本日、5月2日は鮎川誠の誕生日。1948年生まれ、福岡県久留米出身である。69歳になった。日本のロック界の生きる伝説にして、サンハウス、シーナ&ロケッツで新たな伝説を作り続ける偉大なミュージシャンだ。彼をリスペクトするミュージシャンは数多く、その影響力は計り知れない。
そして、本日は故郷・久留米「久留米座」で、「鮎川誠 生誕69年プレミアムライブ『SHEENA & THE ROKKETS ROCKIN' At KURUMEZA』」を開催する。
鮎川にとって、生まれ故郷での誕生日公演は生まれて初めてのこと。本日、5月2日(火)、午後7時から井筒屋の後にできたシティプラザにある「久留米座」というホールで開催される。“普通は落語やらやりようけど、その日はロックたい。69は一回しかないけ、ロックなバースディを、皆さんよろしくね”(鮎川誠)という。本日になるが、行ける方は飛行機、電車、車などを乗り継ぎ、同所まで駆け付けて欲しい。
69歳になっても“生まれて初めてのこと”があるというのは喜ぶべきことだろう。今年は69歳というロッカーにとって記念すべき年らしく、“生まれて初めて”が続出しているようだ。
4月23日 (日)には 鮎川が福岡ヤフオク!ドームで行われた福岡ソフトバンクホークス対楽天ゴールデンイーグルス戦の始球式を務めている。この日のゲームは福岡の祭り「博多どんたく港まつり」の開催を記念した「どんたく博多デー2017」として行われることから、「福岡・博多発“めんたいロック”の象徴である鮎川に始球式を」と鮎川に白羽の矢が立ったそうだ。鮎川がプロ野球の始球式に登場するのは今回が“生まれて初めてのこと”。少年時代は自分のバットやグローブを持ち、草野球チームの一員として、隣町のチームと対戦していたという。ポジションはサードかショートで、打順も3番など、割と良かったそうだ。当然、ライオンズ(西鉄~クラウンライター~太平洋クラブ)のファンで、平和台球場へもよく行ったという。その鮎川がホークスの帽子を被り、ユニフォーム(背番号は「4769」!)を着て、マウンドに立ち、バッターのサザエさん(!)に投じた一球。「ライブより緊張した」らしく、「歯がいかぁ」と、残念ながらキャッチャーミットめがけ、ノーバウンドとはならなかったが、球場は大いに盛り上がった。
さらに6月、「鮎川誠 生誕69年×音楽生活50周年記念! シーナ&ロケッツ 47ROKKET RIDE TOUR東北」として、シーナ&ロケッツ史上初の東北ツアー(青森・岩手・宮城)が決定している。
仙台で開催された伝説のロックフェス「ロックンロールオリンピック」に最多出演し、東北の各地で公演をしているものの、東北ツアーは“生まれて初めてのこと”だという。現在、「シーナ&ロケッツ47都道府県横断ツアー」を展開中だが、その一環として行われる。今回の仙台公演は実に数十年ぶり。東北のシーナ&ロケッツ・ファンはさぞや、心待ちにしていることだろう。
1971年に出会い、1978年にシーナ&ロケッツとしてデビューしてから、2015年2月14日に亡くなる、その2か月前までステージに立ち続けたシーナ。鮎川は生涯ロックシンガーを貫いた愛妻シーナを偲んで、毎年、彼女が暮らし愛した東京・下北沢のライブハウス「GARDEN」で、4月7日と4月8日を「シーナの日」として、シーナに捧げるロックンロールパーティを開催している。今年も4月7日(金)、8日(土)に同所で、第3回目の「シーナの日」(「『シーナの日』#3〜シーナに捧げるロックンロールな夜〜」)が行われた。鮎川誠とシーナの愛娘であるダークサイドミラーズのLUCY MIRRORをフィーチャーして、行われた同パーティ、4月7日には細野晴臣がスペシャル・ゲストとして出演した。
シーナ&ロケッツが広く知られるようになったのは、いうまでもなく1979年にアルファへ移籍、同年10月、細野晴臣プロデュースで、細野、高橋幸宏、坂本龍一というYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が参加したアルバム『真空パック』からである。当初はロックンロールとテクノポップの合体(野合!?)に違和感を抱くものも少なくなかったが、同作からシングル・カットされた「ユー・メイ・ドリーム」が、JALの「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用され、大ヒットを記録。結果として多くの人に知られることとなる。続く『チャンネル・グー(Channel Good)』(1980年10 月発売。細野晴臣・高橋幸宏プロデュース。YMO参加)、『ピンナップ・ベイビー・ブルース(Pin-up baby blues)』(1981年9 月発売。ミッキー・カーチス・プロデュース)、『クール・ソロ(KOOL-SOLO)』(1982年2月発売。鮎川ソロ・アルバム)、『いつだってビューティフル(BEAUTIFUL)』(1982年12月発売。シーナ・ソロ・アルバム。細野プロデュース。YMO参加)をリリースするなど、アルファで一時代を築くことになる。
