【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。
鹿沼由理恵(パラサイクリング)
1981年東京・町田市生まれ。生まれつき弱視の障がいを持ち、クロスカントリースキーの選手として2010年、バンクーバー冬季パラリンピックに出場。その後、パラサイクリングに転向し、晴眼者のパートナーと1台の自転車を漕ぐダンデム競技に挑戦。パートナーの田中まい選手(ガールズケイリン選手)と世界大会で活躍。リオパラリンピック代表に内定、金メダルの有力候補として期待される。
―現在、左右の視力が0.02、中心が見えず周りがぼんやりと見える状態という鹿沼、まず始めたスポーツは冬季競技のクロスカントリーだった。
鹿沼 クロスカントリースキーを始めたのは当時私が東京都障がい者総合スポーツセンターに通って陸上のトレーニングをやっていたのですが、そこでセンターの職員から紹介を受けて新井監督に声をかけていただいたのがきっかけです。
―鹿沼は東京生まれで雪国の出身ではない。クロスカントリーのトレーニングはどこで行っていたのだろう。
鹿沼 冬は雪のある北海道や新潟に行って練習をしました。夏のオフシーズンの時はローラースキーというもので練習をしたり、山登りをしたりしていました。クロスカントリースキーの視覚障害の場合は前にガイドの方が走ってくださって、その声で後を追って走るのですが、雪の上を走るのでデコボコなく走ることができき、躓くことはあまりなく走りやすいですね。
―クロスカントリーの選手として2010年、バンクーバー冬季パラリンピックに出場した鹿沼はリレーでいきなり5位に入賞、メダルにあと一歩だった。
鹿沼 リレーの時に自分の板のワックスがまだ馴染んでいなかったこともあって、最初、スピードを出すことでできず悔いに残ったレースでした。もしあそこでもう少し滑れたら3位に食い込めたかなと悔しいレースでした。
―次のソチではメダルをと思った矢先に鹿沼は練習中のアクシデントで転倒、左肩を負傷。ソチを断念せざるを得なくなってしまった。そんな時、新たな競技に出会う。
鹿沼 ソチはメダルを狙っていました。けがをしてしまい、ただ出るだけのソチは嫌だったので出場を断念しました。そんな時に同じクロスカントリースキーをやっていたカナダのロビン選手というライバルでやり取りをしていた唯一の選手がいまして、メールをしたら彼女がタンデムという自転車競技をやっていて、2012年のロンドンパラリンピックに出るという返事をくれました。自転車だったら私もいけるかもと思ったので、日本の連盟に調べて連絡しました。ロビン選手はロンドンパラリンピックのタイムトライアルで優勝したのですが、それを見て自分もリオで頑張ろうと本格的に始めました。
―新たに出会った自転車二人乗りのタンデム競技。鹿沼の心に新たな希望の灯りが灯った。鹿沼が新たに出会ったパラサイクリング・タンデム競技、健常者の障がい者がタッグを組んで行う数少ない競技の一つだ。いったいどういう形で自転車を漕いでいくのだろうか。
鹿沼 タンデムは前に健常者のパイロットと呼ばれる方が乗って、ハンドル操作やロードだとブレーキ操作をしてくださって、後ろにストーカーと呼ばれる視覚障がい者が乗って、前のパイロットと一緒に漕いでタイム、またロードレースを競う競技です。ストーカーという意味は機関車の薪をくべるという方をストーカーと呼ぶのですが、タンデム競技でのストーカーはパワーを自転車に伝えて走るという意味で使われています。
―鹿沼は2013年カナダで行われたロードの世界選手権で初めて日本代表に選ばれた。この時のコンビを組んだのが、現在もパートナーを務める千葉の競輪選手、田中まい選手である。どんな出会いだったのだろうか。
鹿沼 田中選手は2013年の2月、まだ競輪学校の学生だった頃に私がパイロットを探していた時に、いろんな方が、トラック競技を走れて、ロードも走れる選手は田中まいしかいないと皆さん、口をそろえて言っていました。そこで当時の監督と一緒に競輪学校へ行ってお会いしたのがきっかけです。彼女も以前にタンデムの競技を見たことがあって興味を示してくれたのですが、彼女のデビュー戦を待って、6月過ぎに始めて一緒に乗りました。
―年齢は鹿沼のほうが年上。二人の呼吸はどう合わせているのか。
鹿沼 お互い、マイペースを崩さないのが好きです。レースとか練習になるとそこに集中するということも似ているので自然と息が合ってきますね。
―これまで出た国際大会の中で最も印象に残っている大会は?
