巨人担当35年のベテランアナが語る平成名勝負 【ニッポン放送胡口和雄アナウンサー】

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いよいよ平成が終わる。そんな平成を、『スポーツ実況』という形で喋り続けている ニッポン放送スポーツ部のアナウンサー。この平成の30年間を喋り続けてきて、思いの出の実況もある。そんなスポーツ部のアナウンサーに、平成の思い出の実況を聞いた。

■今回は、胡口和雄アナウンサー

1972年ニッポン放送入社。ニッポン放送のスポーツアナウンサー陣の中では、宮田アナウンサーに続く、70歳の現役アナウンサー。
現在も、ニッポン放送ショウアップナイター、日曜競馬ニッポンで実況を担当する他、「アナウンスセミナー」の講師としても活躍。1/18~20には、松本秀夫アナ主宰「劇団チェンジアップ」で、舞台俳優デビューを果たす。

■大喪の礼・即位の礼は、沿道から隊列をレポートしていた

- 胡口さん、1989年の大喪の礼・即位の礼は、どんな担当だったのですか

両方とも、沿道から隊列の様子をレポートしていた。千駄ヶ谷付近だったかな?どちらかなのかは忘れてしまったけど、隊列がまだ見えないないのに呼びかけられたから、とても困ったのは覚えてるよ(苦笑)

プロ野球 巨人-中日 巨人優勝 サヨナラ本塁打を放ち本塁生還する二岡智宏(7)を出迎える選手ら 松井秀喜、元木大介(2)、高橋由伸(24)、後藤孝志(右)2000年09月24日 提供産経新聞

■ミレニアムの長嶋巨人の優勝、「あぁ~今、打った」って(苦笑)

‐ 胡口さんの中で、《平成》の思い出に残る実況ってなんですか?

やっぱり優勝を決めたゲームを思い起こすよね、それも、ミレニアムのシーズンのジャイアンツかな。その年は、セリーグは長嶋さんが監督をしていた巨人、パリーグは、王さんが監督をしていたダイエーが優勝をして、日本シリーズがON対決になった年だった。

そのセリーグのリーグ優勝決定試合となった、巨人対中日(2000年9月24日@東京ドーム)が記憶に残っているかな、劇的なサヨナラでのリーグ優勝決定だったからね。

僕が喋った試合で日本一が決まったんだけど、その試合は、9回の表まで、4対0で中日がリードしていて、「あぁ、今日はもう(巨人の優勝決定は)無いな」と思っていたんだよ。

‐ 流れ的にですね。

そう。9回裏・中日のピッチャーはギャラード。そうしたら、1アウトからの3球目、江藤がレフトスタンドに満塁ホームランを打って同点にしたんだよ。
優勝のかかった試合で、それも9回裏に出た同点満塁ホームランだからね、諦めていたはずの《優勝》の芽が、いきなり出てきたんだから、スタンドの盛り上がり、そしてその余韻は凄かった。放送しているこっちもテンションが上がったし、でも同点だからさ、まだ。
放送も、「さあ、同点で振り出しに戻りました。この後は...」なんて、盛り上げようと思った矢先、スタンドのざわめきも落ち着かない間に、二岡が2球目をポーンと打っちゃった、ライトスタンドに(苦笑)

本当になんて言うのかな、優勝が決まったというよりも、「あー今、打った」っていう感じで、ホームランの実況も遅れたし、なんか、《球場の雰囲気、余韻》に、自分が呑まれちゃっていた。
そんな印象に残るような試合だし、自分が喋った優勝試合だし、長嶋さんが監督をしていた時でもあったし、色々な事が重なって、非常に印象深い優勝決定試合実況になったよね。

■巨人担当は35年位

‐ ニッポン放送リスナー、ショウアップナイターリスナーには、胡口さんは、巨人担当のイメージが強いと思うのですが、胡口さんが巨人担当になったのは何時頃なんですか?

