2月7日は大衆から愛され続けている作詞家・阿久悠の誕生日
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日本を代表する作詞家、阿久悠が世を去って早11年。没後10年、作詞活動50年、そして生誕80年にあたる年だった2017年には記念のコンサートをはじめ、評伝ドラマやドキュメンタリー番組の放映、関連書の出版など、様々なムーヴメントが展開されて天才作詞家の偉業が改めて示された。3000曲を超える作詞作品ではレコード大賞を5回受賞するなど膨大なヒット曲を世に送り出し、歌謡曲のみならず、テレビ主題歌や企画ものなどジャンルは多岐に亘った。ほかに小説や随筆など著書も数多い。ますます評価が高まる歌謡界の巨人については今後も検証と再評価が続けられてゆくことだろう。何より遺された作品が後の世代にも聴かれ、歌い継がれてゆくはずである。2月7日は大衆から愛され続けている阿久悠の誕生日。存命ならば81歳になる。勝手なことを言えば、もう少し長く活躍する姿を見たかった。
御茶ノ水の明治大学構内にある「阿久悠記念館」へゆくと、華やかなレコードジャケットやトロフィーなど数々の資料と共に、自筆の歌詞原稿も展示されている。それらを見ると、タイトルが独特の豪快な書体で綴られて思わず目を惹かれるのだ。詞の内容はもちろんのこと、タイトルにも相当の重きを置いていたことが窺われる。遅筆で知られた作家・井上ひさしが、中身がまったく書けていないのに、やたら豪華な装飾を施した表紙とタイトルを描きあげていたというのは有名な話だが、それとはまたちょっと違う。もともと広告代理店に勤め、放送作家を経て作詞家デビューした阿久はプロデューサーとしての資質も持ち合わせており、自作のプレゼンテーションにも徹底した拘りがあったとおぼしい。天賦の才能に加えての弛まぬ努力と向上心こそが、日本一の作詞家に至らしめたのである。
作詞家・阿久悠のスタートは、ザ・スパイダース(当時の表記は田辺昭知とザ・スパイダース)のシングル「フリ・フリ」のB面だった「モンキー・ダンス」。その時はまだ広告代理店・宣弘社の社員であった。続いてスパイダースのB面曲を3作手がけた後、1966年5月に退社して、それまで会社の仕事と並行して活動していた放送作家として独立。ヴァラエティや音楽番組を担当する中で、独立から半年後の11月にTBSの人形劇『トッポジージョ・イン・ジャパン』の劇中歌として出された「トッポ・ジージョのワン・ツーかぞえうた」が、記念すべき初のシングルA面作品となる。トッポ・ジージョはイギリス生まれ、日本では山崎唯が声をあてて人気を博したネズミのキャラクターである。それからちょうど1年後の67年11月には、モップス「朝まで待てない」で本格的な作詞家デビューを果たし、70年の森山加代子「白い蝶のサンバ」がオリコン1位を獲得したことでヒットメーカーして一躍注目を浴びることとなった。膨大な数に及ぶ作品のすべてにはとても触れられないので、ここでは阿久が作詞を手がけたコミックソング、ノヴェルティソングをいくつかピックアップしてみたい。
そもそもがデビュー作「モンキー・ダンス」にしても番組がらみのノヴェルティソングでコミカルな要素を具えていたが、最初に手がけたコミックソングの歌い手は、なんと喜劇界の大物、榎本健一であった。シングル「雨の日の子守歌」のB面で「破れハートに風が吹く」という68年の作品で、ぶっきらぼうながらも確かな音程で歌われるポップスナンバーは三木たかしの作曲。「バラ・バラ」や「帰って来たヨッパライ」をカヴァーしていた晩年のエノケンはアグレッシヴで妙に惹かれる。次に目につくのは、70年に南州太郎が歌った「がんばらなくっちゃ」。“おじゃまします”に続くギャグのフレーズとしてプッシュされたもののあまりヒットはしなかった様で、レコードの方も推して知るべし。それでも喉の奥から絞り出される南州の一言は破壊力に満ちている。CM制作に携わっていた阿久にしてみれば、こうしたギャグをフィーチャーしたノヴェルティソングの作詞はお手のものであったろう。翌71年の植木等「こんな女に俺がした」も同様。クレージー・キャッツの作詞といえば青島幸男だが、同じく放送作家出身の阿久もしっかりとクレージー作品を手がけていたのである。
そして71年12月、阿久ノヴェルティソングの決定版「ピンポンパン体操」がリリースされて大ヒットに至る。オーディション番組『スター誕生!』の審査員などで顔も売れ、お茶の間ではコワモテと認識されていた氏がこれほどまでに無邪気で愉しい詞を書いている姿を想像するだけで嬉しくなってしまう。フジテレビの児童向けヴァラエティ番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』のために書かれたこの歌は、数ある阿久の作詞作品の中でも屈指の傑作に挙げられるだろう。実は大人の観賞にも堪え得るナンセンスソングであったことは翌72年にザ・ドリフターズがカヴァーしていることからも明らかだ。『ピンポンパン』からはさらに「パジャママンのうた」「ドロンチョ・ドロドロ・ヨゴラッタ」、新たな「ピンポンパン体操」も生まれている。同年には『デビルマン』、73年は『ウルトラマンタロウ』『ミクロイドS』、そして74年の『宇宙戦艦ヤマト』などアニメや特撮番組の主題歌も増え、フィンガー5人気とも相俟って、当時の子供にとっても阿久悠はかなり大きな存在となっていった。73年には作曲・小林亜星、編曲・筒井広志の「ピンポンパン体操」トリオで作られた「ケロ子のうた」という珍曲もある。“万国蛙”名義でムーン・ドロップスが歌ったこの曲は本物の蛙の声もサンプリングされており、フジテレビ『みんなあつまれキーパッパ』の挿入歌だった。
作品集が纏められる機会も多い阿久悠だが、これまでにテレビ関連の作品や子供向け作品のコンピレーション・アルバムは出されていても、コミックソング括りの作品集となると未だ編まれていない様だ。ユーモアのセンスも人一倍優れていた阿久作品にはコミカルな傑作もたくさん。そうした楽曲ばかりが集められたアルバムもぜひ聴いてみたいものである。もしも実現の折には、五月みどり「ブギウギ小唄」や山城新伍「オオ諸君!」など、日本テレビ『金曜10時!うわさのチャンネル!!』関連の曲は欠かせないところだろう。せんだみつお「うわさのだれ犬」も忘れずに!
「トッポ・ジージョのワン・ツーかぞえうた」「破れハートに風が吹く」「こんな女に俺がした」「ピンポンパン体操」「うわさのだれ犬」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。