細野とはビクター移籍後も1997年8月に発売された『@HEART』を彼がプロデュースするなど、交流が続くが、ライブでの共演は『@HEART』のリリース記念ライブ(97年9月19日、東京・恵比寿リキッドルーム)以来、およそ20年ぶりとなる。ちなみにシーナ&ロケッツの30周年記念ライブ(2008年5月1日、恵比寿ガーデンホール)にも多数のゲスト陣と共演した際に1曲だけ、細野も出演。また、一昨年2015年12月に細野晴臣主催の「デイジーワールドの集い」に鮎川がゲスト出演。鮎川のソロでのライブに細野が参加しているが、細野単独で、シーナ&ロケッツに加わり、かつ、何曲も演奏するというのはやはり20年ぶりのこと。
その20年ぶりの共演だが、シーナ&ロケッツに細野がベースとして加わり、シーナ&ロケッツの『チャンネル・グー』、シーナの『いつだってビューティフル』に収録された「浮かびのピーチガール」(作詞:糸井重里・作曲編曲:イエロー・マジック・オーケストラ)、同じく『いつだってビューティフル』に収録された「ワイ・ワイ・ワイ」(作詞:仲畑貴志・ 作曲編曲:細野晴臣)、そして 細野の歌で、『Heavenly Music』(2013年5月に発売された細野晴臣のオリジナル・アルバム)でカバーしたスタンダード「カウカウブギー 」、同じくカバーしたスタンダード「ハウス・オブ・ブルーライト」、 そして、『泰安洋行(Bon Voyage co.)』(1976年7月に発売された細野晴臣の3枚目のスタジオ・アルバム)に収録されている名曲「PomPom蒸気」、さらにアンコールではシーナ&ロケッツと細野の歌と演奏で、チャック・ベリーを追悼して、「Come On」と「ジョニー・B・グッド」を演奏している。
SNSなどでは近年で一番、細野がロックンロールしていたと話題になったが、興味深く、注目すべきは「浮かびのビーチガール」について、鮎川と細野が言及したこと。同曲、もともとはある企業のCMのために書き下ろされたものだったが、コンペの結果、選に漏れたという。2006年に行われたアルファ時代のアルバム・リイシューの際、ライナーノートのためのインタビューにもCMコンペに敗れ、タイトルを「浮かびのピーチガール」として書き換え、自らのアルバムに入れたというエピソードが語られてはいるが、そのことを当事者2人がステージで赤裸々に話すというのは初めてのことだろう。
同曲、元々の曲名は「浮かびのピーチパイ」で、その競作相手は竹内まりやだった。コンペで競ったのは資生堂化粧品80年春のキャンペーン・ソングとして、オリコン最高3位、40万枚を超えるヒットとなった竹内まりやの「不思議なピーチパイ」だったのだ。曲を作ったのは加藤和彦と安井かずみのコンビ。細野は加藤に負けたのなら仕方ないと言っていたが、同作がCMに起用される、CMに起用されないで、両者にとって、違った展開や歴史があったかもしれない。歴史に「もしも」はないが、そのことを考えると、不思議な運命の巡りあわせみたいなものを感じさせる。
その日、細野と鮎川は、ライブだけでなく、アルバムでも共演しようと宣言(!?)していた。20年ぶりの共演を契機にどんなものが生まれるのか、楽しみでならない。
気の早い話だが、鮎川は来年、70歳になる。古希の祝いなど、ロックンローラーに相応しくないが、70歳を前に躍動する69歳に触れていただきたい。まだまだ、“生まれて初めてのこと”がありそうだ。ロックロールの未来を見た。その名は鮎川誠である。
なお、鮎川とシーナの物語は、昨年8月に出版された『シーナの夢 若松,博多,東京,HAPPY HOUSE 語り 鮎川誠』(西日本新聞)という本に綴られている。同書は、“シーナとの出会いから、シーナ&ロケッツ結成秘話、そして、ずっと一緒に歩んできた日々”…を鮎川が2015年3月、2月14日に亡くなったシーナの四十九日法要の翌日に福岡県北九州市若松区にある彼女の実家で行ったロング・インタビューを放送し、第11回放送文化ラジオ部門グランプリを受賞したCROSS FMの番組「HAPPY HOUSE~The family’s Starting point」を書籍化したものだ。鮎川誠という男を知るためには必読。鮎川のシーナへの深い愛を感じ、心が温かくなる。是非、読んでいただきたい。
5/02(火)鮎川誠 生誕69年プレミアムライブ @久留米シティプラザ 久留米座
6/16(金)仙台enn 2nd 47 ROKKET RIDE TOUR
6/17(土)盛岡the five morioka 47 ROKKET RIDE TOUR
6/18(日)青森Quarter 47 ROKKET RIDE TOUR
主催:ロケットダクション
問い合わせ:ロケットダクション>
【執筆者】市川清師(いちかわ・きよし):『MUSIC STEADY』元編集長。日本のロック・ポップスに30年以上関わる。同編集長を退任後は、音楽のみならず、社会、政治、芸能、風俗、グラビアなど、幅広く活躍。共著、編集に音楽系では『日本ロック大系』(白夜書房)、『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス 森山達也 from THE MODS』(JICC)、『MOSTLY MOTOHARU』(ストレンジデイズ)、『風のようにうたが流れていた 小田和正私的音楽史』(宝島社)、『佐野元春 SOUND&VISION 1980-2010』(ユーキャン)など。近年、ブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」で、『MUSIC STEADY』を再現している。