2軍落ちした中日・笠原を奮い立たせた恩師からの2文字

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、日米野球第6戦でみごと勝利投手となった、中日ドラゴンズ・笠原祥太郞投手のエピソードを取り上げる。

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力投する先発の笠原祥太郎投手(中日)=2018年11月15日、ナゴヤドーム 写真提供:時事通信

15日にナゴヤドームで行われた、日米野球第6戦(最終戦)。侍ジャパンは4対1でまたもやMLBオールスターチームに快勝。通算5勝1敗の堂々たる成績で、ラストゲームを締めくくりました。

有終の美を飾った昨日のゲーム、先発で5回途中まで投げ(球数制限に達して降板)、4安打無失点の好投でチームを勝利に導いたのが、中日の2年目投手・笠原祥太郞(23)です。

「ピンチは作ったが、粘ることができた。ナゴヤは本拠地。大きな声援が力になりました」

と地元のファンに感謝した笠原。ストレートと得意のチェンジアップを駆使して、緩急を巧みに使い分け、メジャー軍団に的を絞らせませんでした。とくに5回は、無死1・2塁と大きなピンチを迎えますが、ここもチェンジアップで切り抜け、2番手につなぎました。

侍ジャパン・稲葉監督は、日米野球に先立って7日に行われた台湾戦でも、笠原を先発で起用しましたが、抜擢の意図について、

「まずは左投手だということ。プレミア12、オリンピックと、左投手が重要だと考えている。あと彼は特殊な球・チェンジアップを持っている。それが国際舞台でどれだけ通用するか見てみたい」

つまり、これからの侍ジャパンが世界で勝ち抜いて行くために、笠原は欠かせないメンバーだと高く評価しているのです。その期待にみごと応えてみせた笠原。新潟出身で、新津高校時代は、3年夏に強豪・新潟明訓高校に敗れ、甲子園には行けずに終わりました。

野球はそれでスパッと諦め、理学療法士を目指して、新潟医療福祉大学に入ろうと受験勉強を始めます。ところが……その志望大学が、新潟明訓の指揮官・佐藤和也監督を招聘(しょうへい)して野球部を新設するという話を耳にして、「野球をやりたい」という思いが再燃。志望学科をスポーツ学科に変え、一般受験で合格。野球部に入部したのです。

このときは、プロ入りは考えていなかったという笠原ですが、創部1年目で先輩もいないため、試合にどんどん起用されているうちに投球術を覚え、体も逞しくなり、いつしかプロのスカウトも注目する存在に。佐藤監督も

「ここまで成長するとは思ってもみなかった」

と目を見張りました。

そして一昨年のドラフトで、中日が4位指名。1年目から即戦力として起用され、昨年9月にプロ初先発。高校時代に届かなかった、憧れの甲子園のマウンドに立ちました。2年目の今季は、開幕からローテーション入りを果たしますが、打ち込まれる日々が続き、2軍落ちも経験。そんなとき心の支えになったのが、大学時代の恩師・佐藤監督にもらった色紙でした。そこに書いてあるのは「自信」の2文字。グラブにも、その2文字を刺繍で刻んでいるほどです。

ファームで自分を見つめ直し、自信を取り戻して、再びローテに復活。9月には強力広島打線を相手にプロ初完封を記録するなど、今季6勝を挙げた笠原。来季は2ケタ勝利を期待されていますが、日米野球でメジャー軍団を牛耳った経験は、大きな「自信」となったに違いありません。笠原はお立ち台で、こう宣言しました。

「ユニホームに恥じぬように、しっかり投げました。(失点)ゼロに抑えられて良かった。この経験を来シーズン以降、つなげていけたらと思います。どんどんいい結果を残して、このユニホームを着たい」

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