「ルビーの指輪」編曲「井上鑑」80年代が求めた都会派サウンド
公開: 更新:
【大人のMusic Calendar】
1981年の年間ナンバーワン・ヒットとなった寺尾聰の「ルビーの指輪」。今、振り返るとここまで洗練された洋楽的なサウンドの楽曲が、ミリオンセラーにまで至ったのは大いなる衝撃であった。演奏陣の的確かつ随所で光るプレイと、それを束ねるアレンジの妙。ここまで緻密で尖ったサウンド・メイクが大衆的な支持を受けることは、それまでの日本の音楽シーンにはなかった現象である。この「ルビーの指輪」の編曲を手がけたのが井上鑑。1953年9月8日、東京都生まれのキーボーディストであり、編曲家である。
井上鑑はチェリストの井上頼豊を父に持ち、桐朋学園大学音楽学部作曲家在学中よりCM音楽などを手がけるようになり、同時にキーボード奏者としても活動を始めた。
高校生のとき、西武系のコピーライターをつとめていた叔母から、イラストレーター山口はるみが「You’ve Got a Friend」を歌うためのカラオケのピアノ演奏を頼まれ、飛行館スタジオに出向いた井上は、そこでON・アソシエイツ音楽出版の大森昭男と出会い、これがCM音楽の仕事を始めるきっかけとなった。同時期にプレイヤーとしても米軍キャンプやディスコなどで演奏していた。
アレンジャーとしての初期の作品には79年にリリースされたシンガー・ソングライター絵夢の5枚目のアルバム『バリエーション』がある。だが、これより前にキーボーディストとして都倉俊一作品に多く関わり、ことにピンク・レディーのレコーディングには「S・O・S」以降ほとんど参加している。また、ディレクター飯田久彦の発案で、井上をはじめピンク・レディーのレコーディングメンバーを使ってステージを行うという企画が立ち上がり、半年近く全国を回る経験もしている。
その後、井上はミュージシャン集団「パラシュート」に参加。前任者の小林泉美が脱退した後で、当初はサポート・キーボードとしての参加であったが、その後正式メンバーとなった。他のメンバーは林立夫、松原正樹、今剛、斉藤ノブ、マイク・ダン、安藤芳彦と、当時超一流のスタジオ・ミュージシャンたちが集まったスーパー・バンドで、日本のTOTOなどと呼ばれた。彼らは4枚のアルバムを発表しているが、今聴いても80年代前半の日本の音楽シーンのクオリティの高さが実感できる。
このパラシュートが全面参加して制作され、爆発的なヒットとなったのが寺尾聰のアルバム『リフレクションズ』と、シングル「ルビーの指輪」である。寺尾が全楽曲を作曲、井上鑑が全曲のアレンジを手がけたが、きっかけは東芝の武藤敏史ディレクターからの「ヨーロッパっぽい大人のロックをやっている俳優がいるので、アレンジをお願いできないか」との依頼だった。武藤はザ・リガニーズのギタリスト出身で、オフコースのディレクターとして知られ、彼らのアルバム『ワインの匂い』を制作する際、レコーディングに500時間もかけてしまったという伝説の人物でもある。寺尾は名優・宇野重吉の実子で、俳優として活躍していたが、60年代にはザ・サベージのベース&ヴォーカルとして活動した経験もあった。
そうして渡されたデモテープの中に「ルビーの指輪」があったが、当時井上はおしゃれな曲、そして跳ねた曲だと思ったという。シャッフル系の曲はまだ日本でポピュラーではなく、ヒットするとは思っていなかったと述懐している。
当時井上は盟友であるギタリスト今剛と、スティーリー・ダンのような音楽をやりたいという思いがあり、『ガウチョ』のような音作りを試そうと考え、寺尾もそれを喜んで、楽しみながら自由にレコーディングしたという。その結果、いい意味で力の抜けた寺尾のヴォーカルと井上が構築した都会派サウンドが合体し、さらに松本隆のクールな中に哀愁を漂わせる詞が乗り、80年代を代表するシティ・ポップのメガ・ヒットが生まれた。当時、こういう先進的な洋楽風のサウンドが日本で大ヒットすることは稀であり、その意味でも井上鑑の仕事は大変に意義のあるものであった。
寺尾聰は『リフレクションズ』から「ルビーの指輪」のほか「シャドー・シティ」「出航SASURAI」の3曲がシングル化され、いずれもヨコハマタイヤのCMソングに起用されている。同CMでは井上自身も「Gravitasions」を発表しており、その後大瀧詠一が作曲した稲垣潤一の「バチェラー・ガール」も井上鑑のアレンジで、同CMに起用されている。
井上と大瀧詠一の関わりも古く、これもまた前述の大森昭男の紹介によるもので、最初に関わった大瀧の仕事は、三ツ矢サイダーのCMソング「サイダー’77」。クリスタルズの「ダ・ドゥー・ロン・ロン」風の音作りで、3連のハネたピアノを弾いているのが井上鑑だ。もともとクラシック畑だった井上にとって、アメリカン・ポップスはルーツになかったが、大瀧との出会いによってポップスの面白さを知ることができたそうである。
逆にクラシックの素養が深く、ストリングス・アレンジに長けた井上を大瀧は重用し、82年3月の『ナイアガラ・トライアングルVOL.2』の「白い港」でストリングス・アレンジを依頼、このアレンジに感激した大瀧は同年6月に『NIAGARA SONGBOOK』を制作、全面的に井上が弦アレンジを手がけることとなった。この82年には大瀧が松田聖子に提供した「風立ちぬ」でもストリングス・アレンジを施し、83年にもやはり大瀧作曲の薬師丸ひろ子「探偵物語」でもエレガントなオーケストレーションをきかせている。
寺尾聰と大瀧詠一は、ともに81年にセールス的な大ブレイクを果たすが(同年のアルバム・セールス1位は『リフレクションズ』、2位は大瀧の『A LONG VACATION』)、その両者に井上鑑が関わっていたことは偶然ではない。時代が井上鑑的なサウンドを求めていたことの証明といえるだろう。
井上鑑がアレンジを手がけたアーティストは、浅香唯、THE ALFEE、稲垣潤一、福山雅治、山本達彦など数多く、いずれもシティ・ポップの洗練された音作りが印象深い。ことにそれ以前のアレンジャーからアーティストを引き継いだ場合、ガラリと印象が変わるほどポップに変化することが多く、ハイ・ファイ・セットの「素直になりたい」や、郷ひろみの「哀愁ヒーローPart1」、小泉今日子の「The Stardust Memory」など、いずれもそのシンガーの転機となる、サウンド的に1ランク上を目指した楽曲であった。ロンドン録音を敢行した杏里のアルバム『TROUBLE IN PARADISE』では実質上のサウンド・プロデューサーをつとめ、シンクラヴィアを使用し尖ったサウンド・メイクを施している。
2007年の大晦日に放送された第58回NHK『紅白歌合戦』で、寺尾聰が「ルビーの指輪」で久しぶりの出場を果たした際、四半世紀を経ても古びない井上アレンジと、充実したメンバーによるプレイに多くの視聴者が驚きの声をあげた。ドラムス山木秀夫、ベース高水健司、ギター今剛、パーカッションにクリストファー・ハーディ、ホーンセクションが菅坡雅彦、村田陽一、近藤和彦。そしてキーボードはもちろん井上鑑。彼らが奏でるサウンドの海を楽しそうに泳ぎながら歌う寺尾の姿は、音楽を楽しむ喜びに溢れ、見事な大人の音楽人の競演であった。
【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。