ライブ録音をわずか10日後に発売した外道とは?
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外道とはよく付けた名前だ。元々は仏教用語なのだが、それが転じて、人の道から外れたもの、邪悪なもの、といった意味になる。つまりはアウトサイダー。グループ名の由来は彼らのライヴを見ていた警官から、「外道!」と罵られたからとも言われている。これぞまったくロックそのもの。
ギター/ヴォーカルの加納秀人を中心に、ベースの青木正行、ドラムスの中野良一からなるギター・トリオ。加納は北海道出身で、19歳の時に、後にゴダイゴの一員となる浅野孝己が在籍していたことで知られるThe M(エム)に短期間ながら加入。青木は関西でカルトな動きをしていたトゥー・マッチの出身。
ドラムスの中野良一が町田周辺の族の頭だったという説がある。族というのは現在で言うところの暴走族で、この頃は名称がカミナリ族からサーキット族へと移行する時期でもあった。そんな事もあり、外道は、最終学歴が中学校(高校中退)で改造バイクが大好きといった一派から、強烈な支持を集めた。
ド派手は着物をガウン代わりに纏い艶めかしいメイクを施した加納、ドラム・セットの前には真っ赤な鳥居がそびえ立つ。このグラマラスでキッチュな雰囲気が外道のステージングであった。まるで見せ物小屋のようにおどろおどろしい。ギミックな要素にばかりに目がいってしまうが、ひとたび音を発すれば、本格的なブリティッシュ・ハード・ロックをベースとしたサウンドで、加納秀人の超絶ギターが火を噴く。
この外道に目を付けたのがミッキー・カーティスであった。当時彼はトリオ・レコードの契約プロデューサーをしていたのだが、気に入ってすぐに横浜野音のステージをライヴ・レコーディングした。持ち込んだ機材は、8トラックのテープ・レコーダー。その10日後に発売されたのが、ファースト・アルバムの『外道』だ。時間がないのでジャケットを作っている暇などない。ボール紙にスタンプで「外道」と押しただけで、まるでオフィシャル・ブートレグのような形でリリースされた。客席からの下卑た野次が渦巻く中を外道が登場してくる。最初の音が出てきた瞬間に、それらを吹き飛ばし、一挙に熱狂の嵐をまきおこしていく。これが外道のライヴだ。うねりまくるドライヴ感、暴力的に突き刺さっていく加納秀人のギター。当時の日本ロック・シーンでも抜きんでた存在だった。
歌詞は日本語で歌われている。それも、<日本語のロック>といった、観念的な括りではなく、もっと天然で粗野。脳天気でハチャメチャな歌詞に聞こえるが、その中に明快なメッセージが横たわっている。ある意味では、初期のRCサクセションが表現の道具としてフォークを選び取ったのにたいして、外道はロックを選択したと言ってもいい。
一度耳にすれば、こんなバンドが日本にいたのかと衝撃を受けるはずだ。そのデンジャラスでスキャンダラスな存在感は、未だに際だっている。外道に向かって礼! 本日9月21日は、外道のファースト・アルバム『外道』が発売された、記念すべき日であるのだ。
【著者】小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。