二宮金次郎ってどんな人? 報徳二宮神社でランパンプスが合格祈願!
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受験生を“みんな“で応援!『おうえんしナイト』
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全国の受験生を応援する『おうえんしナイト』、今回は栃木県日光市の「報徳二宮神社」にやってきました。受験シーズン真っ只中の今、かの有名な学問の神様「二宮金次郎」を祀った神社にてランパンプスが本気の合格祈願をしてまいります!
――雪道が不安でしたが、無事、報徳二宮神社さんに着きましたね。それでは中に入りましょう。
小林:おー! 寒いですね。なんだこれ? いきなりトーテムポールがあるんですけど?
寺内:お参りのやり方が書いてある。えっと、座像の前で二拍して、矢印の方向に坐像と立像を八文字に回って戻り、二拍一礼して前へ、と。
寺内:「奉納投げ」だって心の中で「来福、来福」って言いながら賽銭を投げるんだ。ちょっと小林さんやってみなよ。
小林:おー入った! え? ちょっと待って。「チェーンソーアート世界大会優勝者」だって。これチェンソーで作ったんだ!
――それでは建物内にお邪魔して禰宜(ねぎ)の武内聡史(たけうちさとし)さんにお話を聞かせていただきましょう。
武内:雪の中、よくいらっしゃいましたね。この辺はあまり雪が降らないんですけどね。
小林:そうなんですか。吉本所属のランパンプスです。本日はよろしくお願いします。
武内:禰宜の武内と申します。よろしくお願いします。
寺内:これは二宮金次郎さんの湯呑みですか?
武内:そうですね。ちなみに金次郎さんの大人になった姿が描かれてます。
寺内:大人になった姿は初めて見たかも。アダルト金次郎だ。
武内:(笑)。二宮金次郎さんは、武士になって以来、二宮金次郎尊徳(にのみやきんじろうそんとく)と名乗っていたので、私どもは「尊徳先生」と呼んでいるのですが、湯呑みの後ろに書かれているのは報徳訓っていう言葉で、尊徳先生の教えをまとめたものですね。大まかに言うと「こういうことをすれば良いように生きられますよ」っていうことが書かれています。
小林:報徳二宮神社は、二宮金次郎さんと、どういった関係があるのか、ご由緒も含めてお聞かせいただけますか?
武内:尊徳先生は神奈川県の小田原の生まれで、幼い頃にご両親を亡くされて、弟さんと別々の家に引き取られたんです。その後、弟さんを呼び戻して、家を再興したのですが、その功績が認められて、財政が厳しかった小田原藩の家老の家に呼ばれ、その立て直しを為されました。さらに、その功績で小田原藩主に召し抱えられました。
寺内:めちゃくちゃ優秀なんですね。
武内:しかし、当時は士農工商という激しい身分制度があったので、もともと農民だった尊徳先生が小田原藩の財政の改革をするには反発もあったんです。ですので、実績積むために、まずはその緩衝剤として、分家がある栃木県で、田畑が荒れ放題で疲弊している土地を開拓したんです。
寺内:すごい、コンサルじゃん!
武内:それからも様々な依頼を解決し、最終的には徳川幕府の直属に幕臣になって、幕府の土地を開拓するために、召し抱えられたのです。それが幕府の直轄領だった日光神領、つまりここだったのです。そして、日光の地を立て直されたんですけれども、この土地で尊徳先生は亡くなられました。
寺内:なるほど、晩年を過ごした場所なんですね。
武内:ご本殿の裏にお墓がありまして、当時は土葬だったので、そのままの状態で埋葬されています。
小林:えー! それはめちゃめちゃゆかりの地ですね。
武内:尊徳先生はかぞえ70歳で亡くなられたのですが、様々な徳を積んでいたっていうことで、一般の方たちとは違う埋葬方法でお眠りになっています。益子焼の大きい瓶を作って、中に当時の防腐剤として塩と朱肉を練ったものを敷き詰め、さらに檜で箱を作って、その中に尊徳先生は立ったまま“立棺(りっかん)”という形で埋葬されています。
小林:立ったまま! 銅像でも立って歩いてるし、勤勉な方ですね(笑)。
武内:実は尊徳先生は身長が180cm位あったんです。
寺内:でかっ!! いつの時代の方なんですか?
