ニッポン放送で毎週木曜日の夜8時からお送りしている『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』。

中尾ミエ、垣花正アナウンサー
この番組は、日本を代表する各界の著名人が毎週登場。今の日本の礎を築いた著名人たちは、何を考え、何を次世代に伝えるのか。芸能・文化・音楽・スポーツ・経済・政治など、日本を代表する各界の著名人が週替わりで登場し、自身の人生を振り返りながら、「次世代・NEXT STAGE」への提言を発信していく。
3月6日(木)は、歌手の中尾ミエが登場。1946年生まれ。福岡県出身。1962年にリリースしたデビュー曲「可愛いベイビー」は100万枚を売り上げた。同じ事務所の園まり、伊東ゆかりと「スパーク3人娘」を結成。日本テレビの音楽バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」などに出演し人気を不動のものにした。
芸能界入りを決めた理由について伺った。
中尾:(芸能界に入りたての頃は)所属していた渡辺プロダクションの渡辺晋さんの家で下宿をさせてもらっていました。まだ渡辺プロは、いろいろ会社作りをしていくという段階で。私も世間を知らないわけじゃん。だから経験することが全部、「なるほど。大人の世界ってこういうことなのか」って。だから感動もないし別に何もない流されてりゃいいんだなと思って。他にやることないから。口減らしで家を出られることがラッキーだった。それで、渡辺晋さんのところ住んでいいよって言うんで、住んでいいならばじゃあ住むかという。
デビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒット。その後、テレビに進出し、さまざまな分野で活躍する。
中尾:お芝居はやってましたね。映画もやってたし。映画の新人賞をもらったりなんかして。でもテレビがやっぱり創世記だったから。いろんな番組があって。それで、時代の流れっていうかトーク番組みたいなのが、生まれてきた時代だったから。そこに当時、世の中的に「口裂け女」っていうのが出てきて。マスクを外したら口が裂けている女性が全国の子供たちが怖がって口伝えで広がったんだけど。私は、その口裂け女をもじって、「口先女」っていうニックネームつけられたんですよ。
また、子どもの頃からメディアで活動していた中尾にとって、芸能界という場所は、どんなところなのか。
中尾:やっぱり私芸能界っていいところだと思いました。下手に花嫁修行するより、よっぽど常識とか、そういうのを教えてくれるしね。いいところだなと思いましたよ。なんか人を育てるという意味でのシステムが、偶然なのかもしれませんけど、芸能界には当時あったような気がしました。
最後に、次の世代への提言を伺った。
中尾 :世の中がこんなに発達して、だんだん考える能力が減ってきてると思うの。自分で判断するっていう能力がね。だから、みんな苦労を怖がったり、新しいものに手をつけるのを躊躇したりする。でも、失敗が一番人間を成長させるのよね。「汗かけ、恥かけ、金かけて」って言うんだけど、失敗したことが本当にやっぱり一番勉強になるんですよ。だから失敗は恐れちゃいけないし、それから昔のことわざで「苦労は買ってでもしろ」って言うじゃない。若い頃の苦労っていうのは、いくらでも取り戻せるからだから。そういうのを経験した方がいいと思います、まだ取り戻せるうちにね。
次回2025年3月13日(木)のこの番組は、藤岡弘、が登場する。