はるばる来たぜ55年 北島三郎のレコード史
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押しも押されもせぬ演歌の大御所、サブちゃんこと北島三郎は今年でデビュー55周年を迎えた。初舞台を踏んだ1962年から常に第一線で活躍し、日本人歌手にとって最高のステージといえる『NHK紅白歌合戦』には1963年から2013年まで、唯一降板した1986年を除き通算50回出場して卒業。その間にトリを13回も務めている。原譲二のペンネームで自ら作詞・作曲もこなし、北島ファミリーと呼ばれる弟子たちが多数いることでも知られる。最近では後輩歌手とのデュエットを複数発表し、さながら演歌界のフランク・シナトラの如し。歌謡界の至宝、北島三郎は1936年10月4日生まれ。この度81歳の誕生日を迎えた。
最初のヒット曲「なみだ船」から、60年代は「兄弟仁義」や「函館の女」、70年代は「与作」、80年代は「風雪ながれ旅」に「北の漁場」など珠玉の作品が多数あるが、そうしたヒット曲以外の作品について振り返られる機会は日頃あまりなさそうである。しかし、函館にある「北島三郎記念館」にはこれまでに発売されたレコードとCDのジャケットが展示されている壮観なコーナーが展開されているし、コンサートのパンフレットにも緻密なディスコグラフィーが掲載されるなど、過去の作品を大切にしている様子が窺えて非常に好もしい。ここでは厖大な数に及ぶ北島三郎のレコードの中から、普段はあまり語られる機会が少ないであろう1960年代のちょっと珍しい作品について、いくつかご紹介したい。
まずは日本コロムビアからのデビュー曲となった1962年の「ブンガチャ節」から。この曲がデビュー第1弾となったのは、北島が渋谷で流しをやっていたことに由来するのだろう。彼らのレパートリーだった猥歌をもとに歌詞を変えて作られたものだったが、その表現に問題アリとされ、発売してすぐに放送禁止の憂き目に遭ってしまった。これは今聴いてもなんともないものだし、当時はレコードもそこそこ売れた様で、特別レア盤というわけではない。そこで、期待の新人歌手の門出にミソをつけてはと、すぐに立て直しが図られて出された2枚目のシングル「なみだ船」がヒットして、北島三郎は一躍スター歌手に躍り出たのであった。「なみだ船」を作曲した船村徹はデビュー前からレッスンを受けた北島の師匠。作詞の星野哲郎と共に真の恩師といえる存在であり、最初期の作品はほとんどふたりによって作られていた。それが次第に作家の枠も拡がり、初の映画主題歌となった「思いだしたら泣いてくれ」は、西沢爽×万城目正という大御所による作品で、ジャケットには東映映画『最後の顔役』に出演した片岡千恵蔵や、若き日の梅宮辰夫も写っている。カップリングはやはり映画挿入歌の青山和子「ふたりっきりの夢」という、あまり見かけないシングルである。
ステレオ時代を迎えた1963年には、8社競作となった「東京五輪音頭」を畠山みどりと共に歌った。同年の「ギター仁義」のカップリング「ジャンスカ節」は遠藤実の作詞・作曲。「ブンガチャ節」を彷彿させるリズミカルな曲調はその後も度々登場して、ノヴェルティ寄りの作品のジャンルを形成してゆく。俗に言う“クラウン騒動”が起こったのはこの頃で、コロムビアのレコード事業部長だった伊藤正憲が独立して新会社日本クラウンを設立する。伊藤を慕うスタッフや作家がこぞってクラウンへ移籍し、北島三郎も例外ではなかった。第1回発売作品にラインナップされた移籍第1弾「銀座の庄助さん」の品番は“CW-2”。コロムビア最大の大物、美空ひばりにも移籍の話があったが結局コロムビアに留まることになり、その際ご祝儀代わりとして吹き込まれた「関東春雨傘」が“CW-1”であったから、新生クラウンの正式な専属歌手による実質的な第1弾シングルは北島三郎ということになる。作・編曲としてクレジットされているいづみゆたかは、市川昭介のペンネーム。当時は日本コロムビアの専属だったための措置だった。64年の「三郎太鼓」のカップリング曲「田舎へ帰れよ」の作詞、有田めぐむは星野哲郎のペンネーム。ただし星野はその後クラウン専属となったため、翌65年初頭に出された「にしん場育ち」では星野名義となっている。
1965年のヒット作「兄弟仁義」と同時に出された「ぬかづけ ふるづけ いちやづけ」はNHK『きょうのうた』で紹介されたちょっと面白いタイトルの曲だが、いたって叙情的な内容だった。「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」と同じく、NHK『夢であいましょう』の<今月の歌>からヒットした「帰ろかな」が生まれたのもこの年のことだが、翌年にやはり『夢であいましょう』で紹介された「男の歌」はあまり知られていないだろう。もちろん永六輔×中村八大による作品で、カップリングは水原弘のカヴァー「恋のカクテル」だった。1966年では西郷輝彦「花の百万拍子」にカップリングされた「どらいぶ音頭」もちょっと珍しい一枚。日本全国の地名が織り込まれた、小林旭が歌ってもおかしくないナンバーである。1968年、グループサウンズ全盛時に出された「男の夕陽」はエレキギターがフィーチャーされたGSの影響色濃い作品で、音楽評論家の黒沢進氏がかつて提唱した“一人GS”に匹敵する曲とおぼしい。ほか、非売品レコードのPRソングにも、水前寺清子と歌われた「ヤンマー豊作音頭」や、清酒「富貴の歌」など、CD化が難しそうな作品は多数ある。
テレビ主題歌では、人気時代劇『素浪人月影兵庫』の「浪人独り旅」や、『てなもんや二刀流』の「俺がやらなきゃ誰がやる」などがレコードコレクターにとっての人気盤だが、最近では映画・テレビの主題歌集CDが編まれてそれらの曲も収められた。55年の歌手人生ではまだまだ未CD化の作品も多く、今後の復刻が期待されるところ。恩師・船村徹は今年惜しくも世を去ったが、歌手・北島三郎の歩みはたゆみなく続いてゆくのだ。
「思いだしたら泣いてくれ」写真撮影協力:鈴木啓之
【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。