武内:江戸の末期ですね。
寺内:思ったより最近の方だったんだ。平均寿命も今より短いですもんね。現代の感覚だと2m10cmの人が110歳ぐらいまで生きてたみたいなことですね(笑)。勤勉で体力もあって、腕っぷしも強そう!
武内:体重も80~90キロあったと言われてます。
寺内:蒔を背負ってるあの像から小柄でひょろっとしたイメージがありました。
小林:尊徳になってからゴリゴリになったんだ(笑)。巨人コンサルだね。
武内:しかも、声も大きかったみたいで、雷のような声だったと言われています。
寺内:威厳もあったんでしょうね。だから説得力があるんだろうな。
小林:そういえば、なんか入ってくる時になんかトーテムポールみたいのがあったんですけど、あれはどういったものなんですか?
武内:地元の崇敬者の方が奉納されたものなんですけれども、像には二つ意味があるんです。座っている方が拝んでいたと思うんですけど、尊徳先生が、小田原領の桜町を開拓しているとき、実は、最初の頃は、うまくいかなかったんです。農民の方には慕われていたんですけれども、意地悪な役人さんと「なんで農民なんかに教えられないといけないんだ」みたいな衝突が起きていたんです。それで行き詰った尊徳先生は千葉県成田山新勝寺にお籠りされて、その時に、悟りというか、心を見つけられたみたいで、その重要な場面の像になっています。
武内:もう一つは、大きな人の中に尊徳先生がいらっしゃる像なんですけど「地元の皆の心の中に尊徳先生がいます」という意味で作られたものです。
寺内:あれ、尊徳先生なんだ!
小林:無事、お賽銭は入れることができました。3度目の挑戦で(笑)。
寺内:プライベートな趣味とか、好物とかそういったエピソードは残っているのですか?
武内:お酒は嗜まれてたようで、毎日一合くらい呑んでいたと言われています。
寺内:お酒好きだったんだ。勤勉な人の人間味を知るとなんだか嬉しいですね。
小林:めちゃめちゃ歴史上の人物だと思ってたよね。
寺内:功績も凄いよね。勤勉っていうのは知ってたけど、 家を再建して、小田原の小さいとこ再建して、小田原自体を再建して、それで幕府に召し抱えれたんですもんね。
武内:その間にも色んな藩の再建もしてるんですよ。
寺内:デベロッパーだ(笑)。
小林:いや、もう1万円札なってよ!
武内:昔に一円札になってたんですよ。
小林:なってんのかい!
武内:それでは尊徳先生のお墓に向かいましょう。
寺内:あ、ニノだ!
小林:ニノじゃなくて、アダルト金次郎ね。
――二宮尊徳先生です。
小林:大分立派になられましたね(笑)。
寺内:いやー、厳しそう。
寺内:報徳二宮神社は尊徳先生が亡くなられたときに出来た神社なんですか?
武内:明治31年です。尊徳先生が亡くなられてから、40年後くらいにできています。江戸の末期に亡くなられているんで、この後に時代の移り変わりがあって、明治になって、新政府になり、少し落ち着いてから尊徳先生を慕っていた人が神社を建てました。
寺内:本当に偉大な方ですね。でも神社になる人ってすごいですよね。
武内:おそらく農民から神様になった方は尊徳先生だけだと思います。
小林:コンサルと金融で神様なんて聞いたことないですよね。すごい!
武内:当時は、どこの町もすごく荒れていて、農民は白いお米が食べれなかったのですが、先生が来られて開拓をして、収穫が上がって、白いお米が食べれるようになったりと、すごく感謝されました。
寺内:当時、知識とか情報が本当に大切だったんですね。 それを流布するだけでも相当な功績ってことですよね。
小林:すごい! 二宮金次郎の墓だ!
寺内:なんか思ったより質素というか、お堂とかではないんですね。
武内:実は、当初は墓石すらなかったんです。遺言で「私が亡くなった時に度を超えるなかれ」と、豪華な墓石なんていらないっておっしゃっていて「ただ私を埋めて、松か杉の木を一本植えればいい」と言われてたんです。そんなことにお金を使うなという意味だと思うんですけど。でも、尊徳先生を慕っていた人たちがたくさん来られて「目印がないとわかんないじゃないか」っていうような議論になったんです。
寺内:それで、ご参拝される方のために墓石を建てたんだ。かっこいい。すごいところに来てるんだなあ。そうえいば幼少期が金次郎で、大人になって尊徳になったということなんですか?
