野村克也・元監督の教え子でもあった高津監督が、野村さんから受け継いだものとは……?

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ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」(毎週土曜日8時30分~10時50分)の番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【東京新聞プレゼンツ10時のグッとストーリー】

9月に9連勝を記録、セ・リーグ首位に躍り出た東京ヤクルトスワローズ。(9/30現在)おととし・去年と2年連続で最下位に沈み、開幕前は「今年も最下位」という予想が多かったなか、下馬評を覆して優勝を争っています。チームを躍進させた指揮官が、OBの高津臣吾(たかつ・しんご)監督。就任2年目の高津監督は、去年亡くなった野村克也・元監督の教え子でもありました。高津監督が、野村さんから受け継いだものとは……?

「僕は野球人として野村監督に一から作られました。ほとんどすべてと言っていいくらい『野村野球』です」そう言ってはばからないヤクルト・高津臣吾監督。野村克也さんは1990年、ヤクルトの監督に就任し、頭で考える「野村ID野球」を選手たちに浸透させ、3年目の1992年にリーグ優勝。翌年の93年にはリーグ連覇を果たし、日本シリーズでは常勝軍団の西武を倒して日本一になりました。「この人の言うことを聞いていたら、必ず上に行ける」と選手に信じさせる、説得力のある言葉が野村さんの大きな武器でした。「褒められたことはほとんどなかったですけど、野村監督はいつもいいタイミングで言葉を掛けてくれました」と言う高津さん。その言葉とは、直接ああしろ、こうしろと言うのではなく、時にボヤキを交えつつ、選手たちに自ら考えさせる言葉でした。

入団当時、サイドスローという以外にこれといった特徴のないピッチャーだった高津監督。野村監督は高津投手が投げていた変化球「シンカー」に注目します。「お前、もっとスピードの遅いシンカーは投げられんのか?」もし遅いシンカーが身に付けば、バッターはタイミングが合わず打ちづらいと野村監督は考えたのです。高津さんは目からウロコが落ちる思いで、遅いシンカーのマスターに励み、3年目の1993年には抑え投手に抜擢。日本シリーズでは胴上げ投手にもなりました。

「今の若い選手には怒らない。内心では怒っていても、極力、表に出さないようにしている」と言う高津監督。その理由は、「今の子たちは怒ったら、ふてくされるか、弱気になるから。だから、諭すように教えたい」。参考にしているのが、野村監督の選手への接し方です。「投げ終わって、野村監督が必ず掛けてくれる言葉は『ありがとう』か『サンキュー』でした。キツく怒られたり、逆に褒めてくれたりということもあまりなかったです」

感情に任せ、選手に厳しい言葉を浴びせるのが「怒る」。なぜ今のままではいけないのかを理路整然と説明し、どうしたらもっといいプレーができるのかを諭す……それが「叱る」。怒るのではなく「叱り」、選手への感謝を忘れないのが、野村監督から教わった指導術でした。

就任1年目は最下位。2年目の今シーズンも、阪神に開幕3連敗というスタートになりましたが、徐々に盛り返し、若手選手たちも成長。気が付けば、豊富な戦力を誇る巨人・阪神を相手に堂々と優勝争いを繰り広げるほど、チーム力がアップしていたのです。

下位の広島に連敗して優勝戦線から脱落しそうになったとき、高津監督は9月7日の阪神との試合前にミーティングで、選手たちにこんな話をしました。1993年・日本シリーズ第7戦の試合前に野村監督が話した「勝負は時の運。人事を尽くして天命を待とう」という言葉を紹介したあと、こう語ったのです。

「去年の悔しい思いを、どうやって今年晴らすかっていうことをずっとやってきたのが、今年の『チームスワローズ』。みんな自信を持って頑張れる。絶対大丈夫、絶対いけるから。絶対大丈夫。どんなことがあっても、僕らは崩れない」

その模様は、球団のホームページにも動画がアップされ、ファンからも「涙が出た」「僕らももっと応援を頑張るから、優勝目指して頑張ってください!」と大きな反響を呼びました。高津監督は言います。「言葉一つで人をやる気にさせたり、逆にやる気を失わせたりもできます。だからこそ、言葉は武器なんです」

*『Number PLUS』誌2020年6月25日号掲載、長谷川晶一氏による高津監督へのインタビュー記事を一部参考にしました。

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