ニッポン放送で毎週木曜日の夜8時からお送りしている『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』。

川淵三郎
この番組は、日本を代表する各界の著名人が毎週登場。今の日本の礎を築いた著名人たちは、何を考え、何を次世代に伝えるのか。芸能・文化・音楽・スポーツ・経済・政治など、日本を代表する各界の著名人が週替わりで登場し、自身の人生を振り返りながら、「次世代・NEXT STAGE」への提言を発信していく。
3月27日(木)は、サッカーJリーグの初代チェアマン・川淵三郎が登場。1936年生まれ、大阪府出身。早稲田大学在学中に、サッカー日本代表に選出。その後、古河電気工業に入社。1993年発足のJリーグ初代チェアマンに就任、「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に注力した。
当初、サッカーのプロ化を目指すにあたり、反対の声が多く挙がったという。
川淵:いろんな人の反対があった。協会の幹部がだいたい反対したからね。時期尚早、前例がない、成功するわけがない……。サッカーをプロ化すると、ものすごく会社がお金出さなくちゃいけないじゃないか。そんな無駄なことを、どうしてお前たちはやるんだ、成功するわけがない、プロ化なんか成功するわけがない。当時、お客さんが少ないサッカーで、スタジアムもろくにもない。(プロ化に)反対されるのは当たり前だね。何でそういうことが可能だったかっていうと、(日本経済は)バブルの頂点だったんですよ。地方自治体も、企業も、もうお金が潤沢にあったのね。
Jリーグの創設時、メディアを賑わせたのが、読売新聞の社長で、プロ野球界でも大きな発言力があった渡辺恒雄氏との“舌戦”だった。
川淵:渡辺(恒雄)社長と僕が侃侃諤諤、議論をすることで(サッカーのプロ化について)世間に広く広まって、なんか話題性がすごかったね。だから渡辺さんは、実はすごく(Jリーグ創設の)功労者なんですよ。あの人と僕が、いろんな議論をした。成功するわけがないとか、そういう地域に根差したスポーツクラブなんてわけのわからないことを言ってるとか、(渡辺さんに)言われるたびに、僕が説明する機会を与えられていたわけでね。後々考えたら、結果的に渡辺さんにJリーグのPRをしてもらっていたんです。
メディアを巻き込んだ渡辺恒雄氏との議論が、結果として、Jリーグの大きなPRにつながったという。
川淵:いろんなタイミングがバッチリあった。本当に。だから(Jリーグの創設のタイミングが)バブルの頂点でなかったら、絶対ダメだったもんね。だから2,3年前でも、2,3年後でもJリーグは存在しえなかった。やっぱりサッカーの神様がいたのかなと思っちゃいますね。
最後に、次の世代への提言を伺った。
川淵:自分で好きなものを、どう見出せるか。世間から、「無駄なことをやってるなぁ」と思われても、その無駄は、無駄に終わらない。どんな無駄であっても、一生懸命取り組むことが出来れば、その無駄を活かすことができる。若いうちは、いろんなことにトライすること。その結果、自分の進む道が決まると思う。僕の場合、学生の頃、サッカーに夢中になったことが、今に繋がっている。無駄か、有意義かを考えずに、とにかく好きなことに打ち込むことが大事。