王さんが助監督の時に、巨人担当になった。その後、横浜と兼任した時期などあったけど、平成はまるまる巨人担当だね。担当になってから35年位経つかな。王さん、藤田さん、長嶋さん、堀内さん、原さん、高橋さんなど、沢山の監督と接点を持たせてもらって、巨人の流れは、大体、わかっているよ(笑)

プロ野球 巨人ーヤクルト 50号ホームランを放ち、嬉しそうにポーズを取る巨人・松井秀喜 撮影日2002年10月10日 提供産経新聞

■松井秀喜がやっと打ったシーズン50本、そしてメジャー移籍

‐ 監督ではないですか、松井秀喜選手とも、太いつながりがありますよね。

巨人に入ってから、挨拶をして、関係を築くいて行ったんだけど、実は、後で解ったんだけど、長嶋さんが松井を引き当てた(1992年の)ドラフト会議のラジオ中継を、松井が授業中に聞いていたんだって。で、その年は、俺がドラフト会議の中継をしていたんだよ。

‐ 高校生だった松井選手が、胡口さんの中継を聞いていたんですか

そう。あの頃のドラフト会議は、地方局用にも中継をしていたじゃない。その時、石川県の放送局も、その放送をしていたようで、松井が授業中に、誰が指名されているか聴いていたって。だから、その話を聞いた時、「その放送、俺が中継していたよ」って話したら、「あれ、胡口さんだったんですか!」って笑ってた(笑)

‐ 当時は、TVの全国放送もなくて、会見場で、報道陣と一緒に、ドラフト会議の様子を見ている事もありませんでしたからね。

そうそう、ラジオだけが全国で聞けたしね。
‐ そんな松井選手の思い出の実況はありますか

あるよ。松井が始めてホームランを50本打った2002年(10月10日)の巨人×ヤクルト戦。東京ドームの最終戦だったんだけど、最初の打席で49号を打ってね。そして8回裏、ヤクルト・五十嵐亮太から50号を打ったんだ。
レフトスタンドへ打ったと思うんだけど、それまで、なかなか50本の大台に届かなくてね。やっと打てたという、これは思い出の深いゲームの一つだね。松井に関しては、

‐ その50号を打って、ヤンキースに移籍する訳ですが、メジャーリーグではどうですか

メジャー移籍後では、メジャー最初のゲーム。トロントブルージェイズ戦かな。5番レフトで先発して、最初の打席で、ロイ・ハラディから打ったレフト前タイムリーヒット。初打席・初安打・初打点を記録したんだ。メジャー移籍後の第一歩、その試合を実況したのも、自分にとっては、印象深いよね。

■テリーさん、何を騒いでいるんだろうって(笑)

‐ ニッポン放送では、野茂投手のメジャー移籍から始まって、メジャーリーグをよく中継しましたね。胡口さんも、度々、アメリカに行っていました。

そうだね。松井の時が多かったと思うけど、《色々な日本人対決》の時に、アメリカに行っていたね。《松井対松坂》とか、《松井対野茂》とかね。でも、やっぱ多かったのは、《松井対イチロー》だった。バッター同士だから、直接対決するわけでは無いんだけどね(苦笑)

‐ その中で、思い出深い出来事もあると思いますけど

松井が、イチローの頭の上を越えたホームランを打った時、試合後、俺が松井にインタビューしている写真が、日本のスポーツ新聞の一面になった事があったんだよ。
打った翌日、テリーさんの番組でレポートする時にさ、テリーさんが、「胡口さん、スポーツ紙の一面にでてますよ!」っていうんだよ。アメリカにいると、そんな事知らないからさ、「何を騒いでるんだろう?」って(笑)

どうやらスポニチの一面が、松井にインタビューしている俺と、それに答える松井の写真が使われていたそうなんだよ。それを見て、テリーさんが騒いでいたんだよ(笑)
当時、テリーさんのアシスタントをしていた林家たい平さんは、うちの嫁さんに連絡したらしくてさ、「ご主人が一面を飾った気分はどうですか?」って聞いてさ(苦笑)

