今田耕司 小劇場でダウンタウンを観てのめり込んだ「芸人の世界」

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(6月17日放送)にお笑い芸人の今田耕司が出演。ダウンタウンの2人をはじめとしたこれまでの人との出会いについて語った。

ダウンタウン 左から松本人志、浜田雅功 1988年5月21日 ラフォーレ原宿 写真提供:産経新聞社

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。6月13日(月)~6月17日(金)のゲストはお笑い芸人の今田耕司。5日目は、人との出会いについて---

黒木)今田さんは、楽をしようと思ってこの世界に入られたのですか?

今田)そうですよ

黒木)なぜ楽ができると思ったのですか?

今田)学校の先生に「ここに行かせなさい」と言われて全寮制の学校に。そして……

黒木)(寮から)家出して。

今田)よく知っていますね。そこまでご存じなのですか。

黒木)夜間の高校に行かれて。そして、吉本のいまのNSCに行かれるわけですけれども。

今田)夜間高校の3年生~4年生になるころというのは、「さあ、仕事はどうしよう」というときです。そろそろ手に職つけるしかないのですが、僕は肌が弱いのですよ。お寿司屋さんに修行に行こうと思っていたのですが、洗い物ができない。

黒木)お肌が弱くて。

今田)そのときにアルバイトの先輩に「こんな学校があるらしいぞ」といまのNSCである「吉本総合芸能学院」のことを聞いたのです。まだお笑いの学校がメジャーじゃなかったのですがチラシをいただいたのです。学校に行ってみて、面白い人たちがたくさん集まっているなかで、「いけそうならそこからテレビに出て、もしかしたらお金持ちになって成功するかも」と考えたのですよ。「ひょうきん族」も観ていて、大人が遊んでいるだけでお金もらえて、何ていい仕事だと。楽しそうだなと。

黒木)なるほど。入られてどうでした?

今田)思っていたのとは、もちろん違うし、周りにも面白い人などいないなと感じていたとき、ちょうどダウンタウンさんを知ったのです。ダウンタウンさんを知って、100人くらいのキャパの劇場に観に行ったときに、「ここに出たい!」と思ったのですね。「面白い、この劇場!」と思って、そこからのめり込んでいきました。

黒木)なるほど。

今田)しんどいというよりは楽しい。やることがまず見つかったことが楽しかったのです。楽しんでお金がもらえる。それまで、いちばん長く続いたバイトで1年なのですが、この仕事は36年続いたのです。何がきっかけかわからないですけれども。勢いで行ける20代、そこから30代、40代ときて、50代に入ったら悠々自適にのんびりしたいと。20代~30代でがむしゃらだったときはそう思っていました。

黒木)でもまだまだですよね。

今田)それが40代~50代になっても上は休まない。走り続ける。置いていかれたくないから自分も走るというのと、この仕事が大好きなので。

黒木)きちんと板の上に立っていらっしゃるではないですか。それはやはり、こだわりですよね。

今田)そうですね。「何をやられている方ですか?」「芸人です」と。歳を重ねるとますます……。

黒木)その姿勢が素晴らしいですね。

黒木)西川のりお師匠に褒められたということですが。

今田)10年以上前ですが、劇場でお会いしたときに「出ているな、お前。偉いな」と言われて、すごく嬉しかったです。自分の憧れていた人に褒められるという。学生時代に大人に褒められたことがなかったので。この世界に入ってから初めてなのです。

黒木)学生時代はなかったのが。

今田)まだ自分が19~20歳のときに、いまの吉本の会長が「お前面白いな」と言ってくれたそうです。母親は憶えていて、「昔、大崎さんから電話がかかってきたんやで」って。「『息子さん行けまっせ』と電話がかかってきたんよ」って。「あの人、メガネの」という。

黒木)いろいろな経験と人との出会いがあったのですね。

今田)それにつきます。

黒木)それがいまの今田さんなのでしょうね。

今田)もう、人との出会いしかないです。

今田耕司

今田耕司(いまだ・こうじ)/お笑い芸人

■大阪府出身。1966年3月13日生まれ(56歳)
■吉本総合芸能学院「NSC大阪校」の4期生。
■80年代後半に劇場デビューし、ピン芸人として主に大阪で活躍。
■90年代に「ダウンタウンのごっつええ感じ」などに出演。全国的な知名度を得る。
■主に番組MCとして誰もが知る芸人となり、数多くのレギュラー番組はもちろん、「M-1グランプリ」や「オールスター感謝祭」といった大型特番の生放送も担当。日本のテレビ界を代表するMCとしての地位を確立している。

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