鹿沼 2014年の7月にスペインで行われたワールドカップのロードタイムトライアルが一番印象に残っています。1位がイギリスで自分たちは2位だったのですが、イギリスと12秒差でした。一歩頑張ることができたら勝てたのに12秒差で負けてしまい、銀って悔しいメダルなんだなと感じたレースでした。
―その悔しさをバネに2014年、鹿沼―田中コンビはアメリカで行われたロード世界選手権で優勝。世界一になった。
鹿沼 ロードタイムトライアルは全選手がゴールするまで何位だかわからないので、ゴールした時は、優勝したという実感は全然わかなくて、表彰台で国歌を聞いた時にやっと優勝できたんだなと思いました。
―いよいよ3カ月後に迫ったリオパラリンピック。自転車のタンデム競技は今、世界でどの国が強いのだろうか?
鹿沼 パラサイクリングのタンデム競技は女子だとイギリスとニュージーランドが一番強いです。オセアニアは健常者のほうも強いのですが、ニュージーランドはタンデムが安定して強いです。ニュージーランドのエマ選手はロードタイムトライアルも強いですし、個人追い抜きも強い。自分たちより数段上の脚質を持っていますね。自転車の場合はトラックの短距離が得意な選手とロードレースのような長距離が得意な選手と分かれますが、ニュージーランドも私たちも中距離が得意でトラックの3キロの個人追い抜きとロードのタイムトライアル、この両方をカバーできる脚質ですね。
―しかし、鹿沼―田中組も負けてはいない。去年日本で初めて行われたジャパンパラサイクリングカップでポーランドの選手に勝ち、金メダルを獲得した。ヨーロッパの強豪に勝った感想は?
鹿沼 初めて国際大会を日本の修善寺で開いていただき、ポーランドの選手は去年のロードタイムトライアルロードレースの優勝した世界チャンピオンの方だったのですが、トラックでその強い選手に勝てたのはとても嬉しかったですね。
―さらに今年は、1月にアジア選手権でも優勝。5月13日、田中選手とともにリオパラリンピック代表に内定した。パラリンピックの自転車競技に日本の女子選手が出場するのは初めてのこと。鹿沼にとって夏季パラリンピックは初出場になる。バンクーバー冬季大会の時と比べると心境は?