‐ ホームランシーンの写真を一面に使う事はありますけど、インタビューの様子は珍しいですね

そうだろ。で、当時のスポニチの編集局長に聞いたんだよ、実は同期の奴だから。そうしたら、当時は、嫌な事件が多くて、世間が暗かった、だからスポーツ紙だけでも明るい話題を提供したいと思っていたらしいんだ。
そうしたら、インタビューをする俺と、インタビューに答える松井の表情が、凄くにこやかで良かったらしいんだよ、だから、「この写真をトップに持ってきたんですよ」ってね。
この前、ロッカーの整理していたら、その新聞が出て来たんだけど(苦笑)、そういう印象と言うか、現象もあって、思い出深いよね。ちなみに、その写真は、あとでパネルにしてプレゼントしてくれたよ、家に飾ってあるけどね(笑)

■日本の開幕戦を喋って、アメリカに飛んで、アメリカの開幕戦も喋った

松井がらみで、良かったな、光栄だなと思ったのは、同じ年の日米の開幕戦を喋れたのは俺だけじゃないかなと思うよ。

‐ 日程、間に合ったんですね。

そう。2003年3月28日が日本の開幕戦で、東京ドームの巨人×中日戦を喋って、翌日、アメリカに飛んで、現地の3月31日、カナダ・トロントで行われた、松井のメジャー開幕ゲームを喋るという(苦笑)NHKが両方中継したって、まさか1人のアナウンサーが、この日程で、日米の両試合を喋るっていう事はやってないだろうし、これからもあり得ないでしょ(笑)

あと似たような事がもう一回。2003年の日本シリーズ。王さんのソフトバンク対星野さんの阪神が、福岡で対戦した初戦。俺、その第1戦を喋って、そのあと、ヤンキースのワールドシリーズを喋りにアメリカに飛んだんだよ。福岡で喋った翌日、福岡から成田に飛んで、さらに成田からフロリダに飛んで、ワールドシリーズの第3戦を喋った。

実は、俺が日本シリーズを喋りに福岡に行く時には、ヤンキースの相手が決まっていなかったんだよ。
その対戦相手っていうのが、北のシカゴカブスか、南のフロリダマーリンズ、資料もそうだけど、シカゴとフロリダって、気候が極端に違うだろ。だから、出張の準備ができなくてさ。
最後は、シカゴ行きは防寒中心の荷物、フロリダ行きは暑い所用の荷物の2種類を作っておいて、奥さんに成田まで持ってきてもらった。新聞見て、シカゴっていうチームが勝ったらこっち、フロリダのチームが勝ったらこっちの荷物を持ってきてて(笑)

― 奥さんも大変でしたね

そういう面白い経験はした、平成っていうと、そういう思い出が多いね。

‐ 昭和は、日本のプロ野球が中心で、平成に入って、メジャーとか、増えましたからね

あ、あと野茂の時は、俺が行ったのが1995年のシーズンの終わりの方でさ、原さんの引退試合と、タイミングが被っていたんだよ。だから、アメリカ行く前に、原さんに挨拶に行ってさ、引退の話も聞いていたから、「アメリカに出張で行くので、先に、お疲れ様でした。」っていう話をしたね。
で、原さんの最後の試合となった広島戦。ホームラン打って、長嶋さんと抱き合ったでしょ。あの試合は後で、ビデオで見たんだけど、その広島戦の前に、ロスから原さんに電話をしてね、「今日、最後の日ですね」って話した事は覚えている。
あと、帰って来て、すぐ原さんの所に、お土産を持って行った。たいしたもの買ってこなかったんだよね。なんか、着るものだったと思うけど(苦笑)

‐ 平成の話では無いんですが、胡口さんのデビュー戦は、いつなんですか

2年目かな、早めにデビューさせてもらった感じなんだけど、KBC(九州朝日放送)から委託されたデーゲーム中継で、日ハムの前身・日拓ホームフライヤーズ対西武の前身・太平洋クラブライオンズだった。
そのゲームを、関根(潤三)さんと喋っったんだけど、何喋ったかは、ほとんど覚えてない(苦笑)後から言われたのは、《ほとんど関根さんが喋っていた》って。
先輩からは、《関根さんに、凄い気を使わせた中継を、お前は、よくやらせたなぁ》って(苦笑)。《こんなに関根さんが気を使ってしゃべっているのは珍しいぞ》って言われたよ。

