45年前の今日4/25あがた森魚「赤色エレジー」リリース~ベルウッド・レコード設立【大人のMusic Calendar】

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4月25日は、あがた森魚のデビュー・シングル「赤色エレジー」が発売された日である。と同時に、はっぴいえんどや大瀧詠一や細野晴臣のソロ・アルバム、それに、はちみつぱいやザ・ディランIIなど、日本のフォークとロックを代表する名盤の数々を生み落とした伝説のレーベル、ベルウッド・レコードが設立した日でもあるのだ。

赤色エレジー,あがた森魚

ベルウッド・レーベルは、キング・レコードに在籍していた三浦光紀が発足させたレーベルだ。以前から、日本のフォークやロックに関心を持っていた三浦は、小室等の『私は月には行かないだろう』、高田渡『ごあいさつ』などのアルバムを制作する。これだけではなく、70年に中津川でおこなわれた全日本フォーク・ジャンボリー出かけ、このイヴェントの模様をレコーディングした。その際に、会社に無断で録音機材を持ち出し、あとで問題になったというエピソードも残っている。

その三浦が、キング・レコードでレーベル内レーベルとして設立したのがベルウッド・レーベルであった(後に会社として独立)。72年4月25日の第一回新譜に選ばれたのが、六文銭『キングサーモンのいる島』、高田渡『系図』、山平和彦『放送禁止歌』の3枚のアルバム、そして、友部正人「一本道」、あがた森魚「赤色エレジー」のシングルだった。

六文銭『キングサーモンのいる島』,高田渡『系図』,山平和彦『放送禁止歌』

輝かしきベルウッドの最初のカタログ・ナンバーを飾った「赤色エレジー」は、林静一が漫画雑誌「ガロ」に連載した同名の劇画をモチーフにした曲で、ノスタルジックな雰囲気と、恋愛の苦さとが複雑に絡み合った名曲だ。当時の世相とも相まって、この曲は売れに売れて、60万枚を超える大ヒットとなった。出発したばかりで、まだ海のものとも山のものともつかないベルウッド・レーベルにとって、この最初の大きなセールスは、大いなる追い風になった。その後このレーベルが順調に成長していったのは、「赤色エレジー」のヒットのおかげと言ってもいいだろう。

このシングルのバッキングをつとめたのは、鈴木慶一率いるはちみつぱいで、彼らもまたベルウッド・レーベルからアルバム『センチメンタル通り』で、レコード・デビューを飾っている。「赤色エレジー」でのデビューから、今年はちょうど45年目となる。これをアニヴァーサリーとして、あがた森魚とはちみつぱいが再び集結。共同名義による新作アルバム『べいびぃろん』がリリースされる。全曲書き下ろしのオリジナル曲で、プロデュースはベルウッド・レコード創始者である三浦光紀。これは期待していいだろう。

べいびぃろん

ザ・ベスト・ソング・オブ・ベルウッド

これだけではなく、ベルウッド創立45周年を記念した『ザ・ベスト・ソング・オブ・ベルウッド』(3枚組)が発売される。収録されるのは、はっぴいえんど、高田渡、あがた森魚、細野晴臣、いとうたかお、西岡恭蔵、大瀧詠一、南正人、中川五郎、小室等、ザ・ディランII、友部正人、ごまのはえ、そして先日惜しまれつつも亡くなってしまった加川良。さらには、矢野顕子&細野晴臣による「ろっかばいまいべいびい」の未発表ライヴ・ヴァージョンまで収められているが、このアンソロジーはそのまま日本のフォークとロックの歴史であると言える。

【執筆者】小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。

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