本日は不世出のトランペッター、マイルス・デイヴィスの91回目の誕生日である。マイルスがジャズをリードし続けたことはご存じだろうが、どのように牽引したかは見解が分かれるだろう。僕はロック好きだが、マイルスのジャズが別格に好きなのは、メロディやハーモニーが図抜けてエキセントリックで、リズムが常に先端的だったからだ。先端ロック的な気分で聴けて、ロックにないゴージャスな和声が楽しめる。
「マイルスはメロディの人」と痛感させられたのは彼の最終作が、フランスのメロディ・メイカー、ミッシェル・ルグランとのコラボだったことや、5~60年代はガーシュインのようなメロディ・メイカーの曲を好み、晩年はイヴァン・リンスのようなコードワークが優れたブラジル歌手に注目したからだ。
本日はそんな彼のメランコリックな部分ともつながる恋愛について書く。おそらく本邦初公開となるエピソードを含めて提示してみよう。
1949年のパリ公演はマイルスにとっての初めての海外旅行だった。「物事の見方を完全に変えられてしまった」というほどのターニング・ポイントとなった旅だった。彼はそこで哲学者ジャン・ポール・サルトル、画家のパブロ・ピカソや、そしてマイルスの恋人となり、後に仏を代表する歌手となるジュリエット・グレコと出会った。駆け出しの歌手だったグレコは、チケットを買うお金もなく、すでにソールドアウトだったので、ボリス・ヴィアンの妻についていきコンサート会場に入ったという。「楽屋で彼の横顔を見た途端、私たちは恋に落ちました」とその様子を語る。恋に落ちた二人は、1~2週間だった滞在期間中をずっと共に過ごしたという。「魔法か催眠術にかけられて、恍惚状態にいるようだった」とマイルスは語る。
マイルスはそれまでずっと音楽ばかりに没頭し、恋愛の時間がなかった。「音楽以上に人を愛することをグレコが教えてくれた」と漏らす。英語とフランス語、お互いに言葉を理解せず、表情や仕草だけで理解しなければならず、それ故に騙すことなく純粋に恋したという。5月だったがまさに「エイプリル・イン・パリス」の歌のようだったと。
マイルスは、たった2週間弱の天国のようなパリでの日々が忘れられなかった。しかしそれが米国では得られないことから逃避するため、重篤なヘロイン中毒となった。それがキャリアに影を落とすほどのものであったことは有名である。
5年後の1954年グレコはニューヨーク公演をすることになり、パーク街ウォルドール・アストリア・ホテルのスイートルームに滞在した。グレコはマイルスをディナーに招待したが、注文から2時間経っても料理は提供されず無視されたままだった。グレコは最初気づかなかったが、それは人種差別による嫌がらせだった。その後、マイルスはグレコに「ここは人種差別の国アメリカなのだから、二度と屈辱的な思いをさせたくない」と涙ながらに訴えたという。パリではそうしたことを意識する必要は全くなかったということだ。
黒人であるマイルスが白人グレコと付き合うことは、グレコに大きな迷惑がかかると、マイルスは内心思い、わざと遠ざけるようにヒドイ仕打ちをしたという。すぐに黒人の悪いヒモよろしく金をせびったというのだ。それでもグレコは、映画撮影の地スペインにマイルスを誘うが、マイルスはいい加減な返事をして行かなかったという。そうしたマイルスの悪態も、ヘロインからもたらされたものと、マイルスはいう。グレコは、そんな仕打ちに我を忘れるほど心が乱れたという。
しかし、二人はその後も断続的に愛し合うようになり、生涯、その関係は続く。
二人の出会った1949年のマイルスのパリ公演は木の芽のように突き進む若々しいハード・バップの演奏だ。ところが同じ年、白人編曲家ギル・エヴァンスの協力を得て、後のウェスト・コースト・ジャズの興盛に多大な影響を与えた荘重で白人的な多義性も持つ『クールの誕生』を録音している。パリ公演の時期にエキセントリックな白人編曲の血を注入したわけだ。さらにギル・エヴァンスの協力を得て『マイルス・アヘッド』(1957)、ガーシュイン曲をメインとした『ポーギー&ベス』(1958)、『スケッチ・オブ・スペイン』(1959)、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(1961)、『クワイエット・ナイト』(1963)と、ギルによる特異なハーモニーを得た、情感的でメロディアスなアルバムが断続的に放たれる。それらの作品には、マイルスの透徹したロマンティシズムが冴えに冴える。ロック好きな人には特におススメな、独自ボックスにもなっている5枚だ。
58~9年には白人ピアニスト、ビル・エヴァンスがバンドに加入し、「ジャズは黒人の音楽」と唱える輩から批判も受ける。
ギル・エヴァンスは複雑な和声を注入する一方で、「マイルスが全面に出て、黒人的な要素を音楽の主要にするべきだ」と強く奨めたという。ギルの白人的インテリジェンスの立体感に満ちた陰影あふれるハーモニーも、ビル・エヴァンスのロマンティシズムに満ちた白人的ピアノも、黒人と対照的だからこそ、野性の香りのする黒人ジャズ奏者マイルスのキャラクターを浮かび上がらせる。おそらくフランス白人グレコとのロマンスもそうだったのだろう。
サルトルはマイルスに、グレコと結婚しなかった理由を聞いいたという。「私は彼女をあまりにも愛し過ぎたので、不幸にしたくなかった。彼女を守りたかった。」マイルスは、グレコが黒人と付き合ったため、ふしだらな女と扱われることを回避したかったのだ。
マイルスは死の直前にも、グレコをパリに訪ねたという。生涯の愛は本物だったようだ。異人種とのハーモニー、それは彫刻のように山脈のように、天才の「血」に基づいた才能を浮かび上がらせた。
追伸:グレコの近年行われたインタビューについて教示してくださった秋山美代子さんに感謝します。
【執筆者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。「未来はパール」など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム「パリを撃て!」を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした「21世紀さんsingsハルメンズ」(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる「初音ミクsingsハルメンズ」ほか計5作品を同時発表。