■ 平成は、野球がより楽しくなってきた時だった

‐ 胡口さんにとって、平成という時代は、どんな時代でしたか

ん~。40代、50代、60代を平成で過ごしたんだけど、平成は、野球がより楽しくなってきた時だった。若い頃は苦しいけど、なんか、《こういう野球を中継したいな》っていう、そういうレベルになってきた。野球は奥深いから、すべてを理解できないけど、まあ、《野球が面白くなってきた》《中継が面白くなってきた》時期ではあったね。

‐ 《面白くなってきた》という事は、どういう事ですか

それはねえ、自分の見方って言うのに、自身を持てるようになってきた。
自分が疑問に持った事を、解説に聞く時、「今のコースはなんですか?」という質問では無くて、ゲームの流れの中で、作戦面だとか、代打起用だとか、これまでこういう流れの中で使って来る選手は、この選手が出てくるはずなのに、違う選手が出てきた。「なんでこの選手なんですか?」っていう質問が出来るようになった事かな。
自分の中では、この監督、大体、こういう場面では、こういう風に選手を使ってくるな、という事は何か意図があるな、っていうのを、自分なりに思っている。それを、解説に問いかけて、俺と違ったな、と思ったら、こういう事は考えられませんか?と聞いてみる。
そんな会話が出来る、自分の意見を持てるようになったんだ。

で、自分の中で、解らない事、選手交代などがあったら、監督に聞きに行く。「作戦面で言えないかもしれませんが、あそこは、どうしてあのピッチャーを変えなかったのですか?」とかね。そこの話で、監督やコーチの考え方の新しいデータがインプットできるでしょ。
しっかり裏をとって、監督の起用法とか、ゲームの流れとか、を読みながら、解説と一緒に、自分の考えている事を検証して、一緒に中継をしていくと、野球の見方が楽しくなるんだよ。

‐ 取材の仕方も変わりますね。

そうだね。選手に、調子が良い、悪いとかそんな事は聞かない。なぜ、あの時、こういう風になったのか、あるいは、あのホームランは、今年打った中で、何番目位の手ごたえだった?とかね。俺、全部の試合を見ているわけじゃないし、選手は調子が良いからホームランが打てる訳でもないしさ。難しいよ、質問の仕方は難しいよ。

‐ そういう意味で、平成位から面白くなってきたと

そうそうそう。そういう意味では、野球の難しさと、面白さと、やっぱり怖さもあるし、いろんな野球が持っている要素を感じ出したね。だから、野球の中継が怖くなる時もあるよね。

‐ 怖くなる?

そう。自分の意見を押し付けてはいけないってね。自分の意見を表に出し過ぎちゃって、(リスナーが)やかましく感じたりさ、「お前の意見、聞いてんじゃねえよ」とか言われないように気を付けている。

《どや顔の放送》じゃなくて、やっぱり基本は、選手の頑張っている姿を中継して、どっちのチームが勝っているかを伝える。
そのバランス?バランス感覚だな、やっぱり大事にするようになったのは。それが崩れるといい放送じゃなくなっちゃうんだよな。
‐ ベテランと若手の違いですね

目の前の事だけ実況するのは、誰でも出来るんだよ。もう、俺が喋ったって、大泉が喋ったって変わらないんだよ。投げた、打った、走った、ホームラン、得点を入れる訳だよ。
で、個性というのは、時代と共に、肉付けされていかなければいけない訳だし、俺、スポーツアナウンサーには、定年が無いと思っているから、やればやるほど味が出てくると思っているから。あとは、喉が続くかどうかとか、体力の問題だから。

知識は、1試合でも多く、試合を観ている方が勝ちなんだよ。裁判じゃないけど、色々な判例を目の前でみている訳だから。
1回ノーアウト・ランナー一塁でバントをする監督もいれば、エンドランを仕掛ける監督もいる、あるいは盗塁を仕掛けてくる監督もいる。この3つに当てはまらなくったって、いろんな形がある訳だから。
でも、「1回からバントかよ!」っていう事じゃなくて、それほど1点を取るのが難しい投手が投げていると見ているのか、じゃあ、初回の1点は大事だな?だったらバントは必要な作戦だな、とかね。それを、解説と一緒に、リスナーにも説明をしてあげなければいけない。

