あの日の選択次第では“お笑いの歴史”が変わっていたかも?
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5日(木)、webラジオ「コトブキツカサのオールナイトニッポンi」第10回が配信され、浅草キッドの水道橋博士が編集長を務めるメルマガ「メルマ旬報」の話題に触れた。
「メルマ旬報」は、連載陣50人以上で構成される日本最大級のメールマガジン。コトブキは、若手芸人時代にお世話になったという「フォークダンスde成子坂」の故・村田渚との思い出を綴った「マン・オン・ザ・ムーン〜僕と村田渚の物語」という連載を担当している。
この「メルマ旬報」で先日、“ある出来事”があり驚かされたと語るコトブキ。それは発行初期から連載を担当していたダイノジ大谷の「メルマ旬報」卒業宣言。水道橋博士のツイッターによると「メールで知らされた」とのことで、卒業する理由も「楽しくないことはもうしない」というものだったという。
「先輩がプロデュースしているメルマガでの連載を「楽しくないから」という理由で辞めるのは、ちょっとビックリ」と自身の感想を述べつつも、「大谷君は、今回に限らず『こう思ったらこう!』みたいなまっすぐな性格だから」と解説。
実は、コトブキが「メルマ旬報」で連載をするキッカケを作ってくれたのも、ダイノジ大谷であり、映画の仕事を始めたばかりの頃に、トークイベントに呼んでくれたこともあり、お互いのラジオにゲストで呼び合ったりと、「特別仲が良いわけではないけど、ちょっと不思議な縁がある」と語る。
また、「ネタにされることもあるけど、ダイノジ大谷くんの“熱”とバイタリティーはやっぱりすごい。僕は、ダイノジというコンビはお笑い界の中心にいてもおかしくない存在だと思っている。」と語り、「M-1の初回でもファイナリストだったけど、実はダイノジは、本番当日に審査員の顔を見て新作の漫才が不安になり、営業でやりなれているネタに変更したと言われている。もし、新作のまま勝負していたらその後の歴史が変わっていたかも…」と力説。
しかし、「まっすぐさが裏目に出てたびたび“やらかす”ことがあるのが大谷くん。でも、それも大谷くん。」とコメントした。また、「メルマ旬報」の連載を続けていく中で「忘れていた自分の過去についても思い出した」と、若手時代のエピソードも語った。
かつて所属していた芸能事務所では、芸の幅を広げる目的で、お笑い以外のレッスンを受けることがあったと語る。ある日行ったパントマイムの授業では、講師の演出家に「お前ひとり全然できてない」と指摘され、居残りを命じられたという。
その時のパントマイムは、「木の棒を持っていると思って、それを折る」がお題。コトブキ自身、真剣にやったつもりだったが、演出家からは「お前だけ、まったく木が見えてこない」と、厳しいダメ出しを受けたと語る。
その後も必死でパントマイムを続けたものの、演出家はOKを出さず時間だけが過ぎていく状態。自分が終わらないと他の生徒も帰れないため、焦りと緊張感の中で、ひたすら同じパントマイムを続けたと振り返る。どうすれば演出家が納得してくれるのかわからず困り果てていると、演出家はコトブキに対して“ある提案”をしてきたという。その提案に驚いたコトブキは行動に移すのだが・・・
「コトブキツカサのオールナイトニッポンi(第10回)」は、期間限定で無料で聞くことが出来る。
【タイトル】コトブキツカサのオールナイトニッポンi
【メール】 kotobuki@allnightnippon.com
【ハガキ】〒100-8439 ニッポン放送 『コトブキツカサのオールナイトニッポンi』係
【配信日】毎週木曜日
【第10回URL】https://i.allnightnippon.com/p/e_anni_kotobuki_010
※番組では、「コトブキツカサのオールナイトニッポンi」を広めるアイデアを募集中。SNS、学校、職場、その他、さまざまな方法で番組の存在を広く知ってもらう方法、多くの人に聴いてもらう方法を考えて送ってください。