【ニッポンチャレンジドアスリート・藤井新悟選手(車椅子バスケットボール)インタビュー(3)】
このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。
藤井新悟(ふじいしんご)
秋田県出身。19歳の時事故で車椅子生活。その後、車椅子バスケットボールをはじめ、日本代表の主力として活躍。2004年、アテネ大会でパラリンピックに初出場。北京、ロンドン大会では代表のキャプテンを務め、リオでの4大会連続出場を決めた。宮城マックス所属。
-2004年、藤井はアテネパラリンピックに出場、初めての大舞台に圧倒された。
藤井 とにかく、いろいろな競技もありますし、規模がものすごいなと思いました。目に入ってくるものすべてにびっくりしました。
-アテネで日本は12か国中8位に終わった。
藤井 今思い出してみろと言われても、思い出せないくらい真っ白な状況になっていました。あっという間に終わってしまったというのが正直なところです。次に望む時にはより主力でよりチームの中心にいられる存在で臨もうと思ったし、良い思い出を残せるように頑張ろうと思いました。
-4年後の北京パラリンピック、藤井は思わぬ大役を任されることになる。2008年、北京パラリンピック、二度目の出場となった藤井はキャプテンに抜擢された。
藤井 キャプテンになって「よし頑張ろう」とは正直なところ、思いませんでした。なぜかというとやはり、まだまだ僕より年上の選手のほうが多かったですし、経験もまったく及ばない中で、なんで自分がキャプテンなんだろうということを考えました。そんな中で、年上の選手とさらには僕より下の選手がいたので、その真ん中の世代でどちらの意見も聞う努力をしました。これから期待されているからこそ、自分は抜擢されたんだとポジティブな考えに変えていこうと思いました。
-キャプテンになったことで、競技に対する心構えも自ずと変わった。
藤井 これまでは自分、自分と言う形でとにかく自分のことで精いっぱいだったのが、もっとほかの選手のことに目を向けていかないといけないと思いまして、プレイや行動はもちろんのこと、言動についてもすごく気を付けるようになりました。そして自分を第三者の視点から俯瞰的に見るといいますか、そういった形で物事の言動、行動をするようになりました。
-北京では7位と前回アテネよりも一つ順位を上げた車椅子男子バスケットボール日本代表。さらに4年後、2012年ロンドンパラリンピックでも藤井は主将を務めた。
藤井 一番変わった点としてはヘッドコーチが変わったということが大きな部分でして、僕を育ててくれたのは岩佐監督なので、その人と一緒にパラリンピックで戦いに行けるというのは、僕としてはものすごく価値のあることですし、必ず監督にも恩返ししたいという思いでさらにはキャプテンという立場でメダルと取りに行こうと臨んだ大会でした。二期目のキャプテンということでだいぶ自分も経験も高い位置にいました。立場的な発言力というのはついてきたので、自信を持って合宿を行ったり、バスケットボールを行っていたというのはありますし、僕としても一番ピークであり、とても力を入れて臨んだ大会となりました。
-しかし、結果は9位。目標のメダルには届かなかった。
藤井 決勝トーナメントに出場できかったということで、これまでのパラリンピックとしては決勝トーナメントには行けていたのですが、行けなかったということでとても悔しい大会となりました。
(4月18日~22日放送分より)
『ニッポンチャレンジドアスリート』
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。