やっぱり流れがあるからさ、背景があるから、そういう事をくみ取って中継していかないといけないよね。でも、それは年齢と共に、加味されて、中継の味になっていく訳だよね。

だから、(俺の)実況も変わって来たよ。若い頃は、声が枯れる位大きな声で、目いっぱいの力で喋っていたけど、トーンを下げて、テンポが崩れないように喋ってみようって、モデルチェンジをしてきたよね。

‐ 速球ピッチャーの投球術と似てますね(笑)

そうそう。20代には、よく深澤さんに、「お前の喋りは、終わるとクシャクシャのぼろ雑巾みたいになるなぁ」って言われていたよ。
やっぱり、リスナーと、自分の満足感とのバランス、やっぱり、全てにおいて《バランス感覚》かなぁ。

■ 声に対するケアは

‐ 《声を枯らす》と出てきましたが、胡口さん、あまり喉を潰さないですよね。

いやいや、あるよ。風邪とかで、途中降板みたいになったり(苦笑)
それこそ、1999年・セリーグ開幕戦は、二元中継だったんだよ。俺が東京ドームの巨人×阪神を喋って、深山(故深山計アナウンサー)が、前年優勝チームの横浜×ヤクルトを喋っていた。
その時、開幕前の取材先で、風邪を引いちゃって、騙しだましで喋っていたんだけど、8回・由伸が満塁ホームランを打った時に、俺の声が完璧に《サヨナラ》になっちゃった。
「ホームラーン」って叫んで、それが最後。結局、会社からの指示もあって、その後は、横浜の試合を中心放送した。アナウンサーがノックアウト、途中降板だよ(苦笑)

それからは、かみさんに、「なんでそんな着ていくの、暑いでしょ」って言われる位、羽織っている。暑ければ脱げばいいんだから(笑)

そういう意味では、《バース・掛布・岡田の甲子園3連発》の時も危なかった。
前日に熱が出て、声も出にくくなって、資料なんかやらないで、ホテルの風呂で半身浴をして、直ぐ寝て、やっとこさっとこ舞台に立ったんだよ。
で、《今日だけはホームランは勘弁してくれ》と思っていたら、《槇原の馬鹿》がさあ、三連発だよ(苦笑)
でも、苦しかったけど、何とか最後まで喋れた。だから、覚えている理由は、《バース・掛布・岡田の3連発》じゃなくて、《風邪をひいて、声が出ないのに、阪神はなんで3連発も打つんだ》っていう事で覚えている(苦笑)、でもこれは昭和の話か...

■ 長くアナウンサーを続ける秘訣とは

‐ 煙山アナウンサーが、「宮田さんや、胡口さんのように、70歳を超えても、1試合を完投できるアナウンサーを目指している」って言っていましたが、長く喋る秘訣はありますか

アナウンサーって、孤独な商売だしさ、誰も助けてくれないしさ、他人から「良かったですよ」って言われても、自分で気に入らない所があると、満足した放送にはならないんだよね。
何千試合喋っているけど、満足した実況なんて一つも無いんだよ。

だから、常に終わった後は気分が悪いんだよね(笑)
多分、一生、この仕事をやっている限りは、多分無理だと思うよ。

もう、この年になるとさ、落ち込まない為には、現状維持がいいんだけど、現状維持だって大変だと思うし、更にそこから、上を向いて行かなければいけないっていうのは、凄いエネルギーがいるから、でも、ほんのちょっとでもいいから、こう上昇志向があるような結果が出てくればいいかな。って思って中継をしているよ。

だから、年取ると、「なんだそんな経験をつんでいて、そんなミスするんだ」っていうような、常にベストを求められるし、逆に《怖い》よね。
若い奴は何でもいいんだよ、若いうちは失敗が許されるから、明日があるからね。
俺たちは間違ったら明日が無いんだから(笑)

