本日2月20日はマーシーこと真島昌利の誕生日。56歳となる
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マーシーこと真島昌利は、甲本ヒロトとともに、ザ・ブルーハーツ(1985-1995)、ザ・ハイロウズ(1995-2005)そして現在のザ・クロマニヨンズ(2005~)のギタリスト&ヴォーカリストとして活動、ソングライティングも手掛けてきた。相談したわけではないと二人は言うが、アルバム収録曲は半分ずつ担当するのが常で、その時その時の二人の趣向が窺い知れたり、二人の個性の違いが見えてきたりする。ロックンロールからブルースへとルーツ・ミュージックの掘り下げに余念がなく、それを原動力に彼らにしか書けない今日的なロックを4人組で演奏する。そんなシンプルなスタイルでマンネリすることなく常に新風を感じさせるのが、ヒロトとマーシーのすごいところだ。
マーシーの代表曲といえば、ザ・ブルーハーツ時代なら「TRAIN TRAIN」「1000のバイオリン」「チェインギャング」など、直球パンクを得意とするバンドに、骨太感や若々しいセンチメンタリズムを加える曲が多かった。パンクの縛りを脱したザ・ハイロウズは、90年代にロックンロールの可能性を花開かせ、「スーパーソニックジェットボーイ」「相談天国」「月光陽光」など、すごみさえ感じさせる楽曲でバンドを奮い立たせていた。ザ・クロマニヨンズを組んでからは、ややパーソナルな曲が増えたといえようか。子供の頃を振り返るような「紙飛行機」、スージー・クアトロの曲と同題でロックへの愛を感じさせる「グリセリン・クイーン」、自分の好きなものを歌い込んだ「オートバイと皮ジャンパーとカレー」といった余裕を感じさせる曲が目立つ。そんな中で、東日本大震災後に自粛されたTVCMの、解禁第1号になったカップヌードルのCMに使われた「ナンバーワン野郎」は、”やることはわかってる”と立ち上がる気力を奮い起させる、素晴らしい曲だ。大震災以前に書いた曲だそうだが、音楽は心を動かし体を動かす動機のスイッチを入れることができると、音楽が持つ潜在力を心底知っているからこそ生まれた曲だと思う。
一方、私が大好きな曲に「恋に落ちたら」がある。歌詞は「あのね」という一言だけ。それを繰り返しメロディに乗せて歌うと、その瞬間瞬間の感情の動きが浮かび上がってくる。マーシーの遊び心とチャレンジ精神満載のこの曲を超えるラヴソングはないのではないか。映画『ワルボロ』主題歌になった「ギリギリガガンガン」も、中高生男子の無駄に溢れるエネルギーが、「ギリギリがガンガン」という音になったような曲。「ビー・バップ・ア・ルーラ」など擬音ロックの系譜といえようか。
こうして彼の楽曲を振り返っていると思い出すことがある。ザ・ブルーハーツ時代、中原中也のポートレイトをプリントしたTシャツを着ていた彼に、パンク・バンドで中原中也好きとは珍しいというと、「中原中也や萩原朔太郎も、今生きていたらロックやってたんじゃないか」と応えた。中也も朔太郎も最先端のカルチャーとして詩で自己表現をしていた。そう思えば今ならギターを手にしてもおかしくはない。以来、彼らへの興味が方向性を変えて深まったものだ。今もその興味は尽きず、取材を続けている。
ヒロトがバンド一辺倒なのに対しマーシーはザ・ブルーハーツ時代にソロ・アルバムを作り、2015年からは30年来の知人であるヒックスヴィルの真城めぐみと中森泰弘と組んだ”ましまろ”でも活動中だ。アコースティック編成でコーラスを多用した楽曲で、またマーシーの作風に広がりが生まれ、それがザ・クロマニヨンズにも反映されているようで、また興味をそそられている。
今もライヴでヒロトとともにTシャツを脱いで見せる、綺麗に鍛えらえた上半身は、50代半ばとは思えない若々しさだ。ヒロトと二人で、どこまでもロックンロールし続けていくことだろう。
【著者】今井智子(いまい・ともこ):『宝島』編集部で、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わる。1978年フリーとして執筆活動を開始。以後、「朝日新聞」レコード評およびライヴ評、「ミュージック・マガジン」などを始め、一般誌・音楽誌を中心に洋邦を問わずロックを得意とする音楽評論家/音楽ライターとして執筆中。著書「Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと」(飛鳥新社)など。