【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。
北田千尋(きただ・ちひろ)
1989年和歌山県生まれ、27歳。滋賀県在住。先天性の障がいのため、通常は杖を使用しているが、大学3年生の時に車椅子バスケットボールに出逢い、2009年から本格的に競技を開始。2012年、関西の女子強豪チーム「カクテル」に加入。2014年、全日本女子選手権でMVPを受賞する。女子日本代表で、4年後の東京パラリンピックを目指す。
―先天性股関節脱臼のため、生まれつき右足の股関節が十分に動かせない北田。幼い頃は喘息の持病を抱えていたため、そちらの治療を優先。杖をついて日常生活を送ることになった。
北田 小学校6年生の時に手術するかどうかという話もありましたが、日常生活に問題がないということで両親はこのままでいいと決断しました。現状としましては右足の股関節の可動域が少ないことと、筋力が少ないという状態です。日常生活では、はクラッチという杖を持って歩行は可能です。長距離になると股関節の状態を保存するためにも車椅子を使用することもあります。
―喘息と足の障がいのため、幼い頃はほとんどスポーツと無縁だった北田。しかし、中学の時、近所のお姉さんに誘われたのをきっかけにバスケットボール部に入部。みんなと同じメニューはこなせなかったが北田はバスケをだんだん好きになっていった。
北田 中学の時点で自分はバスケットできない体だということが分かっていたので、高校はバスケット部のない高校に行ったのですが、やはり、バスケットをしたい気持ちは強かったです。その時は女子バスケ部はなかったのですが、私が1年生の時に顧問の先生を探し、部員を探してバスケ部を創部して私が教えながら高校の3年間は公式戦に全部出ました。そこで自分がバスケットをできなくても、人に伝えたり、教えることでバスケットと関われるんだということに気づき、大学は体育の教員免許を取ってバスケ部の指導者になろうと体育の教員免許の取れる学校に行きました。
―車椅子バスケットボールの存在を知った北田は、大学3年生の時、自分もやってみようと決意。実際にプレーして感じたことは?
北田 中学校の時に七夕飾りに「この先走れなくなってもいいから、1試合だけ思いっきり走りたい」って書いたのを覚えています。なんで自分だけ思い切り走れないんだろうとずっと思っていたので、車椅子に乗って…私は走るって表現を使うのですが…手を動かして自分の体が前に行って風を切る感覚を味わった時に、車椅子に乗ったら思いっきり走れるんだというのを実感して、そこからのめり込んで行きました。
―北田は車椅子バスケットボールのチームに入って本格的に競技を始めようと決意。最初に加入したのが男子チーム「北九州足立クラブ」だった。
北田 面倒見のいい方がいらっしゃって、その方も元男子日本代表の方だったのですが、大学生なので電車で行かないといけない距離にあったのですが、家が近かったので毎週、送り迎えをしていただいたり、遠征にも連れて行っていただいたり、たくさんのことを教えていただいて、車椅子バスケットボールの楽しさというのは全部北九州足立クラブで学びました。もし、私が最初に女子チームで始めていたらこんなに車椅子バスケットボールが好きになったかどうかわかりません。とても感謝しています。
―その後、女子のクラブチーム「九州ドルフィン」に移った北田はジュニア世代の日本代表に選ばれ、世界への扉が一気に開かれた。2011年、北田は25歳以下の女子日本代表に選ばれ、カナダで行われたジュニア世代の世界選手権に出場した。
北田 自分はその時点で代表になりたいとか、世界大会に出たいということは思っていなくて、そこから代表の合宿に呼んでいただけるようになって、徐々に世界でプレーすることは楽しいんだなということに気づき、代表になりたい、代表になったからにはパラリンピックに出たい、オパラリンピックに出るからにはメダルを獲りたいというように目標が上がって行きました。
去年の秋、北田は車椅子バスケ女子代表の一員としてリオパラリンピック最終予選を兼ね、千葉で行われたアジアオセアニアチャンピオンシップに臨んだが、リオへの切符をつかむことはできなかった。4年後に向け、見えた課題は?
北田 個々の能力が低すぎるので、ヘッドコーチが戦略を考えてくれたとしても、それにこたえるだけの能力が個々の選手にないなと感じました。そこができないと、その上に何も乗っからないのでそこのベースが日本は低すぎると感じました。
―まず、必要なのはメンバー個々の能力の底上げ。そこで北田は海を渡り、今年4月からオーストラリア・リーグに参加した。オーストラリアで学んだことは?
北田 向こうの選手は気持ちの面がとても強くて、練習に関しても試合に関しても、そんな初心者の選手であれ、気持ちが強く、戦う雰囲気が日本と全然違う。そこは見習ってやらなくてはいけないと思います。もちろん、男子との練習とかゲームをさせていただく中で体格差のある相手との中で自分がどうすれば得点を重ねられるのかを考えるようになりましたし、得られたことはたくさんありました。
―現在所属する関西の女子チーム・カクテルには同じく代表に名を連ねた主力選手・網本麻里がいる。実は北田と網本は同じ学年、普段の仲は?
北田 同級生なので、電話したり遊びに行ったりします。
―北田はオーストラリア挑戦と共にこれまで所属したTOTOサンテクノを退社し、帰国後、今年春から株式会社LINEとアスリート雇用を結んだ。前の会社には非常によくしてもらい、なんの不満もなかったというが、あえて環境を変えた理由は?
北田 体育館を持っている工場だったので朝毎日5時に起きて仕事前に2時間練習して、8時半から5時まで仕事をして、そこからチーム練習に行って、夜帰って来ると11時ぐらいという生活をしていました。仕事しながら、自分はできることは全部やったという自信があった4年間でした。
―しかし、リオへの切符をつかむことは出来なかった。
北田 それでも勝てなかった。次の4年間、同じことを続けて勝てるようになるのか、次負けた時に後悔しないかと思ったら、環境を変えるしかないなと思ったのでTOTOさんには退職した今も体育館を貸してもらったりとサポートしていただいているのですが、人生は一回しかないので、後悔しないためにバスケを中心にできる生活を選びました。
―北田が今年、大きな目標としている大会は?
北田 直近で言うと、これは代表ではないのですが、11月に全日本女子選手権という全国大会があって、今、私が所属しているカクテルは2連覇しているので今年も勝って3連覇することが最大の目標なのですが、今年は網本がドイツに行ってしまって半年間向こうのチームでプレーするのでいません。網本なしで私たちが優勝した時に本当に強くなったんだと実感できると思います。
―改めて、北田にとって車椅子バスケットボールの魅力とは?
北田 私にとっては走れることです。観ていただいている人にとっての魅力は、障がいというのはそれぞれ違い、努力ではどうしようもない部分をルールを作ることによって平等にして違う身体状況の人が競い合えるというところが健常者のスポーツにない魅力だなと思います。
(2016年9月12日~9月16日放送分より)
『ニッポンチャレンジドアスリート』
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。