写真提供:産経新聞社
柔道男子73キロ級で見事金メダルに輝いた大野将平。
日本の柔道を改めて世界へアピール、男子にとって2大会ぶりの金メダルをもたらした逸材は「礼に始まり礼で終わる」という勝敗以上に大事なことを再認識させてくれました。
決勝でアゼルバイジャンのオルジヨイに一本勝ち。
その瞬間、歓喜のポーズを連発するのが普通ですが、大野はホッとしたような表情を浮かべただけで、柔道着の乱れを正していました。
そして、深々と相手に一礼したシーンが何とも素晴らしい。
「柔道は対人競技で、相手への尊敬や経緯、日本の心を見せられる場です。気持ちを抑え、冷静にきれいな礼ができた。」
と語っています。
また、勝因を質問されると「集中」「執念」「我慢」という3つの要素をあげました。
次元の違うアスリートと感じた方も多かったのではないでしょうか。
山口県山口市出身、7歳で地元のスポーツ少年団で柔道を始めました。
小学校を卒業と同時に単身上京し、全国から有望な少年たちが入門する私塾の講堂学舎へ入塾します。
古賀稔彦、吉田秀彦など多くの柔道界のレジェンドたちがここから世界へ向かいました。
当時の大野はそれほどすごい選手ではありませんでしたが、努力と闘争心で着々と地力を養ったのです。
とはいえ、有名になったのは天理大4年の主将時代。
勝つためには厳しく部員を叱咤激励しなければなりません。
ところが、柔道部4年生の男子部員が、1年生の部員に対して体罰を加えていたことが発覚。
大野は直接、暴力を振るっていなかったものの、主将の任を解かれて、停学処分を受けています。
ちなみに、この年に開催された世界選手権で優勝しましたが、全柔連からは強化指定選手を外される屈辱を味わいました。
反省の意味を込め、その後は奈良県内の清掃活動、東日本大震災の被災地、宮城県七ヶ浜町などでボランティア活動を精力的に行いました。
果たして、このまま柔道を続けていいのだろうかなど自問自答の毎日を過ごし、出した答えは
「最強かつ、最高の選手になれるように努力したい。」
精神面の強化など、完全復活の道は厳しかったものの、今大会では大本命。
「当たり前のことを当たり前にやるという難しさを改めて感じた。それに打ち勝つことができて、人間としてひと皮むけたと思う。」
と胸をなでおろしています。
代表へ選出された時から、オリンピックでは「圧倒的な差をつける」ことを目標として掲げていたのも頼もしかった。
確かに、切れ味鋭い内股、相撲では首投げに当たる腰車や、巴投げなど、これが柔道ということを存分に発揮。
世界選手権で7連覇中のフランスのリネールが
「現在、一番美しい柔道をみせるのが大野だ。」
と絶賛した理由がはっきりとわかりました。
8月10日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」