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9月29日は、“キラー(The Killer)”という愛称で親しまれた伝説のロックンローラー、ジェリー・リー・ルイスの誕生日。1935年ルイジアナ生まれの彼は、本日で82歳となる。今年(2017年)3月に届いたチャック・ベリーの訃報により、ロックンロール・オリジネイターと呼ばれる人のほとんどが鬼籍に入った現在、ジェリー・リー・ルイスはファッツ・ドミノとともに、数少ない“生けるロックンロール・オリジネイター”のひとりとなっている。
彼の出発点となったのは、あのエルヴィス・プレスリーを輩出したメンフィスのサン・レコードだった。デビュー・シングルの「クレイジー・アームズ」をリリースしたのは56年12月のこと。すでに2年前にサン・レコードからデビューを飾り、56年には全米中の女の子から黄色い歓声を浴びるスター歌手となっていたエルヴィスの背中を追いかけて、ジェリー・リー・ルイスもロックンロールの大波に乗ることになる。
ジェリー・リーとエルヴィスといえば、あの伝説の“ミリオン・ダラー・カルテット”を思い出すロックンロール・マニアもいるはずだ。これは、56年12月4日にサン・スタジオで行なわれた即興ジャム・セッションのことで、エルヴィス、ジェリー・リーのほか、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュが参加。当時のジェリー・リーは無名の新人だったが、この模様が地元紙で記事になったことで、彼にも俄然注目が集まった。
ジェリー・リー・ルイス初の全米ヒットとなったのは、57年の「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」で、チャート3位まで上昇。その後も「火の玉ロック」(57年全米2位)、「ブレスレス」(58年全米7位)と大ヒットを連発して一躍人気者となったが、彼が22歳だった58年、親戚の13歳の少女と結婚していたことが発覚して世間から大バッシングを受けてしまう。このテのスキャンダルに厳しい日本では完全に一発アウト、芸能界から即刻退場となるケースだが、日本よりも寛容であるはずのアメリカであっても、この一件はさすがにダメだったようで、彼の人気は急落。それでも、ジェリー・リーはロックンロールへの情熱を失わずに音楽活動を続け、68年にカントリー・ミュージックに転向するまでの間、素晴らしいロック・レコードを出し続けた。
この時期の作品でぜひともオススメしたいのが、64年のアルバム『ライヴ・アット・ザ・スター・クラブ、ハンブルク』だ。これは、64年4月5日にドイツのハンブルクで行なわれた伝説的なライヴを収めたもので、当時はドイツのフィリップス・レコードから発売されて、その後、イギリスやフランスからも発売されたが、本国アメリカで陽の目を見るのは、なんとCD時代になってからだった。つまり、このライヴが行なわれた64年当時のジェリー・リー・ルイスは、本国よりもヨーロッパでのほうが人気が高かったのであり、観客の熱狂的な様子を捉えたこの音源は、それを実証するものでもあった。
このライヴ盤を聴いていると、髪の毛を振り乱しながら、叩きつけるようにピアノを演奏するジェリー・リーの姿が目の前に浮かんでくる。これぞロックンロールの醍醐味だ。ニール・セダカもエルトン・ジョンもビリー・ジョエルもベン・フォールズも、みんな彼のピアノ・プレイに打ちのめされた。ジェリー・リー・ルイスは文字どおり、ロックンロール・ミュージック界の“キラー”なのである。
【著者】木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。