいささか珍妙ですが、そこはお目こぼしを。
Q:A&Rとは本来どんな仕事なのでしょうか?
A:Artist and Repertoireの略です。アメリカのジャーゴン辞典によると「レコード会社において、才能あるアーティストの発掘と獲得に全体的な責任を負い、アーティストの方向性に見合いかつヒットが望める曲を選び、制作し、適切な発売時期を決定する、そんなポジションにある個人または部署」と書いてあります。レコード会社の社員プロデューサーみたいなものですね。
Q:日本のレコード会社でのA&Rとは違うのですね?
A:まったく違います。アーティスト担当とか窓口をA&Rと呼ぶのは、いたって日本独特の風習じゃないですか。
Q:それでは具体的にうかがいます。まずはアーティストの発掘と獲得についてですが、竹内まりやさんとはどのように出会われたのでしょうか?
A:A&Rとして二年目の春のことです、以前から親しくしていた牧村憲一さんからの紹介でした。彼とは目指している音楽が共有できていて、まりやの制作方針についてもことごとく意見が一致していました。RCAのアーティストとして是非獲得したいと思い、会社を説得し契約を結んだわけです。
Q:「SEPTEMBER」でのA&Rの仕事とはどのようなものだったのでしょうか?
A:彼女のファースト・アルバム『BEGINNING』もセカンド・アルバム『University Street』も、大方の予想を大きく上回る実績をあげていました。ただ、シングル・ヒットにはいまだ恵まれていなかったのです。
第三作のシングル制作の段になって、「年末の賞レースに参戦する、世間受けのする曲を作れ」という会社の思惑が介入してきたのです。竹内まりやを賞レースにだなんて考えてもいませんでしたし、世間受けのする曲だなんてなんともナンセンスな話だと思いましたが、社運を賭けたかのごとき社命に逆らうことはできませんでした。当時は賞獲りレースが過熱していましたからね。まぁ、社内政治をうまく仕切るのもA&Rの資質としては欠かせないものですから、命令に従ったふりをして自分の意思を貫きましたが、、、
年末の賞レースに参戦するには遅くとも9月新譜として発売しなければなりません。ですから発売日の8月21日は自動的に決められてしまいました。
Q:9月新譜だからSEPTEMBERにしたのですか?
A:いくらなんでもそこまで安直に考えたわけではないですよ。ただ、9月は大学生達にとって特別な意味があると思ったのです。ご存知のように欧米の大学(学校)は9月から新年度が始まる。夏休みともなれば付き合っているカップルもそれぞれの故郷に帰り、離ればなれに過ごし、いろいろな夏の出来事を経験したあとで、9月になればもう一度逢える。でも9月には別れが待っているのかもしれない、そんな大学生の、今風に言えば恋バナをテーマにしようと考えました。たまたま、まりやは慶應の4年生で、2枚目のLPでもキャンパス・ライフを大きなテーマにしてましたから。
そこですぐに思いついたのが、ハプニングスの「See You In September」とレターメンの「Sealed With A Kiss」でした。(文末にリンク)。
Q:楽曲の発注はどのような経緯だったのですか?
A:アーティストのパブリック・イメージと楽曲を結びつけるのはA&Rメイン仕事とも言えます。SEPTEMBERに関しては、まったく迷いがありませんでした。曲は林哲司さん、詞は松本隆さんにお願いしたのは僕の独断です。
林さんへの要望はフック・ラインにSEPTEMBERを使ってほしい、テンポはBPM90くらい、とそれだけでした。
松本さんとの仕事は初めてでしたが、キャンパス・ライフ、夏休み、出会いや別れ、秋の切なさ、ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味、こんなプロットを織り込んで一級品に仕上げることのできる作詞家は彼しかいないと思ってましたので、初顔合わせの打ち合わせも滞りなくすませることができました。
Q:レコーディング時のエピソードはありますか?
A:トラックができあがって、いざ歌入れと言うときになってまりやが「私は“借りていたディクショナリ”なんて歌いたくないわ。だってふつう使わないでしょ」と言い出したのです。スタジオにいた松本さんも一瞬凍りついていましたが、「それを言うならSEPTEMBERだってふつうは使わないんじゃないの。そもそもさぁ」という僕の一言で一件落着。いまでも彼女と会う度に笑い話としてこのことが話題にのぼります(笑)。
Q:バック・コーラスにはEPOさんが参加していますね。
A:そうです。弦と管をダビングしたあとでも、林さんはどこか納得のいかない様子でしたが、僕はコーラスが入れば極上のポップスに仕上がるという確信がありました。ベイシックのレコーディングが終わったときから、コーラスのアイディアはあったのですが、誰にやってもらうかが問題でしたね。いわゆるスタジオ・ミュージシャンは使いたくない。ポップスのニュアンスが出せる人はいないだろうか、と案じているところに現れたのがEPOなんです。たまたま会社に遊びに来ていた彼女を誘って編成会議用のテスト・レコーディングをしたんです。EPOが女声部を僕が男声部を歌いました。自分で言うのもなんですが、なかなかの出来で、テストではなくそのままレコードにしました。
林さんも納得のかなり凝ったポップ・コーラスに仕上がりました。スタジオを通りかかった山下クン(達郎)も、「やるねっ!」なんて生意気をこいてましたけど、、、笑。
Q:コーラス・アレンジはEPOさんですよね?
A:いや、あれはスタジオで僕が書いたヘッド・アレンジです。コーラス・アレンジをEPOとしたのは、社内的には誰も知らない彼女を、翌春にデビューさせたいと思っていたので、A&Rとしての社内世論形成のためですね。
Q:なにか言い残したことはありますか?
A:B面に収録した「涙のワンサイデッド・ラヴ」ですが、セカンド・アルバム用にまりやが書いたオリジナルなんです。素晴らしい曲です。しかしシンガーとしての竹内まりや像に囚われていた牧村さんも僕も、彼女のソングライターとしての資質を見逃していたような気がしますね。いまさらですが。
Q:お一人さま問答、お疲れさまでした。
A:お疲れしましたよ(笑)。
リンク:
ハプニングスの”See You In September”(オリジナルはテンポス 1959)
https://www.youtube.com/watch?v=NDKIs0v120s
レターメンの“Sealed With A Kiss”(オリジナルはブライアン・ハイランド 1962)
https://www.youtube.com/watch?v=XL9UT4n3d0w
「セプテンバー」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージック 竹内まりや公式サイトはこちら
http://www.sonymusic.co.jp/artist/takeuchimariya/
【筆者】宮田茂樹(みやた・しげき):1949年東京生まれ。A&Rマン、レコード・プロデューサー。82年にDear Heartレーベル(RVC)を、84年にはMIDI レコードを設立。 制作に携わった主なアーティスト大貫妙子、竹内まりや、EPO、ムーンライダース、リトル・クリーチャーズ、ジョアン・ジルベルト、トニーニョ・オルタ、Nobie。 現在は休職兼求職中。