第一線で活躍している現役アーティストの訃報にはいつも驚く。1978年1月23日に亡くなったシカゴのギタリスト、テキー・キャスの時も同じだ。まだ31歳。しかも、ピストルの暴発による事故死という報道がなおさらショッキングだった。
事故はピストル好きの彼が手入れをしていた最中に起きた。ふざけてこめかみに当てた銃口から、本来は入っているはずのなかった弾丸が発射されたという。自殺説も囁かれたが、予想外のことだったので、彼自身もこの世に未練を残しての逝去だろうし、シカゴにとってもパワフルでソウルフルなメンバーの損失は大きな痛手だったと言える。結局、彼はまだグループがシカゴ・トランジット・オーソリティと名乗り、ジャズ・ロック~ブラス・ロックを全面に出していた頃のデビュー・アルバム『シカゴの軌跡』(69年/第17位)から、ひとつの高みに到達した『シカゴⅪ』(77年/第6位)まで参加。後任は元スティヴン・スティルス・バンドのドニー・デイカスだったが、テリーの死がなかったら、サンズ・オブ・チャンプリンのリーダー、ビル・チャンプリンの加入もなかったかもしれない。
そのグループ名通り、テリー・キャスは1946年1月31日、イリノイ州シカゴの生まれ。要は事故さえなければ、まもなく32歳の誕生日を迎えるはずだったが、この世代の音楽少年のひとつの典型としてヴェンチャーズ(ノーキー・エドワーズ)でギターに魅せられ、ジミ・ヘンドリックスを敬愛していたという。ただ、彼がジャジーなプレイを聴かせるように、ケニー・バレルやジョージ・ベンソンらの影響を強く受けている。人気テレビ番組「アメリカン・バンドスタンド」の司会として知られるディック・クラークのパッケージ・バンドにギタリストではなく、ベーシストとして参加していた経験があるが、テリーはいくつかのローカル・バンドを経て、シカゴ(・トランジット・オーソリティ)のメンバーとして本格的なプロ・デビューを飾っている。
ファンにとって思い出深いのは、デビュー・アルバムのオープニング・ナンバーとしておなじみの「イントロダクション」がいきなり彼の作品で、自らヴォーカルも務めていたことだ。また、彼が参加した最後のアルバムのラスト・ナンバー「愛しい我が子へ」はドラムスのダニー・セラフィンと元マデュラのデヴィッド・ウォリンスキーの共作曲ながら、テリーがヴォーカルを担当。彼の死後にシングル・カットもされている(第44位)。その他の作品ではやはり、東京・赤坂のディスコに関連した出来事を綴った「思い出のビブロス」が日本のファンには忘れられない1曲ではなかろうか。さらに、自作曲ではなかったけれども、「ぼくらに微笑みを」(70年/第9位)、「自由になりたい」(71年/第20位)、「ぼくらの世界をバラ色に」(71年/第7位)、「ダイアローグ」(72年/第24位)、「渚に消えた恋」(74年/第11位)などのシングル・ナンバーでリード・ヴォーカルを分け合っている。中にはグループの初代プロデューサー、ジェームス・ウィリアム・ガルシオが監督した映画『グライド・イン・ブルー』(73年)に出演したり、挿入歌の「テル・ミー」を歌ったりしていることを記憶しているファンもいるだろう。間違いなくシカゴにとっては重要な存在で、何事もなければ、ソロ・アルバムの制作に入る予定だった。
【執筆者】東ひさゆき(あずま・ひさゆき):1953年4月14日、神奈川県鎌倉市生まれ。法政大学経済学部卒。音楽雑誌「ミュージック・ライフ」、「ジャム」などの編集記者を経て、81年よりフリーランスのライターに。おもな著書に「グラミー賞」(共同通信)など。