1980/6/5“増殖 – X∞Multiplies/YMO”リリース【大人のMusic Calendar】

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『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月25日発売)の爆発的大ヒットで、YMO人気は一気に子どもたちにまで浸透するようになったが、この機を逃すまいとアルファ・レコードは新しいタイトルを次々リリースする。『ソリッド…』から半年も経たない1980年2月21日にはライブ盤『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』をリリースして、ライブ盤としては異例の28万5千枚をセールスするが、その後4か月も経たないうちにリリースされたのが本作『増殖 - X∞Multiplies』である。

増殖,YELLOW MAGIC ORCHESTRA

オリジナル・アルバムというより企画盤で、通常の12インチ(30センチ)ではなく10インチ(25センチ)盤ミニ・アルバムという体裁が選ばれ、12インチ・サイズにカットされた段ボール製外枠にはめこまれるかたちでリリースされた。アルバム・チャートの最高位は1位、売上げは33万1千枚を記録したが、急に制作が決まったアルバムだったため、楽曲が間に合わず、内容的にはスネークマンショーとコラボレートした作品となっている。

スネークマンショーは、1976年にラジオ大阪で放送が開始され、ラジオ関東を経てTBSでオンエアされた1978年頃から人気を博するようになったドラマ仕立てのコント番組で、桑原茂一がプロデュースを手がけ、小林克也、伊武雅刀が出演していたことで知られる。

ラジオ版スネークマンショーのファンだった高橋幸宏が、細野晴臣にアルバムでの起用を勧め、収録された12曲中5曲分がスネークマンショーのコント(ラジオ版シナリオの改作)で占められているほか、「シチズンズ・オブ・サイエンス」を除く他の6曲にもスネークマンショーが何らかのかたちで関わっている。

「ジングル“Y.M.O.”」「ナイス・エイジ」「シチズンズ・オブ・サイエンス」の3曲が、このアルバムのために作られたオリジナル作品で、シングル・カットされた「タイトゥン・アップ」(原曲はアーチー・ベル&ザ・ドレルズ)を含む他の4曲はカバー作品である。スカのビートが効いたタイトル・チューン「マルティプライズ」の作曲クレジットは、当初「イエロー・マジック・オーケストラ」だったが、エルマー・バーンスタインが作曲した映画『荒野の7人』の主旋律にインスパイアされていたため、その後クレジットは、「エルマー・バーンスタイン、イエロー・マジック・オーケストラ」と改められている。

このアルバムでのYMOとの絶妙のコラボレーションですっかり有名になったスネークマンショーは、翌1981年2月21日、アルファから『SNAKEMAN SHOW/スネークマン・ショー(急いで口で吸え)』でアルバム・デビューを飾ることになるが、その一方で不幸な事態も生じている。『増殖』発売前の1980年4月23日に行なわれた小学館主催の「写楽創刊イベント・写楽祭」(会場:日本武道館)に、スネークマンショーはYMOのオープニング・アクトとして出演し、ラジオ版よりはるかに前衛的なパフォーマンスを展開したが、観客の大ブーイングを巻き起こして小学館の怒りを買ったため、そのあおりを食って、TBSでオンエアされていた彼らの番組は6月いっぱいで打ち切られてしまった。

急いで口で吸え,スネークマンショー

なお、ジャケット写真に使われているメンバー3人のフィギュア(身長約40センチ)は、当時YMOをCMに起用していたフジカセットのポスター撮影用に造られたもので、美術デザイナー・市田喜一(2013年逝去)の作品である。当初は300体全てをFRP素材で製作する予定だったらしいが、時間的な制約もあって、型をとり、塩化ビニルを流しこんで造ったフィギュアも一部に混ざっている。2007年12月にメディコム・トイから発売された復刻版YMO「増殖人形」は、この時の型を再利用して造られたものだという。撮影に使ったFRP製オリジナル・フィギュアはその後販促用に配られ、オークションでは3体セット150万円の高値をつけている。

【執筆者】篠原章(しのはら・あきら):音楽評論家。1956年生まれ。主な著書に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。

ミュージックカレンダー,ニッポン放送,しゃベル

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