1986年8月30日、スティーヴ・ウィンウッド「ハイヤー・ラヴ」がビルボードで1位を獲得

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1986年の8月30日は、英国生まれのソウルフルなロック・ミュージシャンのスティーヴ・ウィンウッドのシングル「ハイヤー・ラヴ」がビルボードで1位を獲得した日である。

スティーヴ・ウィンウッドは60年代半ばにスペンサー・デイヴィス・グループで本格的な音楽キャリアをスタートさせ、60年代後半から70年代前半にかけてトラフィックの中心メンバーとして活躍し、ブリティッシュ・ロック史に滋味深い足跡を残す。ブラインド・フェイスで絡んだエリック・クラプトンをはじめ、鍵盤楽器やギター、歌などでたくさんのミュージシャンと活動を共にしていった。

1977年にソロ・デビュー。職人肌のイメージも強かったが、1980年の全米7位のヒット・シングル「ユー・シー・ア・チャンス」で一皮剥けた。ニューウェイヴの感覚をブレンドした音作りで、昔からのファンをアッ! と言わせながら新しいファンもつかみ、「ハイヤー・ラヴ」でさらに突き抜けた。

4作目の『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』にも収めている曲だが、6分近いアルバム・ヴァージョンより1分半も短くコンパクトに核のみを凝縮し、同年6月に先行シングルとしてリリース。発売後ゆっくり2ヶ月かけて上昇し、スティーヴ関連の作品で初めて米国チャートのトップに立ち、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞も受賞する。

60年代からバンドでも一人で複数の楽器を演奏していた取り組みを推し進め、セカンド・アルバムの『アーク・オブ・ア・ダイバー』(1980年)とサードの『トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト』(1982年)は、イングランドの自宅スタジオを使ってほぼ一人で制作。それまでのスティーヴの活動の中で一番リリースの間隔が空いた4年のインターバルを経て、心機一転。『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』はたくさんのゲストが盛り立て、ランディ・ニューマンやジェイムス・テイラー、ジョージ・ハリスンのアルバムも手掛けたラス・ティテルマンと共同プロデュースを行ない、ほとんどをニューヨークで録音している。



80年代初頭からの路線であるシンセサイザーやシーケンサーを自ら操る音作りが核ながら、スティーヴは歌メインでソウル・ミュージックを超えてポップスのフィールドに突入。洗練された『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』の曲の中でも「ハイヤー・ラヴ」は飛びきり垢抜けたアレンジで、80年代のUSメインストリーム・ポピュラー・ミュージックど真ん中を行く派手な響きで仕上げられた。名うてのミュージシャンがこの曲にも10人近く参加し、ギターを弾いたシックのナイル・ロジャースとバッキング・ヴォーカルを務めたチャカ・カーンは、1987年のMTVビデオ・ミュージック・アワードにノミネートされたミュージック・ヴィデオにも出演している。


やさしくシンプルな言葉で普遍的な愛が綴られた歌詞も、音と共振してポジティヴだ。スティーヴと共作したウィル・ジェニングスは「モダンな賛美歌」と言っている。実のところ、前作『トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト』ではバッキング・ヴォーカルも務めた妻ニコルとの結婚生活の末期に作られた曲だが、スティーヴにとっては新しい愛が始まった時期でもあるから肯定性に満ちている。

二人目の妻との間の娘でシンガー・ソングライターのリリーとデュエットで再レコーディングも行ない、2016年にHERSHEYのテレビCMでも使われた。スティーヴはその時々の気持ちで“リメイク”しながら「ハイヤー・ラヴ」を歌い継ぐ。“最新ヴァージョン”は2017年リリースのライヴ・アルバム『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ』で楽しめる。

【著者】行川和彦(なめかわ・かずひこ):Hard as a Rockを座右の銘とする1963年生まれの音楽文士&パンクの弁護人。『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)を発表。

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