知ってる?新御三家デビュー時のキャッチフレーズ!
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歌謡曲 ここがポイント!
チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)
昨今のアナログ盤ブームもあって、ますます注目されている昭和歌謡。文科省の方針で、近々高校では「歌謡曲」が必修科目になるという噂も聞きます。そのうち入試問題で「キャンディーズがデビューしたときのセンターは?」なんて問題が出るかもしれません。「ラン」と書いたら落ちますよ。最初はスーが真ん中です。この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。
中国史では、魏・呉・蜀の三国時代がよく試験に出ますが、歌謡史で同じくらい重要なのが新御三家です。今回は1970年代における、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の『ここがポイント!』を見ていきましょう。
60年代前半にデビューした御三家(橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦)から、約10年を経て登場した新御三家。ヒデキが55年4月生まれ、ひろみが55年10月、ゴローが56年2月と同学年で、デビューもほぼ同時期でしたが、キャラクターは三者三様で、ファンの人気も三分されました。
71年5月、『博多みれん』で最初にデビューしたのが、幼い頃からのど自慢荒らしとして知られた野口五郎です。当時まだ15歳と2ヵ月。しかもこの曲は演歌でした。しかしさっぱり売れず、同年8月、第2弾『青いリンゴ』からポップス路線に変更。実質的なデビュー曲といえるこの曲でスマッシュヒットを飛ばし、抜群の歌唱力と繊細な表現力でライバルに一歩先んじました。
これを追うように、翌72年3月、西城秀樹が『恋する季節』でデビュー。もともとロック志向だったヒデキは、ワイルドなアクションとセクシーな歌いっぷりで女性のハートをわしづかみにします。
そして72年8月、最後にデビューしたのが郷ひろみです。ジャニーズ事務所の先輩・フォーリーブスの弟分という位置付けでしたが、デビュー曲『男の子女の子』がいきなりヒット。女の子のような可愛らしさと独特の声を武器に、先行の二人がまだ達成していなかったオリコンベスト10入りを果たし、セールス面では一気にトップに立ったのです。
抜かれたヒデキは発奮、73年『ちぎれた愛』で初めて絶唱スタイルを取り入れ、最初にオリコン1位を獲得します。さらに74年、『薔薇の鎖』でマイクスタンドを振り回すアクションを披露、世間の度肝を抜きました(実は軽量マイクを特注)。ヒデキはこの年『激しい恋』『傷だらけのローラ』と大ヒットを連発、さらに攻勢をかけていきます。
負けじとゴローも、74年『甘い生活』で初の1位を獲得。続く『私鉄沿線』も連続1位に輝き、暮れの音楽祭では歌唱賞を総なめ。当時未成年ながら、大人の歌が歌えるシンガーとして世間にも認められました。
一方ひろみは、アイドル的人気では群を抜いていましたが、どう大人の歌手に脱皮していくかで悩んでいました。そんな悩める心を反映させた作品が74年『よろしく哀愁』です。安井かずみ・筒美京平コンビによるこの名曲で、ついに念願の1位に。アダルトシンガーへの階段を上がっていったのです。
こうしてお互いが切磋琢磨し、現在に至るまで様々なシーンで走り続ける新御三家。歌だけでなく、当時ひんぱんに行われていた「レコード会社対抗運動会」や「オールスター水泳大会」で運動神経を競い合ったことも忘れてはいけません。あそこの剛毛を「ギャランドゥ」と呼ぶようになったのは、ヒデキが水泳大会で見せた勇姿がきっかけです。また「カックラキン大放送」でゴローが演じた「ゴロンボ警部」、ひろみがドラマ絡みで樹木希林とデュエットしヒットさせた『お化けのロック』『林檎殺人事件』もぜひ覚えておきたい事項です。
去年から今年にかけ、三人は60歳を迎えましたが、二度の脳梗塞を克服したヒデキは記念ライブを開催。「ヒデキ、還暦!」というギャグが現実になりました。ひろみは去年の紅白にもバリバリの現役で出場しましたし、ゴローは超絶テクニックを持つギタリストとしても活躍。新御三家は、永久に不滅なのです。
ここがポイント!
<新御三家デビュー時のキャッチフレーズ!>
- 郷ひろみ … 「ヤングのエース登場!」
- 西城秀樹 … 「ワイルドな17歳」
- 野口五郎 … 「青い木の芽の、はだざわり」