歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)
最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。
「日本語ロック」のルーツは誰か?…というと、必ず「はっぴいえんど」の名前が挙がりますが、確かに彼らはその先駆者ではあります。
しかし活動当時、誰でも知っているヒット曲を世に送り出すことはできませんでした。
本当の意味で、ロックを世間に浸透させたアーティストは誰だったかというと、同じ1977年にブレイクし、ヒット曲を連発、テレビの歌番組にも出ていた3組のアーティスト=「ロック御三家」を忘れてはいけません。
今回は普段見落とされがちな、彼らの功績について見ていきましょう。
まずは大田区が生んだ天才ギタリスト・Char(チャー)です。
8才でギターを始め、中学生でスタジオミュージシャンの仕事を頼まれていたCharは、76年6月『NAVY BLUE』でデビュー。
9月にリリースの1stアルバム『Char』で超絶テクニックを存分に披露し、玄人筋からも高い評価を受けました。
こういうアーティストは、お高く止まってTV出演を拒んだりするものですが、Charが素晴らしかったのは、そのルックスを活かし、アイドルが出る歌番組にも積極的に出演したことです。
77年6月にリリースされた『気絶するほど悩ましい』は阿久悠作詞ですが、「メジャーになるためなら、シングルは歌謡曲路線で構わない」とためらわずに歌い大ブレイク。
裸の上半身に白いジャケットをまとい、水色のフェンダームスタングをかき鳴らす姿に、従来のアイドルに飽き足らなかった女性ファンたちは熱狂しました。
翌78年、同じく阿久悠作の『逆光線』『闘牛士』も立て続けにヒット。
「俺もCharみたいにモテたい!」とギターを手にした少年たちも多く、こうしてロックは世間に浸透していったのです。
続いて、新興レコード会社・フォーライフのオーディションに合格し広島から上京、同郷の先輩・吉田拓郎のプロデュースでデビューしたのが原田真二です。
当時まだ18歳でしたが、作曲能力は抜きん出ており、作詞家・松本隆とのコンビで、77年10月に『てぃーんず ぶるーす』、11月に『キャンディ』、12月に『シャドー・ボクサー』と、異例の3ヵ月連続リリースでデビュー。
凄かったのは、この3曲がオリコンベスト20に同時ランクインしたことです。
ピアノ弾き語りのスタイルですが、バックボーンにあったのは紛れもなく洋楽ロック。
カーリーヘアーの天才美少年に魅せられた女子中高生たちは、彼の奏でるピアノを通じてロックに染まっていきました。
最後に、77年11月にデビューしたのが、世良公則&ツイスト(後に「ツイスト」へ改名)です。
ヤマハ主催のポプコンで、ロックバンドとして初のグランプリを獲得した彼らは、受賞曲『あんたのバラード』でレコードデビューし、いきなり大ヒットを飛ばします。
彼らもChar・原田真二同様TV出演を厭わず、ボーカルの世良公則が、ガニ股&オーバーアクションで絶唱するスタイルは世間に強烈なインパクトを与えました。
当時、全国の小・中学生が学校でこぞってモノマネ。
かくいう私もその一人で、これもロック定着につながりました。
ツイストはその後も、『宿無し』『銃爪(ひきがね)』『性(さが)』『燃えろいい女』とヒット曲を連発。
「ロックバンドも立派に商売になる」ことを世に示したのは、何より大きな功績です。
商業的な成功を悪びれず、クォリティの高い楽曲とパフォーマンスで、新たなロックファンを開拓した「ロック御三家」。
ある意味、日本のロックを創ったのは彼らだと言っても過言ではないのです。
“ロック御三家”ここがポイント!
<ぜひ聴いてほしい名曲>
・Char …『SHININ' YOU, SHININ' DAY』(デビューシングルB面)
・原田真二 …『OUR SONG』(初の完全オリジナル曲)
・ツイスト …『レイディ』(後期の名曲 世良公則のコブシ回しが最高)