本日3/31は日活ロマンポルノ界の聖子ちゃん寺島まゆみの誕生日【大人のMusic Calendar】

By -  公開:  更新:

寺島まゆみ-ゴールデン☆ベスト

スタジオ・オーディションで、モニターから聴こえてきた、凛としたその声を聴いた瞬間、「やるっきゃないでしょう!」と思いました。
それが、「ロマンポルノの聖子ちゃん」と、注目を浴びていた寺島まゆみ(20歳)との出会いです。1981年の事でした。そして本日3月31日は彼女の誕生日となります。

暗く寡黙で、目力の強さだけが印象に残る、小柄な少女の何処からこんな艶っぽく伸びやかで、かつ情念を隠し持った声が出るのか、しかも歌い手ではない女優が!と、新鮮な驚きを感じたものです。後日、本人の弁によれば、当日歌った「いい日旅立ち」に、あーだのこーだのと細かく注文を付けられたとのこと。

基本的にオーディションで注文を付けたりしない私が、その様な注文をしたとすれば、かなり入れ込んでいたという証拠でしょう。そのオーディションの結果、その年の10月に、アルバム・シングル同時発売で、デビューが決定。

恋愛硬派,寺島まゆみ

彼女の声の魅力ををより引き立たせるために、アレンジを瀬尾一三(瀬尾ちゃん)に頼みました。注文したことは、「女の子用の編曲はしないで」ということだけ。瀬尾ちゃんのハードなオケに、彼女がどれだけ食い下がれるか、そのバトルから引き出される彼女の歌心を期待していたのです。

歌とオケのイメージを掴む為に、オケどりには強制的に毎回参加してもらいました。当然、楽曲は覚えてきてもらいます。

その時の件で、まゆみちゃんに、こんな事を言われました。
「ある時、私が、<イエスマン>という曲を覚えてこなかったら、森さんにすごい剣幕で、と怒られました!すぐに覚えてきなさい!!って」
そんなことあったっけ…?と訝る私に、
「だから私、頑張って10分で覚えました!」とまゆみちゃん。そうなのです、これが彼女の真骨頂なのです。どんな難題にも、食らいついて押さえ込む、それが寺島まゆみなのです。

音楽活動中、アルバムを4枚出しましたが、殆どの作家(林哲司、杉本真人、中崎英也等々)の方々が、楽しんで曲を提供してくれました。只一人を除いて。
その女性作詞家(名前を書けないのが悔しい)は、「え~ポルノ女優、私には相応しくないわね!!」と一言。当時はまだまだあったんです、偏見が。

他方、彼女の声、世界観全てを含め、生かしてくれそうな作曲家、宇崎竜童さんに書いてもらうことは二人の悲願(大げさじゃなく)でした。
宇崎さんのカバー曲(「身も心も」、「寝た子を起こす子守歌」)は歌っていましたが、書き下ろしではありませんでした。どーしても、宇崎さんの曲が歌いたい!歌わせたい!!

寝た子を起こす子守唄,寺島まゆみ

しかし当時は、大多忙な宇崎さん、事務所に依頼するも、事態は動かず。業を煮やした私は、一計を彼女に提案。「これから先、取材を受ける度に、宇崎さん、私に曲を書いて下さい!と、ラブコールしましょう。」

そのアイデアは功を奏し、程なく「寺島まゆみ、宇崎竜童が欲しい!!」という見出しが、あるスポーツ新聞の一面にデカデカと掲載され、間髪入れず、宇崎さん、彼女のライブ会場に来てくれました。
そして書き下ろしてくれた曲が「frozen」という名曲です。この曲は宇崎さんのセルフカバーアルバムで、宇崎さん自身も歌ってくれています。

frozen,寺島まゆみ

寺島まゆみという歌い手と4枚のアルバムで仕事をしましたが、今以てその歌声の魅力は私の記憶から離れません。
最後に、オケ録り時の暗く寡黙な姿は、退屈だったからじゃないかと聞いたら。
「え~!毎回楽しみで、ルンルン、スタジオに行ってましたぁ~!」と返ってきました。

そんなまゆみちゃん、今日で幾つになったのか、数える気はありません。何故なら、私にとって彼女は、今以てレコーディング時の寺島まゆみだからです。

【執筆者】森直美(もり・なおみ):元キングレコード洋楽部で、バークレーレーベルを担当。その後、キング、テイチクで邦楽ディレクターを経て、現在占い師。

ミュージックカレンダー,ニッポン放送,しゃベル

Page top