【ニッポンチャレンジドアスリート・藤井新悟選手(車椅子バスケットボール)インタビュー(5)】
このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。
藤井新悟(ふじいしんご)
秋田県出身。19歳の時事故で車椅子生活。その後、車椅子バスケットボールをはじめ、日本代表の主力として活躍。2004年、アテネ大会でパラリンピックに初出場。北京、ロンドン大会では代表のキャプテンを務め、リオでの4大会連続出場を決めた。宮城マックス所属。
-藤井には競技生活を支えてくれる曲がある。それは夫人との思い出の曲でもあった。
藤井 GReeeeNのキセキという曲です。これは今の妻と一緒にバスケットボールというものをやっている中で、一緒に頑張っていこうという思いで聴いた記憶がいまでもあります。
-夫人は同じ車椅子バスケットボールの選手で、女子日本代表のエースでもある藤井郁美選手だ。交際のきっかけは
藤井 妻のほうも日本代表選手として頑張っておりまして、そんな中、宮城県で全日本の合宿がありました。その際に女子代表の相手として宮城マックスが戦うことになりまして、その時に少しだけ話すようになりました。妻は出身が横浜市なんですけれどもそこで関東のチームに所属していましたが、もっと上を目指したいということでその時の日本代表ヘッドコーチの岩佐監督の下でバスケがしたいと宮城マックスに移籍するという形で、仕事も東北に移動して、バスケのために仙台に来ました。常に一緒に練習していく中で仲良くなったというのがきっかけです。
-2012年、二人は結婚。ともに日本代表となり、所属チームも同じ、家でもバスケの話をするのだろうか。
藤井 全然バスケの話しますね。一人でNBAを見て、すごいプレーがあると、巻き戻しして見直したりとか、全然しますね(笑)。
-藤井新悟にとって集大成となるリオ・パラリンピックまであと5か月。郁美夫人からはどんな言葉をかけられているのだろうか。
藤井 妻もたぶん僕がリオで最後だということがわかっておりますし、自分たち女子が行けなかったということもそれほど出しはしませんが、そうとう内に秘めているものはあるようです。息子もおりますので僕の集大成として精いっぱい頑張ってくるだけですね。東京オリンピックの時には息子が4歳くらいになっていますが、東京は妻がやってくれると思います。
-リオに向けてもう一つの重要なステップが来月5月3、4、5日に開催されるクラブチーム日本一を決める日本選手権。宮城マックスは前人未踏の8連覇がかかっている。藤井に豊富を聞いてみた。
藤井 これからは優勝一つが歴史を変えていくと思います。リオの年ということもありますので、必ず優勝したいと思います。また今年も宮城マックスが歴史を更新するところを必ずお見せいたしますので、東京体育館、日本選手権大会にぜひとも足を運んで見に来てください。お願いします。
(4月18日~22日放送分より)
『ニッポンチャレンジドアスリート』
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。