50年前の今日、ザ・モンキーズ「デイドリーム」がリリース
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つい最近、子供がYouTubeである動画を見て「セブン-イレブンの曲におじさんが歌詞つけて歌ってる」と言ったというツイートが密かに話題になった。いうまでもなくその動画とは、ZERRY(に扮した忌野清志郎)率いるザ・タイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」なのだが、半世紀前に作られたこの曲が、様々なプロセスを経て、現在を生きるあらゆる世代に浸透してしまったのは驚異の一言に尽きる。その曲がザ・モンキーズのシングルとして初めて日本に紹介されたのが、50年前の今日、12月5日である。筆者がこの曲について語り始めるととてつもない分量になるのは確実なので、今回のコラムでは主に日本に於けるポピュラリティの持続力の要因にスポットを当ててみたい。なお、文中での表記は日本初出時のシングルタイトルだった「デイドリーム」で以下統一させていただく。
米国でザ・モンキーズ5枚目のシングルとして「デイドリーム」が世に出たのは、1967年10月25日のこと。12月2日付のビルボード・チャートでは、登場3週目にして1位の座を射止めている。日本でシングル発売されたのは、そのわずか3日後のことだ。当時の日本に於ける洋楽紹介事情を考えると、このタイムスパンはかなり早い部類に入る。
モンキーズ・ブームの火付け役となったテレビ・シリーズ「ザ・モンキーズ」の日本での放映がスタートしたのは、これに若干先駆けた10月6日のことだ。基本的に、米国で前年9月12日放映開始された順序に基づいて放映が行われていたが、米国でこの曲の演奏シーンが初めて登場した第37話「モダン・アート」の放映が翌年2月16日と相当早められたのは、すでにヒット前線に躍り出ていたこの曲の人気をさらに高めようとしてのことと思われる。さらにそれに先駆け、12月1日に放映されたパイロットエピソード「スイートシックスティーン!」の日本放映版では、巻末に含まれていたメンバーのオーディションシーンを割愛し、「デイドリーム」の演奏シーンを代わりに挿入していた。つまり、発売前から万全のプロモーションを行っていたということである。
すでにグループのアイドルとして人気を不動のものとしていたデイビー・ジョーンズがシングルのA面を歌うのは、これが2回目のこと。他のメンバーの承諾を得ずに単独録音をモンキーズ名義で発売してしまい、初回盤が回収されるという事態に至った3枚目のシングル「恋はちょっぴり」が不本意なものだったので、彼を前面に立ててのモンキーズのシングルはこれが初めて同然だった(他のメンバーも当然演奏に参加)。そのためか、日本盤シングルのジャケットには「デイビーの歌う」とわざわざ謳い文句が躍っている。結果的に、オリコンで4位まで上昇する大ヒット。当時だけで30万枚というセールスを記録している。
ロックの世界がよりシリアスなものとなり、モンキーズの業績も殆ど振り返られなくなっていた不毛な1970年代を経て、思わぬところから彼らの人気が再燃する。80年にカメラ・フィルム(この言葉ももう懐かしいですね)のCMに使われ、シングルが再リリースされた。奇しくも絶好のタイミングで「ザ・モンキーズ」の何度か目の再放映が東京12チャンネル(現・テレビ東京)で行われており、相乗効果で当時の女子中高生達を虜にした。たのきんトリオ絶頂期の男性アイドル市場に突如「10数年前人気絶頂だった元アイドル」が食い込むという、想定外の事態に及んでしまったのである。もっとも、当時のデイビーの年齢さえ、現在の櫻井翔、藤原竜也、成宮寛貴と同じなのだ。決して「おじさん」と呼んではいけない世代だったのである。この第2次モンキーズ・ブームの煽りにより、「デイドリーム」の日本でのシングルセールスにはさらに12万枚が上乗せされたのである。結成20周年となる86年には、米国でもMTVが「ザ・モンキーズ」全58エピソードをぶっ続けで放映するなどリバイバルブームが起こり、「デイドリーム」も新たにリミックスされてシングルリリースされた。筆者が確認しただけでも、この曲は同じテイク(「7-A!」)から少なくとも7種類のミックスが作られており、全てにおいて数箇所に微妙な違いが発生している。それらを検証したツイートをしたこともありますよ。
冒頭で述べたザ・タイマーズのシングルがリリースされたのは、1989年のこと。その後も怒涛のようにカバー・ヴァージョンが生まれ続け、「セブン-イレブン」のテーマ曲のような扱いを受けているのを筆頭に、何度もCMに使用され、不死鳥のごとくポピュラリティを維持している。最近では本年春公開されたアニメ映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」に主題歌として使用されたのが印象深い。2008年に惜しくも生涯を終えてしまった作曲者のジョン・スチュワートは、あちらの世界でも心地よい白昼夢の中、微笑みを浮かべているのだろうか。同じくデイビーも2012年に帰らぬ人となってしまったが、生前のうちに彼がライヴでこの曲を歌うのを聴けたのは至上の体験だった。来年はいよいよ初来日から50周年となるので、モンキーズとしての再来日も是非実現して欲しいところである。
日本初出時の「デイドリーム」ジャケット写真撮影協力:丸芽志悟
【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。