ボッチャとはどのような競技なのか?廣瀬隆喜(ボッチャ日本代表)インタビュー(1)

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ニッポンチャレンジドアスリート・廣瀬隆喜(ボッチャ日本代表)インタビュー(1)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

ニッポンチャレンジドアスリート 花岡伸和

廣瀬隆喜(ひろせ・たかゆき)
1984年千葉県君津市生まれ。先天性脳まひのため、普段は車いすで生活を送る。高校時代から本格的にボッチャを始め、2006年日本ボッチャ選手権で初優勝。通算6回日本一に輝いている。北京、ロンドンに続き、リオパラリンピックにも出場が決定。初のメダルを目指す。

―廣瀬隆喜、1984年千葉県君津市生まれの31歳。先天性の脳性まひのため、車いす生活に。
高校3年まで車いす陸上をやっていたが、卒業後本格的にボッチャを始め、2006年日本ボッチャ選手権で初優勝、2009年まで4連覇を果たすなど、通算6回、日本一に輝いた。
パラリンピックには北京から3大会連続で出場、リオで初のメダルを目指す。
脳性まひのため、現在、手先がかろうじて動かせる状態の廣瀬、袖ケ浦の養護学校に通っていた頃は車いす陸上をやっていたが、ボッチャに出会ったきっかけは?

廣瀬 だんだん筋肉の緊張が強くなってきて自分の思うようにタイムが伸びなくなってきたんです。卒業間近だったので何かしら、卒業してからもやりたいなあと思って、学校の先生や体育の先生に相談してそこで紹介されて、高校3年の夏くらいから本格的にボッチャという競技をやることになりました。

―ボッチャとはイタリア語でボールの意味。
パラリンピック正式種目で脳性まひなど重度障がい者による対戦型のスポーツである。
選手には一人6球のカラーボールが与えられ、ジャックと呼ばれる白いターゲットボールにいかに近づけられるかで勝負を競う。

廣瀬 簡単に言えば、カーリングに近い競技で白いジャックボールと言われるボールにいかに近づけられるかっていうスポーツです。女性と男性混合になっていて、頭脳戦と言われて二手、三手先を考える競技がボッチャです。

―ターゲットに最も近い場所へボールを置いたほうが勝ち。負けたほうのボールの位置より内側のボールの数がそのまま得点となるカーリングに似た頭脳戦の要素のあるスポーツだ。
廣瀬がボッチャにのめり込んだきっかけは?

廣瀬 どうしても人間なのでブレとかミスとかあるのですが、頭で考えたことが成功した時は本当にうれしくて、もう10年以上やっています。楽しいというより、考えられているので続けられているのだと思います。

―2003年、廣瀬は日本ボッチャ選手権に初出場、いきなり3位の好成績を上げ、2006年には初優勝。そこから4連覇を果たした。

廣瀬 その時は勝とうとかいう気持ちはなく、とりあえずやれるところまでやろうという思いでやっていました。日本選手権で初優勝した時は20歳か21歳の時でやっと念願の優勝をして、頂点に立てたということは自信になりましたし、頭で考えたことが実際にプレーできたので結果につなげることができました。

(2016年6月6日~6月10日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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