武内:そうですね。尊徳と書いて「たかのり」と読むのが正式だったのですが、親しみを込めて「そんとく」さんと呼ばれていたんです。呼びやすかったのでしょうね。
寺内:えー! 実際はタカノリさんなんですか? これ雑学だね。「Qさま‼」に出たらタカノリって答えて、不正解だったら猛抗議しよ!
武内:こちらが宝物館になります。
小林:お邪魔します。えー、博物館じゃん!
寺内:すごい! 着物がある! この像もチェーンソーですか?
武内:これは違います(笑)。
小林:実際にご本人が書いた書もあるんですね。歴史的なものですよね。
寺内:よく読むと、めちゃくちゃ厳しいこと言ってるんですね。
武内:それだけ信頼関係があったということですね。
小林:これ、先ほど言っていたお札ですか?
武内:はい。昭和20年ぐらいのものですね。
寺内:なんか時代が近いな。きっと、神様界では最年少の方ですよね(笑)。
武内:そうかもしれません(笑)。
小林:そろばんがデカっ!
寺内:やっぱり2m超えるとそろばんもこれくらい大きくなるんだね(笑)。
小林:そういうことなの? いや、本当にありがとうございました。最後に、受験生にメッセージをいただいてもよろしいですか?
武内:尊徳先生の言葉に「積小為大(せきしょういだい)」という言葉があって、尊徳先生は一家離散して、叔父の家に預けられたんですけれども、その時に捨てられてた苗を拾ってきて、自分で荒れた土地を耕し、そこに植えたんです。それが実を結んで、広がって大きな田んぼになりました。小さなことを積み重ねれば大きくなっていくという基本的なことなんですけれども、大切なことだと思っています。
寺内:一つの苗が田んぼになってるんだ。すごい! 元祖キヨシ師匠だ!
小林:元祖は尊徳さんだから!
――それでは最後に合格祈願をしましょう!
小林:それでは受験生のために二礼二拍手一礼。
寺内:これを読んでいる受験生が皆合格しますように! ついでに小林さんがN検受かりますように!
今林:まあ、ついででいいよ。受験真っただ中だもん。
――それでは今日の感想を聞かせていただきますか?
小林:二宮金次郎のことは日本国民誰しもが知ってると思うんですけど、晩年のことは全然知らなかったです。神様が実際に使っていたものを見させてもらったわけですからね。身近に感じられる神様でした。でも、その分、もっと頑張らないとって気にさせていただきましたね。
寺内:たしかに、私もタカノリさんの話を聞いていて――
小林:地元の先輩じゃないんだから(笑)。
寺内:それくらい親近感湧いてんだよ。高身長、体格よし、声が大きい、って、なんか私に近しいものを感じてしまって(笑)。晩年の成した功績とか、お酒が好きだったとか、 そういうの聞くと、やっぱ人間味が感じれてすごくいいなあと思ったし、タカノリさんを祀ってる神社ってことはご利益もあるだろうなと思いましたね。あとタカノリさんの教えに「学ばざる者人じゃないよ」みたいな、かっこいい教えがたくさんあったから、こういうのを学んで、より自分に還元すると受験にも良いんじゃないかなって思いました!
小林:現場から以上です!
寺内:あと猫ちゃんかわいかった(笑)。
小林:確かに。猫やらハトやら楽しかったね。
寺内:直接手から鳩にあげたの初めてだった(笑)。
小林:都内じゃダメだよ。あげたら逆に怒られんだから。
寺内:でもタカノリさん家は違うよ。
小林:タカノリさん家ではないよ(笑)。
報徳二宮神社はいかがでしたか? 蒔を背負った二宮金次郎像の姿は誰もが知っていると思いますが、こんなに偉大な功績を残された方だと知っていた人は少なかったのではないでしょうか? 学業に直結する神社だと思いますので、お近くに立ち寄られた際は、是非、ご参拝してください。
さて、次回の『おうえんしナイト』は応援隊長ランパンプスが「必勝合格レシピ」を考案して、実践するチャレンジ企画となっています。ご期待ください!
<報徳二宮神社>
住所:栃木県日光市今市743
HP:https://ninomiya3.jp
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