記者会見で握手を交わす巨人の原辰徳新監督と高橋由伸監督=2018年10月23日午後、東京都千代田区 写真提供:共同通信社

 

■ 第3次原辰徳監督のジャイアンツは

‐今年、原さんが戻ってきますけど、胡口さんは、原ジャイアンツはどうなると思いますか

原さんという人は、妥協のない人だから、非常に厳しい選手扱いをすると思う。
阿部選手にしたって、実績があるから、キャッチャーがダメだったら、一塁にするとかそういう事はしない人なんだよ。
シーズン途中に、ケガ人が出たりしたら、変わるかもしれないけど、新しい外国人選手が、ファーストをしっかり守っていたら、ファーストで、阿部選手は使わないと思う。

原さんは、この選手と決めたらば、しばらくはそいつと心中する。
でも、《結果が出なかったら変えるよ》というような監督だし、変えるタイミングは、抜群なものを持っている人なんだよね。
だから、《パッ》と誰かを入れ違えて、で、「お前頼むぞ!」っていう風に、相手の心の中に《責任感》を植え付ける。それもハートで植え付ける人なんだよ。
そうすると、言われた方は、「あ、俺が今日から押さえだ、責任をもってやろう」って。
人の使い方というか、取り込み方が上手い人なんだよね。プロとはいえ、気持ちが入っているのと、入っていないのでは違うから。

だから岡本選手には、「お前、競わせないよ。4番は、お前で行くから」と。ただ、守備のポジションに関しては、ファーストを守ってもらう事もあるし、レフトを守ってもらう事もあるけど、基本は「4番・サード」で行くよって。いうのが原さん。おそらく1年間、打てなくても4番で使うと思う、育てるために。

■ 原監督には、《育てる》《勝つ》の二つのタスクがある

原さんには、《育てるという考え方》と《どうしても勝たなければいけないという考え方》の二つがある。
だから、岡本選手の周りを固めるはずだよ。丸選手を連れてきたし、岡本選手に負担がかからなくて、気楽な場所(打順)で、岡本選手を打たせれば、ってね。
いろんな相互作用を考えて、選手を使って来るのが原さんだと思うから、僕は結果は出すと思う、故障者が出ない限り。

今の戦力が、大きなケガをする無く、シーズンを通して活躍したら、Aクラスを逃す事は無いと思う。もちろん、優勝とはまだ言えないし、広島とか各チーム底力があるし。
開幕戦のカードは、広島対巨人だけど、原さんは、去年までのZOOMZOOMスタジアム広島での大きな負け越しという《嫌な流れ》を、原さんは感じていないから。
自分が戦った中で、そこで、どう広島との開幕3連戦を戦うか、そこで、今年の原ジャイアンツは違うな、と思わせる事で、シーズンの行方が決まるんじゃないかな。

‐ じゃあ、胡口さんは、この開幕3連戦が、今シーズンを占うバロメーターになると

ぼくは、シーズンを占う戦いになると思っている。だって、そこで、ベストのメンバーで戦うんだから。オープン戦でケガ人とか出るかもしれないけど、でも俺は、原則的には、開幕戦がシーズンの象徴だと思っているから。
開幕戦で、ツキの無い負け方をすると、1年間ツキのないチームになっちゃうと思っているから。

‐ 原監督とは、何か話しましたか

就任した当初にね、原さんと話したら、「とにかく、後ろを振り向かずに、前を向くだけ。また、一発やったるぜ!とい心境です。未来には希望しかありません。」と話してくれたんだよね。
そしたら、あの補強が始まった。

‐ 補強では、随分叩かれましたね。

丸選手獲って、炭谷選手獲って、中島選手獲って、岩隈投手獲ってね。節操がないと言われるけど、長嶋さんのときもそうだったからね(笑)いい選手を集めるというのは、企業努力だから。

戦力から見たら、今年は悪くても2位はある。上手くいけば、ダントツの1位かもしれない。まあ、広島と巨人のマッチレースだと思うから、だから開幕戦の闘い方が大事になる、そういう事で、開幕戦は非常に楽しみにしているよ。

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(Write よこいみちひと)

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