広く、人の心に響く音楽を目指すYAMAHAの50年を振り返る

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ギターやピアノなど楽器や、音楽・音響機器のメーカーとして世界的に知られているヤマハですが、今から50年前、1966年に財団法人『ヤマハ音楽振興会』を設立しました。

20161230YAMAHAの音楽50年_しゃべる

この『ヤマハ音楽振興会』の設立の背景には、理事長の川上源一さんの音楽への強い想いがありました。
ヤマハの前身『日本(にほん)楽器製造』の元社長で、『ヤマハ発動機』の創業者でもある川上さんは、1950年代に欧米を3ケ月間、視察され、”音楽のある暮らし”というものの存在を認識されたそうです。

ところが当時の日本では”音楽は鑑賞するもの”であり、”自ら楽器を演奏”して楽しむ人は、少なかったそうです。
そこで川上さんは”楽器を買ってもらっても、楽しみ方を知らないのでは申し訳ない”と、新しい音楽教育を行うべく、音楽教室の開設を決意しました。それが1954年に開設された『ヤマハ音楽教室』です。

さらに川上さんは『クラシックよ、さようなら。ポピュラーよ、こんにちは』を合言葉に”広く、人の心に響く音楽をやっていこう!”と、
1966年に『ヤマハ音楽振興会』を設立。音楽教室だけでなく、ポピュラー音楽の普及に取り組みました。

この1966年という年はヤマハだけでなく、日本の音楽の歴史にも大きな1ページを残しています。
この年、『ヤマハ初の国産フォークギター』、さらに『ヤマハ初のエレキギター、ベース、ギターアンプ』が発売され、これをキッカケに『フォークギター』『エレキギター』が”日本のポピュラー音楽の象徴”になりました。

その後、ヤマハはニッポン放送と協力して『ポピュラーソングコンテスト』、いわゆる『ポプコン』と連動し、1971年から深夜の人気音楽番組『コッキーポップ』をスタート。さらに1986年秋からは『ティーンズ ミュージックフェスティバル』を開催し、『ぽっぷん王国』『ティーンズ ミュージックウェーブ』といった番組を展開してきました。

実は今年2016年は『ポプコン』と『コッキーポツプ』が終了して30年。また『ティーンズ ミュージックフェスティバル』『ティーンズ ミュージックウェーブ』が終了して10年になります。さらに『ポプコン』の本選会場であり、”フォークの聖地”と呼ばれた静岡県の『ヤマハリゾートつま恋』が、12月25日で42年の歴史に幕を閉じました。

この様に日本の音楽シーンにとっても、大きな節目となった今年2016年のエピローグとして、ニッポン放送がヤマハと協力して作り上げてきた”リスナーと音楽を繋いできた数々の番組”や”イベント”を振り返ります。
さらに、そんな”歴史の当事者”である、アーティストや関係者のコメントも紹介していきます。

『ポプコン』と『コッキーポツプ』の司会を長らく担当し、『ポプコン』の顔とも言える大石吾朗さん、スタッフ、出場者全員が「これがグランプリだ!」と、認めた曲は?

元六文銭の小室等さん。
「出発の歌」の「世界歌謡祭」出場の際の秘話とは?

八神純子さん
グランプリは逸したが、唯一の2冠受賞の本音は?

谷山浩子さん
内気な少女が、ポプコン出場で得たものは?

中村中さん
ティーンズとは思えない存在感を発揮したアーティストが、
ゲスト主演した時の意地とは?

川口勇吉さん
つま恋'75オールナイトコンサート中止の危機を救ったのは?

当事者ならではの、エピソードも満載です。

ニッポン放送イヤーエンドスペシャル YAMAHAの音楽50年
12/30(金)12:30~15:00

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