『脊髄を損傷し、病院で偶然みたパンフレットに惹かれました』花岡伸和選手(ハンドサイクリスト)インタビュー(1)

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ニッポンチャレンジドアスリート・花岡伸和(ハンドサイクリスト) インタビュー(1)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

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花岡伸和(ハンドサイクリスト)
1976年大阪生まれ。高校3年生の時にバイク事故で脊髄を損傷し車いす生活に。翌年から車いす陸上を始め、2002年、1,500mとマラソンで当時の日本記録を樹立した。2004年、アテネパラリンピックに出場し、マラソンで日本人最高の6位に入賞。ロンドン大会でも5位に入賞し、陸上を引退。現在はハンドサイクルに転向し、現役でプレーするかたわら、日本パラ陸上競技連盟の副理事長を務める。

―高校時代はオートバイが大好きだった花岡。17歳、高校3年生の時に思わぬアクシデントが襲った。

花岡 部活も引退してバイクが好きで乗り回していて、近くの峠に走りに行ったりしていたのですが、ちょうどその日が11月3日の文化の日だったんです。祝日で朝から晩まで走れる(笑)。朝からご飯も食べずに走るので集中力も切れるし慣れもあるし、油断したんですね。夕方、走っていて気が付いたらすぐそばにガードレールがあって、その次に覚えているのが、担架に乗せられて仰向けになって見た空が夕焼けで「きれいやなあ」と思ったのが事故した後のはじめの記憶でした。
その後、起き上がろうとして腰から下がグラグラなのに気付いたんです。当時プロレーサーでウェイン・レイニーという選手がレースの事故で下半身不随になっていたのを知っていたので、脊髄を損傷という知識はないけれども、脊髄をやってしまったんだということを何となく感じていたので、その時点で「もう歩かれへんのかもしれない」と思いました。

―その悪い予感は当たり、花岡は下半身不随に。高校はクラスメイトたちや先生たちのサポートを受け何とか卒業できたが、これからいったい何を目標に生きて行ったらいいのか。途方に暮れる中、花岡は一枚の写真に出会う。

花岡 入院している病院で大会のパンフレットがあって、それを見た時に海外の選手が日焼けした真っ黒のごつい丸太みたいな腕で、車いすを漕いでいる写真を見た時に「こんなふうになりたい!」と思ったんです。

―車いすでできる競技は車いすバスケット・ボール、車いすデニスなどいろいろあるが、花岡は車いすレースを選んだその理由は?

花岡 ボールを触れないんですよ。投げても飛ばないし、取れない。健常者の時からバスケとかサッカーとか球技は苦手だったのと、バスケだと立ってやってもゴールに入らなかったのに座ってやって入るわけがない(笑)。
なので車いすになってバスケやテニスをやろうとは思いませんでした。息継ぎができないんでプールも嫌だなと思い、走るしか残っていなかったですね。

―当時、花岡はどんなトレーニングをしたのだろう。

花岡 病院に6階くらいまであるスロープがあったのですが、それを空き時間にひたすら登っていました。その頃はまだ車いすマラソンを始めてはいなかったのですが、この体で生きていくためには必ず体力が必要になると思って、病院にいる時から自主トレを始めました。

―自己流のトレーニングで徐々にレベルを上げていった花岡は2000年、シドニーパラリンピックの強化指定選手に選ばれたが、結局選考で漏れ、シドニーには行けなかった。

花岡 当時は仕事しながら9時から5時までで働いて、夜走るという生活をずっとしていたのですが、自分の環境を変えなくては日本代表にはなれないと、シドニーの選考を通じて感じました。そこで働いていた公務員を辞めて、2001年から次の会社に移り本格的なプロアスリートとして開始することにしました。プロといっても会社に所属しているので実業団みたいなイメージなんですが、走るためにお金貰うという意味ではプロ意識というものは必ず持っていなくてはいけないと思っています。

―2002年、花岡は車いす陸上1,500メートルで、日本人で初めて3分を切り、車いすマラソンでは1時間20分台のタイムをたたき出した。いずれも当時の日本記録。花岡は2004年、ついにアテネパラリンピックに出場した。

花岡 よく思い出せないくらいで、夢の中にいたような感じでした。

(2016年5月30日~6月3日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

※記事初出時、誤ったお写真を掲載しました。大変申し訳ございませんでした。

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