ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」第5弾 生誕100年記念・安川加壽子の ドビュッシー/シューマン/ショパン 発売

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ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」第5弾として、安川和壽子(1922−1996)の撰集2タイトルがリリースされる。

ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」第5弾 生誕100年記念・安川加壽子の ドビュッシー/シューマン/ショパン 発売

戦後の楽壇を牽引したピアニスト、日本のピアノ教育の礎を築いた名指導者・教育者
生誕100年記念・安川加壽子のドビュッシー/シューマン/ショパン 発売

「新日鉄コンサート」(1970年までは「フジセイテツ・コンサート」)は、ニッポン放送開局翌年の1955年10月から2005年3月まで50年に亘って放送された本格的クラシック番組。当時稀少だったライブ演奏の公開録音で構成されたこの番組は戦後日本のクラシック音楽界の発展に寄与する存在でもあり、遺された貴重なライブ音源からこれまでに、ピアノの田中希代子、ヴァイオリン諏訪根自子、また山田一雄指揮「NFC交響楽団」、巌本真理弦楽四重奏団などの名演をリリース、新旧音楽ファンのご好評を得ている。

今年2022年が生誕100年の記念イヤーにあたる安川和壽子は、戦後の日本へ本場欧州のピアノ音楽の真髄を届けた演奏家であり、また内外に活躍するピアニストを数多育成した名指導者であった。特にピアノ学習者のために初級からの楽譜の体系を確立、日本のピアノ教育の水準を世界的なものにしたことは名高く、このメソッドは今も親しまれ、全国の子どもたちにピアノを学ぶ楽しさを伝え続けている。

番組にも度々出演、ドビュッシーの作品による4回のツィクルスを演奏するなど、彼女らしいエレガントなプログラムでリスナーを魅了。今回はそのドビュッシー演奏会を始め、シューマン、ショパンの名演など、珠玉の選曲を堪能できる。また、番組でショパン演奏について語った安川のトークも収録、貴重な放送アーカイブとしても注目だ。

【CD概要】
ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」
『安川和壽子のシューマン』『安川和壽子のショパン、ドビュッシー』
演奏:巌本真理弦楽四重奏団
巌本真理(第1ヴァイオリン)友田啓明(第2ヴァイオリン)菅沼準二(ヴィオラ)黒沼俊夫(チェロ)
・発売日:2022年10月下旬
・みなし価格2,000円(税抜)
・CD番号:KKC2532/2533(KING INTERNATIONAL)

ニッポン放送 「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」

 

ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」第5弾 生誕100年記念・安川加壽子の ドビュッシー/シューマン/ショパン 発売

【1】「安川和壽子のシューマン」(KKC 2532)
(1)シューマン:謝肉祭 Op.9
(2)同:ピアノ五重奏曲変ホ長調 Op.44
安川加壽子(ピアノ)
(2)【ディヒター・クィンテット】日高毅・市原利彦(ヴァイオリン)、菅沼準二(ヴィオラ)、服部義夫(チェロ)
放送日:(1)1962年12月1日(2)1970年5月3日【公開収録】(モノラル)
※(1)謝肉祭は安川唯一の録音

ニッポン放送「新日鉄コンサート 伝説の名演シリーズ」第5弾 生誕100年記念・安川加壽子の ドビュッシー/シューマン/ショパン 発売

【2】「安川和壽子のショパン、ドビュッシー」(KKC 2523)
(1)モーツァルト:ロンド イ短調 K.511
(2)同:変奏曲イ長調 K.anh137(クラリネット五重奏曲の主題による6つの変奏曲 )
(3)ドビュッシー:前奏曲集第2巻 第2曲「枯葉」
(4)同:前奏曲集第2巻 第3曲「ビーニョの門」
(5)同:前奏曲集第2巻 第5曲「ヒースの草むら」
(6)同:前奏曲集第2巻 第12曲「花火」
(7)ショパン:前奏曲 Op.28 第7番、8番、15番「雨だれ」、16番、17番、22番、23番、24 番
(8)同:華麗なる大ワルツ Op.18
(9)同:英雄ポロネーズ Op.53
(10)同:ノクターン変ホ長調 Op.9の2
(11)ショパン演奏について(番組より~安川和壽子のトーク)安川和壽子(ピアノ)
放送日:(1)~(6)1970年4月5日 (7)~(10)1970年8月9日(モノラル)

 

安川加壽子(やすかわ かずこ)

1922年2月24日兵庫県生まれ、2022年は生誕100年にあたる。父は外交官で幼少時に渡仏、10歳でパリ国立音楽院に入学し、クララ・ハスキルなど歴史に残る演奏家を育てた名ピアニスト ラザール・レヴィ氏に師事。その才能を開花させ15歳で音楽院を卒業後、ヨーロッパデビューを飾る。
1939年第二次世界大戦のため帰国、日本で演奏活動を開始するも、東京大空襲で楽器・楽譜が消失し活動を断念。
1946年日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)の演奏会から復帰、以来全国多くのオーケストラと共演、ショパンやシューマンの連続リサイタルや室内楽など、活発な演奏活動で戦後の楽壇の振興につくした。
また東京藝術大学、桐朋学園大学、大阪音楽大学などで教鞭をとり、多くの優れたピアニストを育成。ロン=ティボー、ジュネーヴ、エリザベート王妃、ショパンなどの国際ピアノコンクールの審査員を数度に亘って歴任、日本演奏家連盟理事長、日本ショパン協会会長などの要職にあたった。
さらに楽譜の翻訳や監修に尽力、ドビュッシーやラヴェル、フォーレ等のフランス音楽の魅力を教え広めた。特にピアノを学ぶ子どもたちのための楽譜の体系を確立、今でもこのメソッドが学習者の基本になっている。
1983年、リウマチのため演奏活動を引退するまでピアノ界に貢献、ピアノ音楽の真髄を伝道した。
1996年7月12日永眠、享年74歳。

 

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