2002年11月、メジャー挑戦を決めた“ゴジラ”松井秀喜が語った決意の言葉

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偉人の歴史に残る場面での名言を取り上げる 「高嶋ひでたけと里崎智也サタデーバッテリートーク」の“名言名場面プレイバック”。11月10日放送では、松井秀喜が2002年オフ、メジャーへ挑戦する際に語った言葉を紹介した。

ヤンキース時代(2008年)(松井秀喜 - Wikipediaより)

先ごろ、“ゴジラ”松井秀喜さんが、「日米野球」MLBチームのコーチとして、日本に逆上陸を果たしました。ヤンキースのピンストライプのユニフォーム姿を見て、「やはり松井秀喜にはユニフォーム姿がよく似合う」と思った方も多いことでしょう。きょうは、そんな松井さんが、2002年11月1日に口にした名言を振り返ってみましょう。こちらです。

「どうしても捨てきれなかった夢を実現するため、ニューヨーク・ヤンキースでプレーすることになりました」

FA権取得の権利が近づいて来た前の年、2001年のオフ。当時の所属球団ジャイアンツは、なんと「7年契約56億円」という、破格中の破格ともいえる条件を提示しました。ところが松井秀喜は、これを拒否。1年契約にこだわり、日本での“最後のシーズン”を迎えたのです。

そしてみごと、本塁打王と打点王の二冠に加え、シーズンMVPも獲得。チームの日本一にも貢献しました。「立つ鳥あとを濁さず」とは、まさにこのことでしょう。

こうして、育ててくれた球団に最高のかたちで恩返しをしたあと、誰にも相談することなく、たったひとりでメジャー行きを決断。決心が固まるやいなや、長嶋茂雄前監督、原辰徳監督、土井誠球団社長のもとへ向かいまして、それぞれ個別に、自身の決断を伝えました。

そして──帝国ホテルで行われた記者会見で、さきの名言を口にしたのです。その後のメジャーでの活躍はご存じの通り。通算10年、175本塁打をマークし、ワールドシリーズでは日本人選手初のMVPも獲得しました。こうして松井秀喜は、“どうしても捨てきれなかった夢”を実現させたわけです。

人間、“夢”を語るのは簡単です。でも、周りに迷惑をかけないように、筋を通しておくことも大切ですよね。人間・松井秀喜は、そんなことも教えてくれました。

高嶋ひでたけと里崎智也 サタデーバッテリートーク
FM93AM1242ニッポン放送 土曜18:00-20:30

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