1980年8月14日、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が『ザ・ベストテン』で4週連続(通算6週)の1位を獲得

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今年(2018年)は各地で観測史上、類を見ない猛暑が続いているが、80年はその逆、つまり記録的な冷夏だった。東京では7~8月の日平均気温の平均値が23.6℃と戦後最低を更新(これはいまだに破られていない)。その寒い夏をソウルフルなボーカルで熱く染め上げた男がいた。そう、6月から8月にかけて各ヒットチャートで首位を独走した「ダンシング・オールナイト」を作曲・歌唱した、もんたよしのりである。

一度聴いたら忘れない、強烈なしゃがれ声を持つ、もんたは神戸出身の当時29歳。中学時代にバンド活動を始め、19歳のときに“五つの赤い風船”を脱退した中川イサトらと「第2回全日本フォークジャンボリー」(70年)に出場、71年にはビクターから「この足の鎖ひきちぎりたい」でソロデビューを果たしている。自作の詞による「この足の鎖~」は、社会派のメッセージをブルースロックに乗せたナンバーで、ボーカルはすでに完成された趣があったが、ヒットには至らず。74年にフィリップス、76年にワーナー・パイオニアに移籍し、5年間でシングル4作、アルバム1作を発表するが、やはり芽が出ず、その後は故郷・神戸に戻り、曲づくりに専念する日々を送っていた。

1980年8月14日、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が『ザ・ベストテン』で4週連続(通算6週)の1位を獲得
転機は80年代の幕開けとともに訪れる。80年1月、ジャンルにとらわれない音楽を目指してバンド(もんた&ブラザーズ)を結成したもんたは、「最後のチャンス」として、書きためた曲の中から「ダンシング・オールナイト」をセレクト、同年4月21日にリリースする。ちなみに作詞の水谷啓二は、かまやつひろし&FLAT OUTなどに在籍したことがあるミュージシャンで、本作が作詞家デビュー作。ディレクターはのちに松崎しげるや内藤やす子、大橋純子らも担当する重松彰弘、エンジニアはエレックレコード出身で、Charやシュガー・ベイブ、さだまさしらを手がけていた山下有次であった。

1980年8月14日、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が『ザ・ベストテン』で4週連続(通算6週)の1位を獲得
既存のフォークやロックとは違う、ブルース歌謡的な要素も備えた「ダンシング・オールナイト」だが、当時のインタビューでもんたは、ボブ・ディランのアルバム『スロー・トレイン・カミング』(79年)に参加していた、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーに影響を受けたと発言。アレンジはあえてダサくし、「今ない音」を狙ったという。ときはニューミュージック全盛期、音楽シーンはゴダイゴやクリスタルキング、シャネルズなど、従来の音楽ジャンルにはカテゴライズできないバンドが次々とブレイクしており、まさに新しい音楽(ニューミュージック)が求められている状況にあった。

その「今ない音」に最初に飛びついたのは、もんたの地元・関西だった。有線放送で火がついた「ダンシング・オールナイト」は5月5日付けのオリコン週間シングルランキングで86位に初登場。その後、北海道にも飛び火し、71位、39位と上昇を続けると、5月21日放送の『ニュースセンター9時』(NHK)でも取り上げられ、5月26日付けでは19位をマークする。同日、もんたは『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にも初出演を果たすが、その翌週のオリコンでは4位、そして6月9日付けでついにトップに立ち、8月11日付けまで10週連続の1位を達成する。累積セールスは162万枚。アナログ盤時代の自作自演曲としては、小坂明子「あなた」(73年)に次ぐ、歴代2位の特大ヒットであった。

強かったのはレコードセールスだけではない。当時、オリコン以上に注目されていた『ザ・ベストテン』(TBS系)では視聴者からの葉書リクエストが重視されていたが、「ダンシング・オールナイト」は17週連続で10位以内にランクイン。一時「ロックンロール・ウィドウ」(山口百恵)とデッドヒートを繰り広げつつ、通算7週(6月26日~7月3日、7月24日~8月21日)の1位を獲得した。またリスナーからの電話リクエストによって順位を決定していた『決定!全日本歌謡選抜』(文化放送)でも、西城秀樹や山口百恵、田原俊彦などの強豪をおさえ、8週連続の1位を達成している。

そのもんた&ブラザーズは7月25日に1stアルバム『Act 1』をリリース。こちらも忽ち大ヒットとなり、オリコンでは2週連続で、シングル、LP、カセットの3部門で1位をマーク。三冠達成は、矢沢永吉、松山千春、岸田智史に次ぐ4組目の快挙であった。そう、38年前の8月14日は、「もんた&ブラザーズ」が、シングル、LP、カセット、テレビ番組、ラジオ番組、有線放送など、あらゆるチャートで1位を独占し、音楽シーンの頂点を極めた時期だったのである。

1980年8月14日、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が『ザ・ベストテン』で4週連続(通算6週)の1位を獲得
もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。
1980年8月14日、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が『ザ・ベストテン』で4週連続(通算6週)の1位を獲得

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