1984年4月2日、大滝詠一『EACH TIME』がオリコン1位を獲得

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1984年4月2日、大滝詠一『EACH TIME』がオリコン1位を獲得
1984年4月2日は大滝詠一『EACH TIME』がオリコン1位を獲得した日である。

はっぴいえんどで1970年にデビュー、81年に『A LONG VACATION』でついに初めてオリコン2位を獲得。そして『EACH TIME』は、ファンにとっても念願の初首位となった。しかし「音楽の哲学者」大滝詠一にとって、この盤は生涯の鬼門となった。攻究の果てをさまよう経過を辿る作品であった。

まず初版『EACH TIME』は84年3月21日に発売された。

その2年後86年6月1日に構成上の理由から未収録だった「Bachelor Girl」と「フィヨルドの少女」を追加した『Complete EACH TIME』をリリース。

さらに3年後の89年6月1日に「魔法の瞳」と「ガラス壜の中の船」をカットした『1989年盤』が登場。

そして2年後の91年、選曲&曲順を初版に戻した『CD選書シリーズ』を新マスターでリリース。

15年後の2004年3月21日には『20th Anniversary Edition』と名付け、『Complete EACH TIME』の曲順を変え、ボーナストラックを3曲追加した盤を発売。「Final EACH TIME」と銘打ったシールが貼られた。

その10年後2014年3月21日、曲順が改められ、初公開となる純カラオケを収録したディスク2と2枚組で『30th Anniversary Edition』が発売。

都合、5種類の選曲&曲順による『EACH TIME』が存在することになる。これほどまでに内容が逡巡した盤は、世界ポップス史においても稀である。

その状況は、初版制作時の最終プロセスに象徴されている。大滝自身が語る。「一番のポイントは『レイクサイド・ストーリー』という最後の曲、84年版の『EACH TIME』は、フェイド・アウトにしていたものを、カッティングぎりぎりで変えた。リリースぎりぎりだったんですよね」

たかだか、曲をフェイド・アウトするかどうか? という案件に、工場を待たせマネージャーをギリギリのタイミングで待機させながらも結局、エンディングを変更したという。以後、常人には理解できない微細な変更が加えられていく。

84年初頭、大滝はそのエンディングに「終わりの予感」を感じたともいう。死の直前の2013年の年末、『30th Anniversary Edition』をリマスタリングしながらも「なんかね、葬式のアルバムみたいな気がしてさ」と不吉な発言を残している。実際にその通りになったのだが、本人は冗談のように話していたのだ。

『A LONG VACATION』はアメリカン・ポップス調、自らのニックネーム「イーチ・オータキ」を引用した『EACH TIME』はマンフレッド・マンなどブリティッシュ・ロック調と、好対照をなす作品となった。『A LONG VACATION』は青春期の明るい感じ、『EACH TIME』は翳りがあり、水着の女の子がいない感じがする、と説明する。その翳りは、この盤に込めた想いであった。

レコーディングは、最初から紆余曲折していた。『A LONG VACATION』の匂いを残した『夏のペーパーバック』が最初に録音されるが、2曲目は未発表。3曲目の録音は稲垣潤一のヒット曲として知られることになる『バチェラー・ガール』。詞はもちろん松本隆だが、バチェラーが男性に付く形容詞では? という注進が外国人から入ったため、初版入りを見送られることになった。

こうした判断一つ一つに、通常のアーティストでは考えられない深い思索がなされている。

最大の特徴は、サウンドに対するこだわりだ。あるチャレンジがアルバムで行われた。この盤が初めてのデジタル・マスターだったということ。『EACH TIME』の84年版は、デジタル・マスターを使用した初めてのCDだった。(以後は再びアナログ・マスターを使用)まだCDも普及してない時期に、パイオニア中のパイオニアになったのである。

「デジタル・オーディオの全知識」(柿崎景二著、白夜書房)には、音楽激動の時代に、マスターの仕様について『A LONG VACATION』と『EACH TIME』で10数種類も試した試行錯誤が著者対論で吐露されている。サンプリングレート、テープ種類、ケーブル、DDPファイル等、あらゆる媒体について話される技術の極北の対談だ。

それらは一般人には到底理解できない微細な音の違いについての議論だ。果たして、そうした詳細な変化が一般リスナーの聴覚に影響を与えるのか?

その答えを考えるにあたって、大滝が技術論の渦中にあっても、「音」の問題を一貫して肉感的なものととらえていることが重要だ。

1971年の大滝最初のシングル「恋の汽車ポッポ」のカッティングで、大滝はレベルを「じゃんじゃん振って」とエンジニアにけしかけるうちにカッティング・マシーンが発火、モクモクと煙が上がったという。エンジニアは始末書を書かされた。洋楽の音圧の高いポップス・レコードに興奮し音楽を始めた大滝は、初めての盤を作るにあたり、そんな事件を起こしてしまった。彼は常に自分の肉体感覚の命じるままに音楽を作り続けた。体感に裏打ちされた判断が、冒頭のようなフェイド・アウトの有無で工場を待たせたり、といったプロセスにつながった。はたから見れば「どう違うの?」と思えるような工程の積み重ねで、結果を出していくのである。

激しい経過を辿った『EACH TIME』の後にオリジナル・アルバムをリリースすることはなかった。90年代には何度か新作のレコーディングに着手したが、それらは完成することがなかった。

1984年4月2日、大滝詠一『EACH TIME』がオリコン1位を獲得
13年後、自ら作詞もてがけたシングル「幸せな結末」がドラマ『ラブジェネレーション』主題歌として97年11月12日に発売され、大滝名義シングルでは初の2週連続で2位を記録した。

「あれは『EACH TIME』最後の作品、亡霊がずーっと残ってたのを、鎮んでくれたよ」と語る。

その後、生涯の各作品のリマスタリングがひたすら続いた。『EACH TIME』の最終『30th Anniversary Edition』は、2013年11月に作業を終えた。

それは全てをふっきったような爽快なできあがりとなった。誰も理解できない微細な工程をたどり、しかし、この最後の最後の盤は、誰が聴いてもわかる大傑作へとたどり着いた。

紆余曲折を共に味わったファンは、同じ作品でここまで聴こえ方が変わり、深く鮮やかに響くことに驚嘆した。

たかが音、されど音。大滝は微少な音の変化に大衆音楽の神髄を読んだ。それらの盤の出来の違いについては、おそらく子供から老人まで感知できるものだ。それが大衆音楽=ポップスの素晴らしさだ。彼の情熱は常に万人に向いていた。

野球や相撲を愛しつつも、実は片時も大衆音楽をその身から離すことがなかった大滝詠一は『EACH TIME』のマスタリングを終えると、ほどなく2013年12月30日に家族とデザートを食べている時に倒れ、急死した。

制作時に「葬送」も意識した彼の芸術は、最終的に生と死を超えたといえるかもしれない。後継者によって春になればリリースされていく作品も含め、繰り返された作品へのリトライが、大滝詠一の魂を、録音物を通し不滅の活動へと誘ったのである。

大滝詠一「幸せな結末」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を上梓。2018年4月パール兄弟新譜『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。
1984年4月2日、大滝詠一『EACH TIME』がオリコン1位を獲得

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