ミニ・スカートの女王・ツイッギーの誕生日
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【大人のMusic Calendar】
スーパーモデルという言葉が知られるはるか前の1967年、世界的に有名になったモデルがいた。ツイッギーである。彼女はモデルにしては167センチと小柄で、スリムな体形だった。ショートヘアや服装は中性的に見え、痩せて不健康だと言う人もいた。しかし彼女はロンドン、パリ、ニューヨークなど世界のファッションの中心地をかけめぐり、行く先々でセンセイションを巻き起こした。
1967年といえば、サンフランシスコのヒッピー・ファッションやサイケデリック・ロックが注目され、サマー・オブ・ラヴという言葉が生まれた年だ。夏にはスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」がヒットし、初の大規模なロック・フェスティヴァルのモンタレー・ポップ・フェスティヴァルが行なわれ、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンが脚光を浴びた。ビートルズは極彩色のコンセプト・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表しロックのイメージを新しい次元に引き上げた。そして全世界同時衛星中継のテレビ番組で「愛こそはすべて」を演奏した。
サンフランシスコだけでなく、ロサンゼルスが、ニューヨークが、ロンドンが、パリが、新しい音楽や若者文化の発信地となった。ビートルズやローリング・ストーンズの音楽が録音されたロンドンからは、ザ・フー、ヤードバーズ、クリーム、トラフィック、ピンク・フロイドなど新しいグループが次々に飛び出し、ピンク・フロイドが出演していたUFOクラブには、ミュージシャンや俳優やファッション関係者がつめかけた。
ロンドンのファッションの世界では、マリー・クワントのミニ・スカートやホット・パンツや化粧品が話題を集め、カーナビー・ストリートやキングス・ロードには流行のモードを求めて世界中から若者や観光客が集まった。スウィンギング・ロンドンと呼ばれたその時期のロンドンを視覚的に象徴していた存在がツイッギーだった。日本にも訪れた彼女は「ミニ・スカートの女王」と呼ばれて若い女性の憧れを集め、チョコレートや車のCMに登場した。
彼女は1970年代には俳優として映画や舞台やテレビに進出、歌手としても活動を開始した。「一生洋服のハンガーでいるわけにはいかないわ」というのが、当時の彼女の有名な言葉だ。といってもモデル業をやめたわけではなく、デイヴィッド・ボウイのアルバム『ピンナップス』のジャケットにはボウイと一緒に登場した。
俳優としての評価も高く、映画でゴールデン・グローブ賞をとり、ブロードウェイ・ミュージカルでトニー賞にノミネートされたこともある。映画『ブルース・ブラザース』にはカメオ出演もした。歌手としてのいまのところ最新のアルバムはスタンダードを中心にした『ロマンティカリー・ユアーズ』だ。
しかし彼女はいまも世界的には60年代のポップ・カルチャーを代表する顔として記憶されている。ピチカート5のヒット曲「ツイッギー・ツイッギー」は、彼女にあこがれ、彼女のようなスカートをはく女性の歌だが、そこでも60年代のツイッギーがイメージされている。
【著者】北中正和(きたなか・まさかず):音楽評論家。東京音楽大学講師。「ニューミュージック・マガジン」の編集者を経て、世界各地のポピュラー音楽の紹介、評論活動を行っている。著書に『増補・にほんのうた』『Jポップを創ったアルバム』『毎日ワールド・ミュージック』など。