黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(3月21日放送)にプロレスラーで新日本プロレス社長の棚橋弘至が出演。プロレスの世界の素晴らしさについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。3月18日(月)~3月22日(金)のゲストはプロレスラーで新日本プロレス社長の棚橋弘至。4日目は、プロレスラーとして初めてベストファーザー賞を受賞したこと、そして笑顔で生きるということの大切さについて---
黒木)棚橋さんは100年に1人の逸材でありながら、ベストファーザー賞も受賞なさったそうですね?
棚橋)いただきました。プロレスラー初だったので、嬉しかったです。プロレスラーは「大きくて荒々しい」というイメージが先行していますが、「ベストファーザー賞を受賞する人は優しくて家族想い」というイメージがあったので、我ながら快挙だなと思います。
黒木)やはり100年に1人の逸材ですね。
棚橋)逸材感が出てしまいましたね。
黒木)『その悩み、大胸筋で受けとめる 棚橋弘至の人生相談』という本が中央公論新社から出ています。悩みに答えるのはいかがでしたか?
棚橋)相談するのもパワーがいるではないですか。ですので、その思いに何とか応えたいと考え、いろいろな解決方法を提案し、「これはどうですか?」というようなやり方で熱量を込めてやりました。
黒木)どんな相談が印象に残っていますか?
棚橋)「苦手な上司がいます」というような人間関係の悩みが多かったですね。そのようなときは「顔を常に笑顔でフィックスできるように頑張ってください」と言っています。ニコニコしながら挨拶すれば、人間関係は上手くいきます。私は常に笑顔です。
黒木)優しさと笑顔の棚橋さんですからね。
棚橋)母がいつもニコニコしていたので、自然とこうなったのかも知れません。
黒木)「楽しくなくても、楽しそうに生きることはできるよ」という言葉もありました。
棚橋)楽しさの基準は自分のなかにしかありません。「いいこともあれば悪いこともある」というのが世の常ですが、いいときと悪いときをグラフにして、人生を終えるときに平均したらトントンになると思うのです。いまは悪くても「これからよくなるぞ」という考え方でいけば、辛くても乗り越えられるかなと思います。
黒木)いいことがあったときも驕らず、次にくるかも知れない落ち込んだときのために備える。
棚橋)そのときのために準備しておけば、ダメージも最小限になります。
黒木)禍福は糾える縄の如し、ですね。棚橋さんはいま社長も務めていますが、映画にも出演されたのですよね?
棚橋)恥ずかしながら、映画で主演をしまして。
黒木)演技は初めてだったのですか?
棚橋)初めてでした。
黒木)いかがでしたか?
棚橋)準備期間を設けていただき、演技指導してもらいました。あとは滑舌ですね。私はサ行やタ行が苦手だったのです。「外郎売り」をやらせていただきまして、「拙者、親方と申すは、お立ち会いのうちにご存知のお方もござりましょうが」とずっとやっていました。
黒木)暗記したのですか?
棚橋)全部暗記しました。
黒木)もう棚橋さんは、やってできないことはないですね。
棚橋)はい。勉強もできますので。
黒木)プロレスもできて、社長もできて、勉強もできるという。
棚橋)悪いところがなさそうですが、1つ悪いところがあったのですよ。「優し過ぎる」のですね。
黒木)出ましたね。ではベストファーザー賞も、お嬢さんには優し過ぎるのですか?
棚橋)そうですね。「あれ買って、これ買って」と言われたら「いいよ」と言ってしまいます。この間も「欲しい服がある」と言われて一緒について行き、「いいよ」と言ってきました。もう大学2年生なのですが。
黒木)そんなに大きいのですね。
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/プロレスラー・新日本プロレス社長
■1976年、岐阜県生まれ。
■立命館大学法学部時代にレスリングを始め、1999年、新日本プロレスに入門。10月、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。
■2003年に初代U-30無差別級王者となり、その後2006年に団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を初戴冠。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の歴代最多防衛記録であるV11を達成した。
■またプロレスラーとして活動する一方で、執筆の他、テレビ番組等に多数出演。2018年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演。2016年にはベスト・ファーザー賞も受賞した。
■愛称は「100年に1人の逸材」。
■2023年12月、新日本プロレス新社長就任を発表。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