「こんなタイムで泳いではいけない」-小山恭輔選手(パラ水泳日本代表)インタビュー

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ニッポンチャレンジドアスリート・小山恭輔選手(パラ水泳日本代表)インタビュー(2)】

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小山恭輔(おやまきょうすけ)
1987年12月26日東京・東久留米市生まれ。中2のときに脳­梗塞となり、右半身に機能障がいが残る。リハビリで水泳を始め、高校から本格­的に競技生活をスタート。たちまち頭角を現し、パラリンピック出場を果たす。50­mバタフライで北京では銀、ロンドンでは銅メダルを獲得。今年のリオ大会で金メダル獲得を目指す。

 

-2004年、小山はアテネパラリンピックで自分と同じ半身麻痺のスイマーが泳いでいる姿を見て衝撃を受けた。
小山 アテネパラリンピックがあった当時、日本代表で泳いでいらっしゃった江島大佑選手という方が自分と逆の左麻痺の障がいで泳いでいて、こういう選手がいるんだったら自分もぜひ、水泳というもので世界と戦いたいという思いを持ちました。

-江島選手のように自分も世界で戦えるかもしれない、小山は本格的にパラ水泳に取り組み始めた。本格的にパラ水泳に取り組み始めた小山はたちまち才能を発揮し、どんどんタイムを上げ、2006年に行われたフェスピッククワラルン大会で初めて日本代表に選ばれた。小山はそこである選手に衝撃を受ける。
小山 唯一、衝撃が走ったのは今でも上に立っている選手なんですが、その当時16歳くらいの中国の選手がずば抜けて早かったのです。
それ以外の選手はドングリの背比べでその時に「タイムで泳いではいけない」と感じることができたので自分にとってとてもいい大会だったと思います。

-現在、バタフライをメインにしている小山、それも中国の選手がきっかけだった。
小山 その当時は前呼吸をしていたので45秒くらいで泳いでいたのでとうてい世界とは戦えないと思っていたところに彼が33秒くらいで泳いでいました。
12秒近く違ったので、これは改造しないといけないと感じました。
自由形もその選手は泳いでいたのですが、自由形はもっと早くて30秒近くで泳いでいたので、だったらバタフライで勝負したいと強く思いました。

-2008年小山はついに北京パラリンピックに出場を決めた。戦いの場は直前まで行われていた北京オリンピックで北島康介選手が二冠を制したのと同じプール。初めて体験した大舞台の印象は?
小山 最初はお上りさん状態で、自分が大好きな選手がいて、松田丈志選手が200メートルバタフライで銅メダルを獲られた。
そのプールでまた泳げるんだって思ったら自分、すげえと思ってしまって。

-さらに選手村でも驚くようなことばかりだった。
小山 食べ放題だったんですね。
これが選手にとって最高のパフォーマンスを発揮できるための場所か! と思って食べ過ぎちゃいまして3キロ増えてしまって、当時の監督に小山、お前このままでは何しに来たのかわからなくなるぞ、ふざけるな。と言われました。
でもそれがあったのであまりストレスを感じないでいられたのかなとは思います。

-小山は初のパラリンピックでいきなり結果を出した。なんと、50メートルバタフライで銀メダルを獲得したのである。
小山 本当にビギナーズラックがあったと思うのですが、あと北京という近い場所だったので大学の先輩と同級生と後輩が応援に来てくれてその5人が一番前に陣取ってくれいて「小山、小山!」っていう応援が聞こえたのでその前まではすごく緊張していたのですが出てきた瞬間にもうスイッチが変わったようになりました。
正直言って「取っちゃった」という感じでした。

(2016年5月16日~5月20日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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