妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

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妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

10月13日金曜日、森下悠里さんが担当してきた「街角ステーション・噂を求めてどこまでも」の中継担当が終わりました。

「テリー伊藤のフライデースクープ そこまで言うか!」から「金曜ブラボー。」と二つの番組をまたいで、「街角ステーション・噂を求めてどこまでも」のレポーターとして活躍、期間でいうと、2012年10月5日から2017年の10月13日までの約5年間で、259か所に中継に行きました。そんな森下悠里さんに、中継の思い出などを聞きました。

妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

全中継場所を書き出した表を見ながら、色々思い出していました

― 5年間のレポーターが終了しますが

本当に感謝ばかりです。半年とか、一年じゃなくて、これだけ長い間、仕事をさせてもらって、すごく自信になって。それもニッポン放送さんでやらせて頂いて(笑)

― どんな感じで仕事の話があったのですか

決まるか決まらないか、わからない仕事ってあるんですよ。面接の時も、「一応スケジュール空けといてね。」って言われて。事前に、TwitterやブログなどSNSにも力を入れると聞いたんですけど、私はSNSを始めてはいたんですけど、アップする事にひと段落付いちゃって、あまり更新していなかったんです。だから「決まらないだろうなぁ~」って思っていたら、「決まったよ」って言われて、逆に「私でいいのかな?」ってビックリしました。

― 森下さんって、ラジオのイメージ無かったですよね

ラジオってあまり出た事も無かったので、あってもゲストみたいなMCがいて、話を聞きだしてくれるような感じで、自分のコーナーが持てると聞いて本当にビックリしました。

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― 最初の番組は、テリー伊藤さんの番組内での中継でしたが、テリーさんとは

番組が始まるまでは、テリーさんとは、雑誌で1回対談をして、その時に会っただけなんです。この業界でも大御所じゃないですか、私なんかが気軽に話しかけてはいけない人だと思っていたのですが、そんな方の番組へのレギュラー出演だったのに、私、一番最初の中継の時に大阪で仕事があって、スタジオのテリーさんに挨拶できなかったんです。移動途中に私を拾ってもらって、そのまま中継先に移動するという(苦笑)本当にダメですよね。で、2週目にやっとスタジオにご挨拶に行けたのですが、気さくに話しかけてくださって。

― テリーさんに何と言われたのですか

「うまいじゃない、何かやっていたの?」って。テリーさんのような方に言われて、凄い嬉しくて、励みになりました。その時にテリーさんが、「サンジャポ出ようよ」って言ってくれて、私としては、「え~出れませんよ!」なんて思ったりしていたのですが、そのあとも、サンジャポに何度か出演させてもらって、その時ぐらいから、他のテレビ番組にも出だして、まさにきっかけの仕事でした。

― テリーさんが褒めた、最初の中継はどうだったのですか

芸能のお仕事をしてきて、ベストテンに入るくらい緊張しました(笑)
バラエティの生放送とか、出演経験はありますけど、その時は、MCの方がいて、話題を振ってもらって答えるだけというものが多かったので、自分が進行をさせてもらえる事は無かったので、紹介するイベント名や、車の名前、お店の名前など、間違ったら大変!!みたいな、とにかく一番最初が緊張しました。

妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

2015年10月5日の一番最初のレポート(左) 一番怖かったというジップライン(右)

― 中継場所で、一番思い出にあるのは、

豊洲そらスタジオで体験した《ジップライン》、これが怖かったです(笑)。高い所からロープを使って降りてくる、ロープウェイみたいな遊具だったんですが、上まで上がってみたら怖くなっちゃって、今更「怖いです」って言えなくて、そしたら、次に乗る小学生が来ちゃって、どうしようって(笑)

あと、凄い楽しかったのは、ペット博のインターペットです。うちのワンちゃん、2匹いるんですけど、2匹を連れて、中継に行けたのはうれしかったですね。何度か行かしてもらいましたけど、会場に来る人達もペットを連れて来ているので、他の子にも会えたり、プライベートでも行かせてもらいました。

あと、いぬフォトスクールという犬の写真の撮り方を教えてくれる教室に行ったとき、その時も、うちのハニーを連れて行ったんですけど、全然笑ってくれなくて。というのも、いつも一緒にいるクロコという子がいるんですけど、連れて行かなかったんです、うるさいので(笑)。そうしたら、「どうして一緒じゃないの!」って、悲しそうな目で私を見て、先生も、「なんでそんな悲しい顔してるの?」って(笑)結構、動物モノが多かったので、サンシャイン水族館のラッコの展示終了とか、フクロウの店紹介とか、楽しかったですね。

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ハニー&クロコと中継に行ったインターペット(左) フクロウの店(右)

― トヨタのお店も沢山行きましたね

そうですね。最近のモノだと、トヨタカローラ生誕50周年記念で行われた《笑顔の花冠プロジェクト》が思い出しますね。いつもは、東京・神奈川・埼玉・千葉のお店に行くのですが、この時は、群馬県にも行きました。

― トヨタの店員さんは、悠里さんがお店に行くとどうですか

トヨタの店員さんは、みなさん優しくて、暖かく迎えてくれて、行くの楽しみでした。中継後には、お店の人と写真を撮ったりするのですが、そんな時に話をするときもあって、番組見たよって言ってくれたり、結婚の時にはお花を頂いたり、女性の店員さんとは、化粧品やダイエットの話とか、胸の大きさを変えないでどうやったら痩せれるのかとか、どうやったら足が長く写真に写るのかとか、本当に色々な話をしましたよ(笑)

