祝!優勝!!広島出身アーティストの曲 【歌謡曲ここがポイント!】
公開: 更新:
歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)
最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。
広島カープ、25年ぶりの優勝、おめでとうございます!私も幸い、東京ドームで生観戦することができました。ドラゴンズファンの私ですが、黒田の涙にはグッとくるものがありました。心から拍手を贈りたいと思います。
カープファンの有名人も喜びのコメントを続々と寄せていますが、実は広島は芸能県でもあり、吉田拓郎、矢沢永吉、奥田民生(ユニコーン)ほか重要なミュージシャン、アーティストを多数輩出していることは、押さえておくべきポイントです。今回は、カープ優勝記念ということで、「広島出身、カープファンのアーティストのヒット曲」を見ておきましょう。
1975年、カープが球団創立初の優勝を飾った年、最後まで競った相手は、前年優勝のわがドラゴンズでした。くしくも今回の優勝日と同じ9月10日、今は解体された旧・広島市民球場で両チームは直接対決。この試合で、ホーム上のタッチプレーがきっかけとなり、ファンもグラウンドになだれ込む大乱闘が起こったのですが、そのとき、ドラゴンズのエース・星野仙一に砂をかけた少年が、カープファン歴50年の風見慎吾(現・しんご)です。
彼は一世風靡の初期メンバーでもあるのですが、『欽ちゃんの週刊欽曜日』のオーディションに合格し人気者に。83年、同郷の吉田拓郎作曲『僕笑っちゃいます』で歌手デビューし、大ブレイクしますが、歌謡史上で重要なのは、第4弾シングルの『涙のTake a chance』です。歌謡曲に初めてブレイクダンスを採り入れた意欲作で、風見は本場ニューヨークまで修行に行き、いち早くTVで披露しました。彼のダンスを見てブレイクダンスを初めて知った人も多く、日本のダンスシーンにおいても“大恩人”なのです。
世間的には「芸能界屈指の大相撲ファン」として知られていますが、実はプロ野球にも造詣が深いのが、デーモン小暮閣下です。世を忍ぶ仮の姿で布教中、小学3〜4年の頃、一時広島で生活していたことがあったそうで、その縁でカープファンに。カープが終始好調だった今年は、野球関係の番組でもよく閣下をお見掛けしました。
閣下率いるヘヴィメタルバンド・聖飢魔II(せいきまつ)は、85年に地球デビューし、カープが5度目の優勝を飾った86年、『蝋人形の館』がスマッシュヒット。一部愛好家のものだったヘヴィメタを一般化した功績は大きく、バンドにとっても代表作になりました。現在、御年10万53歳のデーモン閣下にしてみれば、「25年ぶりの優勝」など大した長さではないように思うのですが、感慨深そうにコメントしていたのが印象的でした。悪魔をも魅了してしまう“赤い魔力”を今年のカープは持っていたのです。
広島県福山市生まれで、祖父の代から一家で応援しているという筋金入りのカープファンが世良公則です。役者としても活躍していますが、『太陽にほえろ!』でボギー刑事を演じたときのキャラクター設定は「瀬戸内出身で、熱烈なカープファン」でした。神田正輝演じる巨人ファンのドック刑事と、野球をめぐって口角泡を飛ばすシーンはお約束でしたが、これも本人の意向が反映されたそうです。
ミュージシャンとしても、ツイスト時代の一連のヒット曲によって、ロックの歌謡化に大きく貢献しましたが、「江夏の21球」でカープが日本一になった79年発売の『燃えろいい女』は、ジャケットをよく見るとタイトルが赤です。
こうしてみると、広島出身のアーティストは一本筋が通った、我が道を行く人が多いように思います。「がんこじゃきぃ」ということなんでしょうか。
「広島出身アーティストの曲」ここがポイント!
<この人も広島だった!>
・浜田省吾『風を感じて』(1979)
…竹原市生まれ。カープ優勝の79年、この曲が初めてヒットしブレイク。
・原田真二『タイム・トラベル』(1978)
…広島市生まれ。同郷・吉田拓郎プロデュースでデビュー。
・吉川晃司『モニカ』(1984)
…安芸郡府中町生まれ。カープ3度目の日本一の年にデビュー。
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。