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ブレイク・シェルトンを司会に、エド・シーランやショーン・メンデスから、ジェニファー・ロペス、アダム・ランバートら近年の豪華スターが多数出演し、2019年2月17日に米NBC TVにて放映された『ELVIS ALL-STAR TRIBUTE』は、伝説的なTVプログラム『’68カムバック・スペシャル』の50周年を記念した特別企画だった。今なお、あるいは今だからこそ、エルヴィス・プレスリーがアメリカのポップ・カルチャーに果たした意義の大きさを認識していることの表れかもしれない。
ところで、プレスリーのアルバムの中で日本における最大のヒット作品は、おそらく『この胸のときめきを』であろう。映画『エルビス オン ステージ』が日本公開となったのが71年2月11日(米公開70年11月11日)。この年の洋画において『ある愛の詩』(3億2千万円)に次ぐ、2億6千万円の興行収益をあげる大ヒット作となる。それに合わせて発売されたアルバムが『この胸のときめきを MGM映画<エルヴィス・オン・ステージ>主題歌集』だった。プレスリーは、70年8月10日からおよそ1か月、計58回の公演をラスベガスのインターナショナル・ホテル(後ラスべガス・ヒルトン/現LVHラスベガス・ホテル&カジノ)で行なう。
彼は、マネージャーのトム・パーカー大佐が結んだ長期の映画契約のためステージ活動を長く制限されており、その終了に伴い再開したライヴ公演を記録した映画が『エルビス オン ステージ』であり、原題は“ELVIS THAT’S THE WAY IT IS“。リハーサルやファンへのインタビュー、楽屋の様子、そして舞台での模様を織り込んだドキュメンタリー・タッチの作品であった。一方アルバム『この胸のときめきを』は収録12曲中、ライヴ音源は4曲で、8曲は70年6月にナッシュヴィルのRCAスタジオでレコーディングされたものであったが、そのほとんどが劇中でも歌われた曲だ。シングルとなる「この胸のときめきを」は、元々は66年にダスティ・スプリングフィールドで全英第1位/全米第4位を記録したヒット曲。65年のサンレモ音楽祭でピノ・ドナッジオらを通じてダスティはこの歌を知った。カンツォーネにルーツを持つドラマティックな楽曲のプレスリー版は、アルバムから「去りし君へのバラード」に続くカットとなり、70年に全米第11位を記録している。映画公開のタイミングで日本でこの曲が展開されたこともあり、アルバム『ELVIS THAT’S THE WAY IT IS』には、当初『この胸のときめきを MGM映画<エルヴィス・オン・ステージ>主題歌集』の邦題が付されたと思われる。やがて映画に合わせて『エルヴィス・オン・ステージ Vol.1』がアルバムの邦題となり現在に至る。
アルバムの内容がステージでのライヴ音源中心ではなかったのは、これ以前にやはりインターナショナル・ホテルで収録された『FROM MEMPHIS TO VEGAS/FROM VEGAS TO MEMPHIS』(=『エルヴィス・オン・ステージ Vol.3』69年10月)と『ON STAGE』(=『エルヴィス・オン・ステージ Vol.2』70年6月)の2種が出ており、それらとの重複を避ける意味もあった。しかし、その結果としてミディアム・テンポのバラード・タイプに、カントリー・ポップ風味、そしてライチャス・ブラザーズの「ふられた気持」やサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」といった名曲カヴァーといった楽曲が収録され、50年代の”ロックン・ロールの王様”としてのイメージとは異なる、70年代以降のエルヴィスの“偉大なるエンターテイナー”像に結びついたと思われる。それは、せんだみつおによる両腕にスダレが下がったようなコスチュームをまとったパロディ・ギャグとしてお茶の間に浸透し印象深いものになった。
71年3月29日は、『この胸のときめきを MGM映画<エルヴィス・オン・ステージ>主題歌集』がオリコンLPチャートで同盤が王座に輝いての2週目に当たり、結局7月5日までの16週にわたりNo.1という記録を残している。
エルヴィス・プレスリー「この胸のときめきを」『エルヴィス・オン・ステージ』ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。