― ビックリする所に、サインをした事があるそうですね

そうですね、本当に色々な所にサインもしました。会社から配給されている作業着とか、一番驚いたのは、車の内張りにサインした事ですかね。それも2年連続で(笑)神奈川のトヨタの店員さんなんですが、その方はハイエースに乗っていて、後部の荷台のドアの内張りに書きました。丁度、1年後、同じお店にもう一度行ったんですが、前に書いた内張りは、外して飾ってあるので、新しくした内張りにもう一度書いてください!って言われて書きました(笑)嬉しいですけど、なにか責任みたいのも感じますよね(笑)

― 中継で大変だったことはありますか

大変な事は無かったんですけど、ご迷惑を2回かけているんですよ。声が出なくなっちゃった時と、沖縄に行って胃腸炎になって、箱崎アナと、東島アナに御迷惑かけたなぁって。

― 反響とかはありましたか

私、中継が終わってニッポン放送から帰る時に、タクシーで帰るんですけど、その時、運転手さんに「今日はどこどこに行っていたね」とか話しかけられてうれしかったですね。あと、うちの両親も一番楽しみにしているお仕事だったので、お母さんがこのコーナーを聞くためにラジオを買って、毎週聞いてくれていたんです。甥っ子、姪っ子が遊びに来ていても、みんなで中継を聞いてくれたり。

― FM93ガールズとしても活動しましたね

これも楽しかったですね。きっと普通にグラビア中心の芸能活動していたら、私の事なんて知らなかっただろうなっていうような層の方に知ってもらえたのがうれしかったです。「森下悠里ちゃんってどの子?いつも聴いてるよ」とか「いつもお店でかけてるよ。」とか「ライトの点灯お願いしますね、っても言われるからつけるんだよ」とか。

あと、「もっちーさん、上柳さん~」って呼びかける時の声が友達にはツボらしくて。みんなマネするんです。実は私、声がコンプレックスだったんです。子供の頃、ガラッガラの声をしていて、友達にマネされて、「私の声が変だからマネしているんだ」って、思う時もあったんですけど。このコーナーを始めてから、ファンの方に、「悠里ちゃんの声が好きです」といわれるようになったんです。それがうれしかったですね。私、コンプレックスだったのに・・・。

妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

― この5年間、自分自身を振り返ると、どう変化しましたか

ニッポン放送さんがきっかけで、好きな自分というか、なりたい自分になれたと思います。それまでは、何のとりえもないし、勉強もしてきてないから、頭も良くないし、なんか普通の20代だなぁって感じだったんですけど(苦笑)

グラビアをやっていると、年を取って、若さがなくなってくると自身も無くなってくるんです。私の時代は、22歳、23歳になると、もうオバさん扱いだったんです。いまは壇蜜さんや、橋本マナミちゃんが頑張ってくれたので、そういう枠が出来ましたが、私の時は、25歳なのに、まだグラビアやっているのって。この仕事が決まるまで、グラビア以外のお仕事が少なくて、自信だけがなくなってきていた時期だったので、この仕事が出来て凄い救われました。

実は、きっかけの一つが、テリーさんが番組をお休みした時にピンチヒッターで登場したゲッターズ飯田さんなんです。番組が終わった後に見てもらったら、《今はとっても良い時期で、口に出した事が叶う時期》だって。「あの番組に出たい」「こうなりたい」とか、言ったことが叶う時期だって。逆に、悪い事も言えばそうなるので、絶対に言わないで!って。もし何か嫌な事があったら《まいっか!》と思って流せば、嫌な事は解消されるって、言われました。だから、こういう自分のコーナーを持たせて頂けたり、資格を取ったり、出たかった番組に出れた事で凄く自信になりました。

妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

― これまでラジオの向こうで応援してくれた人へ

5年間聴いてくださった方、毎週金曜日を楽しみにして下さった方、本当にありがとうございました。放送後、SNSとかで、「今日はどこどこだったね」、「良かったよ」とか、皆さんのコメントを読むの楽しみだったし、毎週金曜日このお仕事をすると、「あ、一週間経ったんだな」って感じていたんですけど、もうできないので残念です。こんどは私がリスナー側に立って、このコーナーを聴くので、皆さんにはこれからもこのコーナーを聴いて欲しいなと思います。
本当に5年間聴いてくださってありがとうございました。

― 結婚・妊娠の発表もこのコーナーでしたね

そうなんです。結婚は、若洲で中継した後、中継車でニッポン放送に向かう途中、ずっと後ろをついてくる車がいるって、ディレクターさんとドライバーさんが気がついたんです。だから、急いでタクシーに乗ろうとしたら、その車から記者の人が凄い顔で走ってくるから、私とマネージャーもビックリして固まっちゃって(苦笑)ICレコーダーとビデオカメラを突き出して、「この写真、森下さんですよね!」って彼との写真を出されて、本当にパニックになりましたね。(笑)

まだ、会社にも話したばかりで、公表するタイミングとか、いろいろ考えていた時期だったんですよ。コメントは長いのがいいのか、短いのがいいのかとか、本当に考え始めたところだったので色々大変でした(苦笑)

妊娠も、卒業と同じタイミングでの発表でしたが、発表したら、SNS皆さんからお祝いのコメントを頂いて、初めてコメントして頂いた方もいますし、男女問わず、妊娠中の事について、色々親切に教えてくれるんです、こうだよなんて。本当にありがたいですね。

妊娠発表の森下悠里 独占インタビュー「レポーターの仕事は凄く自信になりました」

2017年6月の結婚発表時(左) 2017年9月29日の妊娠卒業発表時(右)

― 出産の発表もニッポン放送で

いいですね、中継先に遊びに行っちゃおうかな。(笑)

 

(取材:よこい みちひと)

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