
オリックスで18年、メジャーは3年、日米通算21年の現役生活で平野佳寿の積み上げたセーブは258、ホールドも205。150キロ超のストレートに落差の大きいフォークボールを武器に、まさしくリリーバー人生を全うした42歳のラストゲームは、9月25日のソフトバンク戦。同じく今季限りでの現役引退を表明していた2014年の・リーグ最多安打・中村晃。カウント2ボール2ストライクからの5球目は「ちゃんと落ちてくれた」という126キロのフォークで空振り三振。試合後に行われた引退セレモニーには、平野のリリーバーとしての潜在能力を見抜き、先発からブルペンへと持ち場を転向させた元オリックス監督・岡田彰布さんも、多忙なスケジュールを縫って足を運んでいました。
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引退試合当日 京セラドームの壁画
「おう、ある程度、やれると思っていたよ」
労いの花束を手渡し、温和な表情で帰路につく岡田さんに、平野をリリーフに転向させた時の思いを振り返ってもらった質問への答えがこれ。確かに、あの日もなぜか、この日のような、確信に満ちあふれた口調でした。オリックス監督就任1年目の2010年2月、沖縄・宮古島キャンプを終えた頃だったと記憶しているのですが、たまたま岡田監督の横にいた私は、指揮官の思いも寄らぬ〝つぶやき〟に「えっ?」と声を上げてしまったのです。
「平野はなあ、リリーフよ」
その前年の2009年、オリックスは首位に26ゲーム差をつけられての最下位。その09年を含めた直近10年でも、Aクラスは2位に入った08年の1シーズンだけ。最下位が5度という、それこそ超がつく低迷期。09年のチーム防御率もパ・リーグ最下位の4.58。とにもかくにも、まずは投手陣を建て直すことが急務でした。
当時26歳の平野は。05年の大学・社会人ドラフトの希望枠でオリックスに入団。ルーキーイヤーに4完封するなど、当時の〝弱投〟の中でも、そのタフネスぶりは光っていました。それでも、1年目は7勝11敗、2年目も8勝13敗、右肘手術で1軍登板なしの3年目を挟んで、4年目の09年も3勝12敗。先発ローテを守りながらも勝てないのは、チームの成績が伴わないからか、それとも平野が勝ち切れないからチームが弱いのか。いずれにせよ、そこまでの経験と持てる素材の高さを考えれば、先発の軸は平野と金子千尋(現・日本ハム投手コーディネーター)であり、他に先発を安心して任せられるような、頼れる存在が見当たらなかったのが、当時のオリックス投手陣の状況だったのです。
そうした明らかなタレント不足の中で、平野をリリーフに回す?
私だけでなく、その時に岡田さんを囲んでいた各社の番記者にとって、平野のリリーフ転向は、その日の原稿になる大ネタでもあります。しかし、果たして本気なのか? オープン戦でちょっと、テストしてみよう、くらいの話なのか? 岡田監督の真意を掴み切れず、ついつい、こんな失礼な質問をぶつけてしまったのです。
「監督、平野をリリーフに回したら、先発おらんじゃないですか?」
しかし、そんなことはもう計算済み、百も承知だったようです。
「いやいや、そんなん、リリーフよ。だいたいな、ずっと先発やって3勝12敗よ。それだけ負けて、誰も止めんかったんか?」
今、こうやって振り返ってみても、岡田さんの慧眼はさすがでした。2004~08年の第1次阪神監督時代にも、藤川球児(現阪神監督)の〝火の玉ストレート〟とフォークに着目、先発で伸び悩んでいた右腕をリリーバーに転向させたのは有名な逸話。ジェフ・ウィリアムス、久保田智之(現阪神2軍投手チーフコーチ)のリリーバートリオ「JFK」の生みの親でもあった岡田監督は、平野に〝球児〟をダブらせていたわけです。
抜擢1年目の平野は32ホールド。7、8回のセットアッパーとして起用した頃、その狙いを訊ねた時の答えも、ふるっていました。
「なんで『ラッキー7』ってあるか分かるか? 攻撃は、7回に動くんよ。そしたら、そこを止めたらええんよ。相手は反撃の意欲をなくすんよ。だから、ラッキー7って言うんやったら、向こうを〝アンラッキー7〟にしたらええわけやん。そやろ?」
だから、そこに一番いいピッチャーを当てる。それがかつての藤川であり、オリックスではその役割を、平野に与えたというわけです。翌11年は49ホールドポイントで最優秀中継ぎのタイトルを獲得。森脇浩司監督のもと、ソフトバンクとの激しい優勝争いを繰り広ながら、惜しくも2位に終わった2014年には40セーブを挙げて最多セーブ投手。2018年からはメジャーに挑戦、ダイヤモンドバックス、マリナーズでの3年間で8セーブ、48ホールドを挙げると、2021年にはオリックスへ復帰。現役最後の日まで、リリーバー人生を見事に全うしたことになります。
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引退試合で声援を受ける平野
「先発で全然ダメ。1軍にしがみつくには、先発の思い入れもありましたけど、それがなかったら、今はなかったですね」
引退会見で、先発からリリーフへの転向指令を受けた時の思いを、平野はこう振り返りました。岡田さんへの感謝の思いは尽きません。
「平野はな、ちゃんと連絡してきよんのよ」
岡田さん、こういう〝礼を尽くす〟選手を、きちんと評価します。
「メジャーに行くときも『お世話になりました。行ってきます』って電話してきたし、戻って来た時も『またオリックスにお世話になります』って報告があったんよ。アイツは、そういうところ、しっかりしとるよ。そういうのは大事なことやん、な?」
本拠地・京セラドームの収容人数は3万6220人。平野の引退試合には3万6138人のファンが駆け付けました。その〝超満員〟の大声援は、平野佳寿という野球人の偉大さはもちろんのこと、球界を代表するような存在に駆け上がった今も、グラウンド内外で見せる謙虚さと律義さの反映でもあるような気がしました。



