ブライアン・フェリーは、日本ではキムタクのテレビドラマ『ギフト』の音楽や日産やフジフィルムのCMを通じて知っている人が多いかもしれない。いや、それも、もうかなり昔の話になってしまった。いまやイギリスのロックの重鎮の一人というほうがいいだろう。
初期のロキシー・ミュージックのころのブライアン・フェリーはまずグラム・ロックのスターの一人だった。
お化粧したり女装したりヒカリモノを身にまとったりしての演奏が話題になったグラム・ロックは1971年から翌年にかけてイギリスで巻き起こったブームで、いわゆるビジュアル系の遠いルーツのひとつにあたる現象だ。
マーク・ボランのいたT・レックスと、星から落ちてきた男を演じたデイヴィッド・ボウイがそのブームの口火を切った。ロキシー・ミュージックはそれを追う形で登場してきたグループで、ボウイのツアーの前座に起用されたこともある。後に日本のミカ・バンドが彼らのイギリス・ツアーの前座に起用されたこともあった。
デビュー当時のロキシー・ミュージックは、ブライアン・フェリーがボーカル。ブライアン・イーノがキーボードやエレクトロニクス。他にギターのフィル・マンザネラ、サックスのアンディ・マッケイ、ベースのグレアム・シンプソン、ドラムのポール・トンプソンなどが出入りしていた。
全員ヒカリモノの衣装を身につけ、お化粧してステージに立っていたが、彼らのおもしろさは、一方に1950年代のロックンロールに帰るような簡潔性を、一方に未来志向を持っていたところで、両方をひとつにするために、きわめて人工的に感じられる音楽をやっていた。それは「リ・メイク・リ・モデル」というファースト・アルバムの冒頭の曲のタイトルからもうかがえるだろう。
グラム・ロック的な流行が去ると、ブライアン・イーノはグループを去って現代音楽的な世界に足を踏み入れ、環境音楽(アンビエント・ミュージック)を提唱、やがてトーキング・ヘッズやU2 を担当して20世紀のロックの代表的なプロデューサーになっていった。
ブライアン・フェリー、フィル・マンザネラ、アンディ・マッケイを核とするロキシー・ミュージックは、次第にお洒落なロンドンをイメージさせるグループに変貌。しばらく活動停止していたこともあるが、ゆっくり期間をとりながら再稼働と休止をくりかえして現在に至っている。
グループがお休みのとき、ブライアンはソロ活動を行なっており、当初はソロではカバー重視、グループではオリジナル重視だったが、時代が下がるにつれて区別がつきにくくなってきている。
ブライアン・フェリーはへなへなとした歌声なのに、それが不思議に印象に残る歌手だ。彼はその声で、ロック歌手イコール高音でシャウトする人、というステレオタイプな常識をくつがえした。ロキシー・ミュージックで耽美的な音楽をやる一方で、ソロではボブ・ディランの反戦歌をうたったりする振れ幅の広さもある。
アメリカのソウル/R&B的なリズムの影響を受けながら、イギリス的なダンディな音楽を緻密にやり続けているブライアン・フェリーは、他に類を見ない存在といっていいと思う。都会的でお洒落なミュージシャンの代表選手のように言われている彼が実は農村出身というギャップも、ほほえましくていい。
【執筆者】北中正和