【大人のMusic Calendar】
9月12日はジョニー・キャッシュの命日だ。キャッシュは1932年2月26日、南部の貧しい家に生まれ、失業救済局作業場で綿花を育て生計を立てる家族の手伝いをしながら幼少期を過ごした。歌と釣りが唯一の気晴らしで、ラジオで聴く歌はすぐ覚えたという。
1954年、ヴィヴィアン・リベルトと最初の結婚をしたキャッシュはメンフィスに住居を移す。そこで当時、テネシー・トゥと呼ばれ活動していたルーサー・パーキンス、マーシャル・グラントの二人と知り合う。彼らと共にゴスペルトリオを始めたキャッシュは1955年、サン・レコードから「ヘイ・ポーター」でデビュー。本人はゴスペルのつもりだったが、ロカビリー色の強いサウンドのため、カントリーとされた。
その後、「アイ・ウォーク・ザ・ライン」「フォーサム・プリズン・ブルース」、「リング・オブ・ファイア」など数々の名曲で全米チャートを賑わせた。一方私生活では、長年、薬物中毒に悩まされていた。一時期、重度のアンフェタミン中毒のウェイロン・ジェニングスと同居することもあった。コンサートツアー中も薬物に依存し、生活は乱れ、一人目の妻リベルトと1966年に離婚。彼のアウトロー・イメージが確立された。
キャッシュはその生涯で米国各地の刑務所での慰問コンサートを数多く行っている。フォルサム刑務所の食堂にレコーディング機材を持ち込み、1968年にリリースされた『At Folsom Prison』は、レコード会社に発売を反対されたが、結果的にカントリー・チャートの1位に上がり、現在、米国アルバム・チャート・トップ15に入っている。以降、彼は「マン・イン・ブラック」と呼ばれる。いつも全身黒の衣裳、膝丈の黒のロング・コートを着用していたのは、貧困や飢えに苦しむ人、長年罪を償い続けている囚人、失われた命への追悼の気持ちがあったからだ。
1968年の刑務所慰問ツアーから彼の死の数ヶ月前まで、音楽評論家ヒルバーンはキャッシュを取材し続け、その記録は『Johnny Cash: The Life』という一冊にまとめられている。
1971年、ベトナム戦争への自らの意見を盛り込んだアルバム『マン・イン・ブラック』を発表。タイトル曲では「まだ解決策を見つけられていない。世の中に暗闇が広がっている間、黒を着続ける」と主張。ヒップホップMC、俳優のスヌープ・ドッグは彼を「オリジナル・ギャングスタ」と呼ぶ。スヌープは、彼の息子であるジョン・カーター・キャッシュとビヨンセの父マシュー・ノウルズのプロデュースの元で『Johnny Cash Remixed』を出している。
キャッシュは反戦歌やアフリカ系アメリカ人公民権が盛んに歌われていた時代、ただ一人インディアンのプロテスト・ソングを歌っていた。
インディアンに関する認識がまだ低かった1964年にリリースした『ビター・ティアーズ』では、インディアンのピーター・ラファージの曲をカヴァーしている。このアルバムは大きなセールスにはならなかったが、ここに収められている「アイラ・ヘイズのバラッド」はシングルとしてヒットし、キャッシュの代表曲の一つとなった。元々ファンだったラファージ本人はこのことに大喜びし、キャッシュはフォーク界でも歓迎されることとなる。
同時期のニューポート・フォーク・フェスティバルではボブ・ディランと初めて対面した。キャッシュは1963年の『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』を発売当初からコンサートの演奏前後に流していた。ディランは1956年の「アイ・ウォーク・ザ・ライン」以来、ずっとキャッシュのファンだった。お互いファンだった二人は意気投合し、宿泊先の寝室で子供のようにはしゃいで飛び跳ねた。
以来、二人の交友関係は40年間続いた。両者ともウディ・ガスリー、カーター・ファミリー、ジミー・ロジャーズ、ハンク・ウィリアムス、英国のバラッドを愛し、過去のヒーローの真似をすることによって自己表現している。ただし真似るということは、芸術家が携わってきた全ての物事に自ら携わることである。だからこそ二人は歴史や古い詩人と歌人の過去を追い求め続けたのである。
1970年にはクリス・クリストファーソンの「Sunday Mornin' Comin' Down」を『ジョニー・キャッシュ・ショー』でカヴァーした。この中に大麻でキマりたいという表現を使った放送禁止用語があったため、テレビ局から“歌詞を替えろ”という指示が出たが、キャッシュは拒否して最後までその内容の歌詞で歌い切った。その後、この「Sunday Mornin' Comin' Down」はNo.1ヒットになっている。
後年、糖尿病に伴う自律神経失調症にかかり入退院を繰り返していたキャッシュは、2003年9月12日、4か月前に亡くなった妻ジューンを追うように71年の生涯を終えた。
ボブ・ディランはキャッシュのことをこう語る。「彼は船の方向を先導する北極星だ。過去も現在も偉人中の偉人である。我が国の魂が何なのか、どんな意味を持つのかを簡単な言葉で語っている。一人の人間としての彼を思うとき、より重要なのは、彼が真実、美、光の源だったという事実だ。死とは何かを知りたいなら、マン・イン・ブラックに耳を貸せばいい。深遠な想像力の持ち主だった彼は、その才能を人間の心の様々な間違いや過ちを表すために発揮した」。
【著者】子安文(こやす・ふみ):音楽家。ブックエンド・スタジオでベースと英語とドイツ語を教える。ジャズ・ライフ、ドラム・マガジン、ギター・マガジン、ベース・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。宇都宮隆、Jonathan Kalb、R.B.Stoneなどとツアー。 CDのライナーノーツ、テレビ出演、共著、著書など多数あり。