歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)
最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。
日本におけるシンセサイザーの先駆者・冨田勲氏の訃報が伝えられましたが、冨田氏のおかげで、ポピュラーソングの分野にもシンセが導入され、いわゆる「テクノ歌謡」と呼ばれる曲が多数誕生しました。
アイドルの楽曲にも大きな変革がもたらされましたが、今回はシンセサイザーや電子楽器が効果的にフィーチャーされた1980年代のアイドルソングを見ていきましょう。
常に最新の流行を歌謡曲に取り入れてきた作曲家と言えば筒美京平ですが、ディスコソングを手掛けていたことから、シンセにもいち早く興味を示し、1980年に作詞家・松本隆とのコンビで書き下ろしたのが榊原郁恵の『ROBOT』です。
好きな男性の一言で、ロボットのように言いなりになってしまう乙女心を歌ったこの曲、今聴くとベースはベタな歌謡曲です。
しかし、冒頭から軽快に鳴り響くピコピコ音、榊原郁恵の妙なロボットダンス(単なるストップモーションですが)が歌番組で与えたインパクトは相当なものがありました。
ある意味、Perfumeの先取りといえるかもしれません。
テクノに手を染めた筒美京平はその3年後、さらにいい仕事をします。
83年、デビュー2年目の早見優に書いた『夏色のナンシー』は冒頭からオケにシンセを導入。
透明感のある音色で聴き手に爽やかな印象を与え、抜群の効果を発揮しました。
早見優はこの曲で初のオリコントップ10入りを果たし、彼女の代表作に。
シンセがなければこの佳曲が生まれたかどうか疑問です。
この年、筒美京平は小泉今日子にもテクノ全開の『まっ赤な女の子』を書いていますが、アレンジャーには元プラスチックスの佐久間正英を起用。
この段階でシンセの利用法を完全にモノにしているのは、さすが“歌謡職人”です。
80年代半ばになると、アイドルソングにシンセを使うのはもはや当たり前になってきますが、サンプリングの手法をいち早く取り入れたのが、85年にリリースされた堀ちえみの『Wa・ショイ!』です。
お祭りをイメージしたこの曲は、ベースがなんと「音頭」。
ちえみの「ワッショイ!」という掛け声をサンプリングし、「ワ・ワ・ワッショイ、ワ・ワ・ワッショイ、ワッショイワッショイワッショイ…」なんて悪ノリをしたのは、ムーンライダースの鈴木博文ー白井良明コンビです。
ホリプロもずいぶん冒険したものですが、後発のアイドルに押され気味だった当時、差別化のために苦肉の策だったとか。
ちえみ自身は後に当時を振り返って「先取りしすぎた」と告白しています。
いきなりテクノ歌謡でデビューしたアイドルもいます。
86年、『21世紀まで愛して』という曲で登場した水谷麻里です。
資生堂の「ミスヘアコロン・イメージガール」に5万人以上の応募者の中から選ばれたシンデレラガールで、とにかく可愛かったのですが、詞・曲は、松本隆ー筒美京平コンビが担当。
「14年後(=2000年)まで、大好きなアナタと一緒にいたい」という乙女心を歌った曲ですが、ここまで来るとテクノもかなりこなれていて、安定の出来です。
歌詞に「ワープロ」が出て来るところに時代を感じますが、このとき「輝かしい未来」だった2000年はすでに16年前かと思うと、感慨深いものがあります。
当時は気付きませんでしたが、よく考えたら2000年はまだ20世紀であり、「21世紀まで愛して」ではありません。
こういう“バグ”があるのも、いかにも昭和です。
ちなみに水谷麻里は、デビュー前から大ファンだったマンガ家の江口寿史と結婚。
21世紀の現在もしっかり愛されています。
ごちそうさま。
“アイドルテクノ歌謡”ここがポイント!
<グループアイドルが歌った、三大近未来テクノ歌謡>
・アパッチ…『宇宙人ワナワナ』(79年 矢野誠プロデュース)
・フィーバー…『デジタラブ』(80年 糸井重里&鈴木慶一)
・スターボー…『ハートブレイク太陽族』(82年 松本隆&細野晴臣)
※いずれも斬新すぎて、当時売れなかったことも覚えておきましょう。
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。