「ゴー・ゴー・ナイアガラ」は1975年6月9日月曜日の夜中、というより10日火曜日の朝午前3時にラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)で始まった。衝撃的な時間。なかなか聴けるものではない。真っ暗な時間。コンビニも全くない。電話は黒電話。キャッシュカードもない。そんな時代を貴方は思い出せるか? 想像できるか?
ラジオ関東は多くの人にとって、ホワイトノイズの放送局である。千葉県市川市はけして遠くない。しかし川崎送信所からの電波では、くぐもった。そのノイズの中から飛び出てくる大滝さんがいた。
大滝さんは、やはりシャイなのである。だから、そのホワイトノイズこそが、大滝さんのカーテンのメタファーだと思っても、構わない。その真意はなかなか探れない部分もあるが、作品やトークの強い印象から、突如として伝わってくる。残された音源や著作からでもアクセス可能だ。
大滝詠一が自分でターンテーブルとオープンリールを回し造り上げた番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の真髄は、ホワイトノイズを突いて伝わる想念というわけだが、何せコマーシャルがないので、濃密。ちょっとしたおしゃべり、それも「ムフフフ」という笑い声のハジッコにこそ、感覚の真意がある。
さて、僕がヤラれたのは25回目の「クリス・モンテス」特集である。
ポップスの伝道師を自認する大滝としては、キャロル・キング特集2連発に始まり、アルドン、ブリル・ビルディング系、エルヴィスなどと王道が続くわけだが、ここに差し挟まれたA&Mの王子様クリスこそが、渋谷系の90年代をも突き刺し、僕を永遠のメランコリーへと誘うきっかけとなった。
思えば『モア・アイ・シー・ユー~コール・ミー』『フーリング・アラウンド』『タイム・アフター・タイム』の3枚という極めて資料としては限定された中からのセレクトをメインにした60分。(それら音源は全て足しても100分あまりしかない)60年代A&MのMORサウンドの真髄ともいえるクリス(ハーブ・アルパート)のサウンドは、一方で変態的ともいえるほど個性的なファルセット・ヴォイスで、カストラートにも似た印象がある。大滝はクルーナーボイスを好むが、ひょっとしたらクリスの声が一番好きなのかもしれない、とも思った。前述でわかるとおり、あまりにも狭い音源範囲の中での大規模フューチャリングだったからだ。なんとも衝撃だったので、本人にその旨を告げ、他に似た声の歌手はないか?と無謀なるおねだりも後に電話でした。ルー・クリスティなどを教わったが、全く満足できなかった。
その放送で僕は「青春の憂鬱」を初めて音で味わったのかもしれない。「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」や、はたまた、はっぴいえんど「抱きしめたい」にもつながる、どこか果てがほの明るい大滝さん独特の感傷。誰もがメランコリーな大滝さんの曲を好きだが、そのルーツの一つには確実にクリス・モンテスがいると確信した。
それも僕の個人的思いこみ、体験なのかもしれない。そういう感慨をもたらす人であり、恐らく1回1回の放送からそうした体験をする人が出てきたのだろう。
大滝詠一はこの放送で、リスナーの元にも沢山、降りてきた。水入らずの時間を過ごした。主なハガキ投稿者のペンネームは、大川ミシシッピー俊明、我田引水の自称弟子のくりーむそーだ水、大細鈴松、原ほしいも和弘、南部牛追男、コロッケ五円の助(サエキ)など。そのハガキの一部が、初版アナログのライナーノーツ紙に掲載された1976年『GO!GO!ナイアガラ』が発売される頃までにハガキを読まれた回数を当時数えたが、1位は大川ミシシッピー俊明、2位はコロッケ五円の助(サエキ)だったと自負する(何のこっちゃ・・・)。
ちなみに「コロッケ五円の助」とは、「風街ろまん」の手書きクレジット中、「ほしいも小僧」と書かれた者がいて、それが鈴木茂であったこと。そしてそのほしいも小僧とは杉浦茂の漫画に出てくるキャラクターであることから、杉浦茂の探索が始まった。そのキャラ群から「焼きソバ老人」がいた。それを曲名にしてハルメンズ(少年ホームランズ)で4年後に曲を作ることになった。それがゴー・ゴー・ナイアガラーというものである。シツコイのだ。
この放送を舞台にしたナイアガラ音頭大会二部門でコロッケ五円の助が優勝した話しもあるが、その機会は別としよう。
本日、話しておきたいのは、第一次ゴー・ゴー・ナイアガラーが離散している状況についてである。1976年8月28日、アルバム記念イベント~DJパーティー(渋谷公会堂)で集結したゴー・ゴー・ナイアガラーは約30人。興業後、大滝さんに招かれ、楽屋に集結した。会長だった後藤明子氏をはじめ、我田引水の自称弟子のくりーむそーだ水さんなど、現在ほとんど連絡がとれない。これを読むことがあったら、連絡を下さい。大川君は大丈夫です。
第一期の人々その特徴は、70年代らしい若者のメランコリーを抱えていた。と思う。時の若者像、それは永島慎二の60年代の漫画(「フーテン」など)に描かれる若者像と、今から見ればそんなに変わるものではない。
そんな人々だったから離散してしまったのかもしれない。コンパのように盛り上がる、しつこく集う、そうした明るさが当時のはっぴいえんどファンにはなかった。まだ60年代の延長にいた。
深い憂愁、それは70年代中盤、若者の人生にとって当たり前のものだった。けしていいものじゃない。だって憂鬱だから。でも、トロっとした深みが人間にあった。気の効いた冗談もいえない、今から考えてみれば、コミュ障みたいな印象さえあった当時の若者。
そんな若者たちに呼びかけていた番組なのである。すると、大滝さんのメランコリーの意義が、少し伝わるのではないか? と思う。
【執筆者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。「未来はパール」など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム「パリを撃て!」を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした「21世紀さんsingsハルメンズ」(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる「初音ミクsingsハルメンズ」ほか計5作品を同時発表。