鹿沼 バンクーバーに続いてリオのパラリンピックで内定いただけたことは嬉しく思っています。でも今まで世界選手権でも自転車では成績を残してきたが故のプレッシャーも感じて、リオではそのプレッシャーに勝てるように、バンクーバーの時の数段いい走りができればいいなと思います。プレッシャーを感じているということは周りの方もわかっていてくれていて、励ましとリラックスの言葉をかけてくれますのでそれに応えられればと思っています。
―パートナーの田中にとってはパラリンピックは初舞台になる。鹿沼はどんなケアとしていつのだろうか。
鹿沼 田中選手は大学時代にユニバーシアードの世界選手権に自転車で出ていますが、パラリンピックという障がい者の大会に出るのは初めてなので、自分のことだけに集中してくれればいいからと彼女には伝えています。
―鹿沼は競技に専念するため、それまで勤めていた会社を辞め去年1月から楽天ソシオビジネスに入社した。
鹿沼 楽天ソシオに入社したのは2015年の1月です。知人からの紹介で楽天ソシオが障がい者スポーツの選手を取りたいということで声をかけていただいたのがきっかけです。楽天ソシオビジネスというのは楽天株式会社の特例小会社になるのですが、楽天本社の人事系のアウトソーシングを受けている部署で働いています。
―現在、鹿沼は仕事と競技をどう両立させているのか、1週間のスケジュールを聞いてみた。
鹿沼 現在はリオに向けて練習時間を多めに取りたいということで、会社への出勤日は月曜日と金曜日、練習日は火曜、水曜、木曜日と土日とう形で練習と仕事を両立させていただいています。
―会社の同僚たちも鹿沼のことを応援してくれている。
鹿沼 みなさん社内でパラリンピック選手がいるということを誇りに思ってくれていて、パラリンピックがこんなに身近に感じられるのは嬉しいと声をかけてくださって、自転車の女性選手が1名と車いすバスケの選手がいます。車いすバスケの情報を聞くのも楽しいですし、自分も自転車のことを話すのは楽しいです。また、社内にトレーニング・ジムがあるのですが、練習していると声をかけてくれてみなさん、応援してくださっています。取締役の方もトラック競技に見に来てくれています。
―リオまでいよいよあと3カ月、本番に向け田中選手とともに二人は今、どんなトレーニングを積んでいるのだろうか。
鹿沼 リオまでの大会は伊豆大島で行われる全日本のロードタイムトライアルがひとつありますが、あとは個人のパワーを上げつつ、二人での練習も増やしています。2週間に1回くらいのペースで2、3日やっています。タンデムで走れる場所とトラックがある場所が限られているので修善寺の日本サイクルセンターで練習したり、田中選手が所属している千葉競輪場で練習をしています。あとはロードの練習が今、全国で11府県しか走れないので今後、長野県でもロードの練習をしていく予定です。
―鹿沼には競技生活を支えてくれた大好きな曲がある。
鹿沼 ゆずの「夏色」という曲を聴いています。ロードタイムトライアルはガンガン走りたいので「夏色」を聴いて気分を高めて走っています。「夏色」の中に自転車のフレーズも出てくるし、気分も盛り上がるので好きです。
―家族も鹿沼の競技生活を支えてくれている。
鹿沼 私自身が試合を見られるのが恥ずかしいのであまり来ないように両親には伝えています(笑)。練習でイライラする時もあるし、不安に思ったりする時もあるのですが、そんな時、何も言わずに見守ってくれているのは自分にとってありがたいです。食事もバランスよく作ってくれています。自転車はペダルを回して力を伝えていくのですが、そのペダルを回している時にかかとがどんなふうになるのいいのか、というようなことを言ってくれる時がありますが、ヒントになることがあります。
―そんな鹿沼の将来の夢は?
鹿沼 自分が満足できたスポーツを次世代に伝えていくということが、自分の集大成だと思っているので、自分が教わったことと考えたことを次の世代に伝えてまた、その伝えた子たちが輝いてくれることが夢ですね。
―2020年の東京パラリンピックでも鹿沼は金メダル期待されている。4年後に向けた抱負は?
鹿沼 今はリオしか頭にないのですが、リオが終わって、自転車から離れられるかな、考えると、東京も見えてくるんじゃないかと思います。
―改めて鹿沼にタンデム競技の魅力を聞いてみた。
鹿沼 自転車のタンデム競技の魅力は、自分一人では出し切れないことが二人で息を合わせてやれば出し切れるということです。視覚障害のどの競技もガイドとか伴走車がいるのですが、一つのものをお互いが力を合わせて動かすのは自転車のタンデム競技しかありません。私たち頑張ってメダル目指して走るので、みなさん応援よろしくお願いします。金メダルを獲ったらその時の気持ちを叫んでみたいですね(笑)。
(2016年6月13日~6月17日放送分より)
『ニッポンチャレンジドアスリート』
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。